2025年
5月
16日
金
トランプのアメリカには「退行」だけがあって、未来がない
2025年4月18日の内田樹さんの論考「トランプのロールモデル」をご紹介する。
どおぞ。
トランプの世界戦略は何かをよく訊かれる。果たして「戦略」と呼べるようなスケールの構想が彼の脳裏に存在するのかどうか、私には分からない。ただ、トランプがMake America Great Again と呼号していたときの「再帰する先」がどこかは見当がついた。ウィリアム・マッキンリーとセオドア・ルーズベルトが大統領をしていた時代、すなわち1897年から1909年までの米国である。
マッキンリーは米西戦争でスペインの植民地だったプエルトリコ、グアム、フィリピンを併合し、キューバを保護国化し、ハワイ共和国を併合した。米国が露骨な帝国主義的な領土拡大をした時期の大統領である。そして、保護貿易主義を掲げ、外国製品に対して57%という史上最高の関税率をかけたことで歴史に名を遺した。ルーズベルトは「穏やかに話し、大きな棒を担ぐ」「棍棒外交」で知られているが、日露戦争を調停したこと(この功績でルーズベルトはノーベル平和賞を受賞した)とパナマ運河の完成で歴史に名を遺した。
トランプはアラスカにある北米最高峰の名称をそれまでのデナリからマッキンリーに戻し、メキシコ湾をアメリカ湾に改称し、グリーンランドの領土化、パナマ運河の「奪還」を求め、ウクライナ戦争の調停役を名乗り出て、高率関税による保護貿易を目指した点から推して、彼がこの二人の大統領をロールモデルにしていることは確実だろう。
過去の成功体験を模倣すればすべてはうまくゆくというのがドナルド・トランプの政治思想の「すべて」である。申し訳ないけど。
マルクスが言うように世界史的な出来事の渦中に投じられた時、人は「過去の亡霊たちを呼び出して助けを求め、その名前や闘いのスローガンや衣装を借用する」ものなのだ(『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』)。だからトランプのアメリカには「退行」だけがあって、未来がないという診立ては間違っていないと私は思う。(信濃毎日新聞 4月11日)
2025年
5月
15日
木
5月9日(金)早朝、丘の階段641段、50分34秒、7.19㎞、平均ペース7分02秒/㎞、総上昇量159m、消費カロリー528㎉。
1 6分42秒
2 6分44秒
3 7分21秒
4 8分30秒(階段)
5 8分33秒
6 5分49秒
7 5分49秒
8 5分37秒(190m)
5月10日(土)早朝、ウインドスプリント300m×10本、53分11秒、7.65㎞、平均ペース6分57秒/㎞、総上昇量63m、消費カロリー560㎉。
7分03秒、7分20秒、6分54秒(80m)
1分20秒7(5分04秒)、1分24秒3(5分21秒)
1分13秒5(4分43秒)、1分17秒5(4分49秒)
1分11秒7(4分37秒)、1分20秒2(5分02秒)
1分12秒4(4分40秒)、1分19秒0(4分57秒)
1分09秒2(4分22秒)、1分15秒6(4分47秒)
7分12秒、7分07秒、6分26秒(90m)
5月11日(日)午前、ジョギング、1時間48分11秒、12.95㎞、平均ペース8分21秒/㎞、総上昇量263m、消費カロリー892㎉。
1 7分30秒
2 7分31秒
3 8分54秒(階段)
4 8分45秒
5 7分20秒
6 6分49秒
7 7分18秒
8 7分24秒
9 8分00秒
10 12分57秒(階段)
11 10分05秒(上り坂)
12 8分01秒
13 7分58秒(950m)
5月12日(月)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。
5月13日(火)早朝、室内トレーニング。
夜、トレッドミル、30分、4.15㎞、傾斜3.0%、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、消費カロリー396㎉、手首に重り1㎏×2。
5月14日(水)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り約0.5㎏×2。
5月15日(木)早朝、テンポ走、40分00秒、6.22㎞、平均ペース6分26秒/㎞、総上昇量93m、消費カロリー436㎉。
1 6分48秒
2 7分06秒
3 5分59秒
4 6分39秒
5 5分48秒
6 6分19秒
7 6分10秒(220m)
2025年
5月
14日
水
明治初期から二・二六事件まで、反権力の戦いは久しく「有司専制を廃す」「君側の奸を除く」という定型句の下に行われたが、それはこの「定型」だけが民衆の政治的エネルギーを解発するということ彼らが知っていたからである。
2025年4月15日の内田樹さんの論考「『日本型コミューン主義の擁護と顕彰 権藤成卿の人と思想』はじめに」(後編)をご紹介する。
どおぞ。
明治維新のあと、まだ新政府がこれからどういう統治形態を採るべきか明確な意思を示し得なかった時点において、あるべき日本の姿を先駆的に実現した短期的な政体が存在した史実を橋川文三が伝えている。「隠岐コンミューン」と名づけられたものである。
慶応四年三月、隠岐島民およそ三千人が武力によって松江藩郡代を追放し、これからは「中間的な権力構造の媒介物を経ず」に、島民と天皇が直接つながる政体を創り上げると宣言したのである。隠岐ははじめ徳川氏の支配下にあり、のち松江藩のお預かりとなった。島民たちはこの「媒介物」によって「恐れながら天皇の御仁沢を戴き奉るということを知らず」過ごしてきたことを深く恥じるという水戸学的メンタリティーを幕末にはすでに深く内面化していた。それゆえ「宣言」はこう続く。
「かたじけなくも祖先以来父母妻子にいたるまで養育せしめ、ひとしく年月を送り、あるいは富み栄えて鼓腹歓楽にいたるまで、ことごとく天恩を蒙り奉り候、然れば自己の身命に至るまで皆天皇の御物にして、毛頭我がものにはあらず、ここを以て鄙賤をかえりみず、身命をなげうって尽力いたし、皇国の民たる名分を尽くさずんばあるべからず。」 (橋川文三、『ナショナリズム その神話と論理』、ちくま学芸文庫、2015年、142頁)
このとき隠岐島民たちは「幕藩権力の出先機関を追放し、直接に天皇の『愛民』たることを宣言した」わけである。
「彼らは、天皇の心に直接結びついた平等な人間の組織体として自覚し、その間に介在する中間的権力を否定することによって、自治的な政治共同体を樹立することになった。」(同書、145頁)
橋川はこの自治共同体の企てをそう評価した上で、このような夢想を語る。
「たとえば、もしこの隠岐のコンミューンに似たものが全国各地に凡そ百くらいも次々と出現し、中間的権力機構をそれぞれに排除して全国的にゆるやかなコンミューン連合ができたとしたなら、その後の日本国家はどうなっていたろうか。」 (同書、146頁)
残念ながらこの天皇と島民が「直結」することを夢見た「隠岐コンミューン」は松江藩によってただちに鎮圧されて、姿を消した。それでも、日本における政治的ユートピアのモデルが「国民と天皇が無媒介的に結びつく統治システム」、渡辺京二が「日本的コミューン主義」と呼ぶものであるという確信はそのあともずっと生き続けた。明治初期から二・二六事件まで、反権力の戦いは久しく「有司専制を廃す」「君側の奸を除く」という定型句の下に行われたが、それはこの「定型」だけが民衆の政治的エネルギーを解発するということ彼らが知っていたからである。
私は三島友紀夫が東大全共闘に向けて語った言葉をその時点では理解できなかった。なぜ「天皇と一言言えば」、極右である三島と極左である過激派学生たちが共闘できるのか。その理路が十八歳の私にはまったくわからなかった。しかし、それが理解できるようにならない限り日本における政治革命の可能性について語ることはできないということはわかった。だから、私は三島の言葉を私に課せられた一種の「宿題」として引き受けることにした。
私がそう考えるようになったのには、同じ頃に読んだ、吉本隆明の転向論にも大きく影響されていた。
戦前の共産党指導者だった佐野学、鍋山貞親は治安維持法で投獄された後に、日本の「國體」、国民思想、仏教思想に関する書籍を読み、その深遠さに「一驚を喫して」転向した。吉本はこの転向はおもに内発的な動機に基づくものであり、彼らを転向に追い込んだのは「大衆からの孤立(感)」と見立てた。
吉本がこだわったのは、転向した知識人が日本思想史や仏教史について「何ほどの知識も見解もなくて、共産主義運動の指導者だった」のか、という「情けない疑問」であった。
「こういう情けない疑問は、情けないにもかかわらず、佐野、鍋山が、わが後進インテリゲンチャ(例えば外国文学者)とおなじ水準で、西欧の政治思想や知識にとびつくにつれて、日本的小情況を侮り、モデルニスムスぶっている、田舎インテリゲンチャにすぎなかったのではないか、という普遍的な疑問につながるものである。これらの上昇型インテリゲンチャの意識は、後進社会の特産である。佐野、鍋山の転向とは、この田舎インテリが、ギリギリのところまで封建制から追いつめられ、孤立したとき、侮りつくし、離脱したとしんじた日本的な小情況から、ふたたび足をすくわれたということに外ならなかったのではないか。」 (吉本隆明、「転向論」、『吉本隆明全著作集13』、1969年、10頁)
「この種の上昇型インテリゲンチャが、見くびった日本的情況を(例えば天皇制を、家族制度を)、絶対に回避できない形で眼のまえにつきつけられたとき、何がおこるか。かつて離脱したと信じたその理に合わぬ現実が、いわば本格的な思考の対象として一度も対決されなかったことに気付くのである。」 (同書、17頁、強調は内田)
この手厳しい「インテリ」批判を私は自分に向けられたものとして読んだ。読んだ時はまだ大学生だったので、「インテリ」に類別されるレベルには達していなかったのだけれど、自分がいずれ「上昇型インテリゲンチャ」の一員になることはわかっていた。だから、この批判を「わがこと」として受け止めた。そして、「日本的情況にふたたび足をすくわれない」ためには、この「理に合わぬ現実」を「本格的な思考の対象」とすることを個人的責務として引き受けるしかないと思った。
でも、この「理に合わぬ」政治概念を縦横に論ずる思想家・活動家たち(権藤成卿はその一人である)の書物を実際に読むようになったのは、それからずいぶん経ってからである。それまでは「日本的情況に足をすくわれない」ための予備的な自己訓練のために時間を割いた。
まず私は武道の修行を始めた。二十代から合気道の稽古を始め、それから居合や杖道や剣術の稽古をするようになった。知命近くになってからそれに加えて能楽の稽古を始め、還暦を過ぎてからは禊祓いや滝行を修した。日本的な「由緒ある扮装」に順繰りに袖を通してみたのである。今は毎朝、道場で祝詞と般若心経を唱え、不動明王の真言で場を浄め、九字を切り、禊教の呼吸法を行うというお勤めをしないと一日が始まらない身体になった。遠回りのようだけれど、そういう人間になることの方が「いきなり本を読む」より適切だろうと私は思ったのである。
この直感は筋が悪くないと思う。たしかに言葉から入るのは危うい。誤読する可能性があるし、何よりもこちらの身体に準備がないままに本を読むと、「わかった気になる」リスクがある。
吉本は佐野・鍋山がろくに仏教書も読まずに知識人面していたのかと嘲ったけれど、それはたぶん違うと思う。彼らだってインテリである。本はちゃんと読んでいたのだ。でも、読んだけれど、「ぴんと来なかった」のだ。文字面の意味はわかったけれど、身に浸みなかった。そして、ずっと後になって、「大衆からの孤立」に苦しみ、「大衆がほんとうに求めているものは何か」を切実に知りたくなった時にもう一度それらの本を手にとってみたら、そこに書かれていたことが身に浸みてわかった。たぶんそういう順序だったのだと思う。
だから、この「理に合わない」思想と感情と「本格的に対決」するためには、まず本を読むよりは、そのような理屈や言葉が「腑に落ちる」身体や感情に親しんでおく方が遠回りだが確実だろうと私は考えたのである。それほど論理的な言葉づかいをしたわけではない。そう直感したのである。まず身体をつくり、感情を深める。本を手に取るのは後でよい。いずれある日、それらの書物にふと「手が伸びる」機会が訪れるだろう。その時に手元に本がないと始まらないので、とにかく本は手に入るだけ集める。そして、手がすぐ届くところに並べておく。そうして、半世紀近くが過ぎた後、ある日「権藤成卿について書いてください」というオファーが来たのである。なるほど、来るべきものが来たのか、そう思って解説の筆を執ることにした。
以上が、どうして私が解説を書くことになったのかの経緯である。ここまで書いたところで、「なぜ今権藤成卿が復刻されるのか」という第一の疑問についても、いくぶんか答えたことになるのではないかと思う。でも、結論を急ぐことはない。紙数はたっぷり頂いているので、「なぜ今権藤成卿が読まれなければならないのか」については読者が腑に落ちるまでゆっくり書いてゆくつもりである。
本書の構成について。当初の計画では、まず権藤成卿の伝記的事実を記し、それから彼の思想について書くつもりだった。しかし、いざ書き出してみたら、伝記的事実や交友関係と思想は切り離せないことがわかった。というわけで以下では伝記的事実を叙しつつ、そこに登場する人物や、そこで成卿がかかわることになった出来事の歴史的意義や文脈について説明するためにそのつど脇道にそれるという書き方をすることにした。学術論文の書き方としてはまず許されないものだが、この解説は「なぜ今権藤成卿を読む必要があるのか」という問いに答えるという限定的な目的のための文章であるので、読者はこの破格を諒とされたい。
なお、伝記的事実については、その多くを滝沢誠氏の『昭和維新運動の思想的源流 権藤成卿 その人と思想』(ぺりかん社、1996年)に拠った。この本が現在まで書かれた権藤成卿の伝記としては最も信頼性が高いものと思われるからである。
紀年法としては元号を主として、()内に西暦を入れることにした。「明治維新」「大正デモクラシー」「昭和維新」などの歴史的事件には、元号が変わるとそれに合わせて世情人心も変わるという幻想的な時間意識が濃密に浸み込んでいるからである。(2024年7月30日)
2025年
5月
13日
火
本日、5月13日は事務局が担当です。
今日は、快晴で、五月晴れと言っていい様な日ですね。
近鉄八木駅から、なら法律事務所への途中にある「かしはらナビプラザ」前の花壇のパンジーは4月から咲き誇っていて、朝観るととても元気をもらえます。
日中の気温は少し高めになりそうで、夏日となりそうです。
午後のお出かけ、屋外で待ち合わせ、時間待ちは少しつらいと思われます。
そんな時に近鉄八木駅前の待ち合わせや時間待ちに最適な場所をご紹介します。
当然、喫茶店やファストフードが何店もありますが、無料で気兼ねなく利用できる場所があります。
かなり前に、このブログで、かしはらナビプラザ北側にある屋外のベンチを照会しましたが、コロナ禍から撤去されて無くなりました。
その代わりと言っては何ですが、かしはらナビプラザ正面玄関を入って右側に在る1Fの案内所及び奈良交通の八木案内所前にベンチが2脚置かれました。
私が平日の昼間観る限りでは、意外と空いていて、朝7時から
夜9時迄利用できます。
冷暖房完備で、奥には災害時対応のドリンクの自動販売機もあり、清潔なトイレも同じ1Fに在ります。
更に、中南和の観光に関するパンフレット、地図や資料などが置いてあり、退屈することは無いと思います。
また、ここで奈良の再発見ができるかもしれませんよ。
ご存じで無い方は、是非一度お訪ねください。
2025年
5月
12日
月
幕末から近代に至るまで、すべての革命的な思想は、中間的な権力構造の媒介物を経ずに、国民の意思と国家意思が直結する「一君万民」の政体を夢見てきた。
2025年4月15日の内田樹さんの論考「『日本型コミューン主義の擁護と顕彰 権藤成卿の人と思想』はじめに」(前編)をご紹介する。
どおぞ。
『月刊日本』から、権藤成卿の『君民共治論』が復刻されることになったので、その「解説」を書いて欲しいという不思議なオファーを受けた。「不思議」だと思った理由は二つあって、「どうして今ごろになって権藤成卿を復刻するのか?」ということと、「どうして私にそんな仕事を頼むのか?」ということであった。
後の方の理由は何となくわかった。おそらく担当編集者の杉原悠人君が何度か私の書斎を訪れているうちに、書架に権藤成卿や頭山満や内田良平や北一輝や大川周明の本や研究書が並んでいるのを見て、日本の右翼思想に興味がある人だと思ったのだろう。この推理は正しい。
私はこれまで日本の右翼思想についてまとまったものを書いたことがない。だから、ふつうの人は私の興味がそこにあることを知らない。でも、書斎を訪れた人は本の背表紙を見て、私の興味の布置を窺い知ることができる。明治の思想家たちについての書物は私の書架の一番近く、手がすぐに届くところに配架されている(私の専門であるはずのフランス文学や哲学の方がずっと奥に追いやられている)。
その配架はたぶんに無意識的なものだと思う。どうして、そんな本を私は手元に置いておきたがるのか。それは、おそらくこの思想家・活動家たちのことを決して忘れてはならないと久しく自分に言い聞かせてきたからだと思う。彼らのことを決して忘れてはならない。彼らのことを忘れたときに、私は必ずや「日本的情況に足をすくわれる」だろう。そのことについては深い確信があった。
権藤成卿の思想の今日的な意義にたどりつくために、いささか長い迂回になるけれども、まず少しその話をしたい。
私は全共闘運動の世代に属する。十代の終わりごろのことだから、その時代に取り憑いていた熱狂をよく覚えている。そして、その時にすでにその政治運動がある古い政治思想の何度かの甦り、ある種の「先祖返り」であることに気づいていた。
1968年の米空母エンタープライズ号の佐世保寄港の時、私たちははじめて三派系全学連という人々の組織的な闘争の画像を見ることができた。寄港阻止闘争に結集した学生たちは、党派名を大書したヘルメットをかぶり、ゲバ棒と称された六尺ほどの棒を手に、赤や黒の巨大な自治会旗を掲げていた。そして、世界最大の米空母に向かって、ほとんど徒手空拳で「打ち払い」を果たそうとしていた。
私はその映像をテレビのニュースで見たときに胸を衝かれた。その時の震えるような感動を私はまだ覚えている。ヘルメットは「兜」で、ゲバ棒は「槍」で、自治会旗は「旗指物」に見立てられていたからだ。学生たちがそのようなビジュアルを選択したのはむろん無意識的なことである。だが、それは「黒船来航」の報を聴いて浦賀に駆けつけた侍たちの姿を連想させずにはおかなかった。
マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』にこう書いている。
「人間は自分自身の歴史をつくるが、自分が選んだ状況下で思うように歴史をつくるのではなく、手近にある、与えられ、過去から伝えられた状況下でそうするのである。死滅したすべての世代の伝統が、生きている者たちの脳髄に夢魔のようにのしかかっているのである。そして、生きている者たちは、ちょうど自分自身と事態を変革し、いまだなかったものを創り出すことに専念しているように見える時に、まさにそのような革命的危機の時期に、不安げに過去の亡霊たちを呼び出して助けを求め、その名前や闘いのスローガンや衣装を借用し、そうした由緒ある扮装、そうした借りものの言葉で新しい世界史の場面を演じるのである。」(カール・マルクス、『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』、横張誠訳、筑摩書房、2005年、4頁)
この文章をマルクス主義者を自認していたはずの三派系全学連の活動家たちはおそらく何度も目にしていたはずである。繰り返し読み、読書会では片言隻語の語義をめぐってはげしい議論を交わしてきたはずなのに、彼らはいま自分たちがまさに「過去の亡霊たちを呼び出して助けを求め、その名前や闘いのスローガンや衣装を借用」しつつ「新しい世界史の場面」を演じていることにはまったく無自覚だったのである。彼らはまさか自分たちが「吉田松陰の115年後のアヴァター」を演じていたとは思いもよらなかったであろう。だが、まさに「過去の亡霊を呼び出して助けを求め」たからこそ、彼らの運動はそれから三年間にわたって、日本列島を混乱のうちに叩き込むだけの政治的実力を発揮し得たのだと私は思っている。
その翌年、三島由紀夫は東大全共闘に招かれて、駒場の900番教室に姿を現し、1000人の学生を前にして、全共闘運動と彼の個人的な政治的テロリズムの「親和性」について熱弁をふるった。三島はこう言ったのである。
「これはまじめに言うんだけれども、たとえば安田講堂で全学連の諸君がたてこもった時に、天皇という言葉を一言彼等が言えば、私は喜んで一緒にとじこもったであろうし、喜んで一緒にやったと思う。(笑)これは私はふざけて言っているんじゃない。常々言っていることである。なぜなら、終戦前の昭和初年における天皇親政というものと、現在いわれている直接民主主義というものにはほとんど政治概念上の区別がないのです。これは非常に空疎な政治概念だが、その中には一つの共通要素がある。その共通要素とは何かというと、国民の意思が中間的な権力構造の媒介物を経ないで国家意思と直結するということを夢見ている。この夢みていることは一度もかなえられなかったから、戦前のクーデターはみな失敗した。しかしながら、これには天皇という二字が戦前はついていた。それがいまはつかないのは、つけてもしようがないと諸君は思っているだけで、これがついて、日本の底辺の民衆にどういう影響を与えるかということを一度でも考えたことがあるか。これは、本当に諸君が心の底から考えれば、くっついてこなければならぬと私は信じている。」(三島由紀夫・東大全学共闘会議駒場共闘焚祭委員会、『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』、新潮社、1969年、64-5頁、強調は内田)
ここで三島は日本の近代政治史において革命の契機となるべき「キーワード」が何であるかを実に正確に言い当てている。それは「国民の意思が中間的な権力構造の媒介物を経ないで国家意思と直結する」という夢である。幕末から近代に至るまで、すべての革命的な思想は、中間的な権力構造の媒介物を経ずに、国民の意思と国家意思が直結する「一君万民」の政体を夢見てきた。これに例外はない。
2025年
5月
09日
金
もし安保条約が廃棄されたら、日本は「隣国全部が敵」という地政学的にきわめてネガティヴな環境でハリネズミのように猜疑心で固まった大日本帝国の「劣化コピー」のような国家に帰着するだろう。つまり、「金のある北朝鮮」「国土の広いシンガポール」になるということである。
「え、それのどこが悪いの?」と言う人たちが今の日本人に相当数いる(もしかしたら多数派かも知れない)ことが私を気鬱にさせる。
2025年4月3日の内田樹さんの論考「トランプの世界戦略と日本」をご紹介する。
どおぞ。
「トランプの世界戦略と日本」という論題を頂いたけれど、そもそも「トランプの世界戦略」とは何かがわからない。「戦略」と呼べるようなものが果たしてトランプにあるのか。わかっているのは、アメリカの統治システムが急速に壊れ始め、国際社会における地位が低下していることである。いずれカウンターの動きがトランプの暴走を止めるだろうとは思うけれど、それが「いつ」で「誰」がその任を担うのか、今はわからない。
トランプは思いつき的で懲罰的な関税政策で世界の経済を混乱させている。各国で「アメリカ売り」が始まった。連邦機関のいくつかは廃止された。主要な省庁もトップにはトランプの側近たち(その多くはその職位にまったく不適切な人物)が送り込まれた。トランプの違法行為を捜査していたFBI捜査官や検察官は解雇された。学内で「イスラエル批判、パレスチナ支持」の運動をした学生を処罰しなかったという理由でコロンビア大学に対する政府助成金を止めるという恫喝をかけた(大学は屈服した)。トランプを批判した南ア大使は追放され、学会出席を予定していたフランス人研究者は携帯電話にトランプを批判するメッセージがあったという理由で入国を拒否された。すでにカナダやドイツや英国は何があるかわからないから米国への渡航をしばらく控えるように自国民にアナウンスを始めている。株価は下がり、外国為替市場ではドル売りが始まり、高関税のせいで国内では物価が高騰している。低所得者のための医療保険制度メディケイドへの助成も減額された。「ファースト」で優遇されるはずだった国民がトランプのおかげで失職したり医療を打ち切られたり物価高で苦しんでいる。一方、トランプ支持者の超富裕層はさまざまな優遇措置の恩恵に浴している。
これからはもうグローバル・リーダシップを執らない。アメリカだけが世界秩序の安定のために身銭を切らなければならないというのは不当である。アメリカはアメリカだけを守る。他の国は自分で自国を守れ、というのがトランプの「世界戦略」である(これを「世界戦略」と呼ぶことはためらわれるが)。
確かにアメリカ人はしばしば不適切な人物を大統領に選ぶ。アレクシス・ド・トクヴィルは第七代大統領アンドリュー・ジャクソンと面談した後に、「粗暴で凡庸で、その経歴のうちには自由な人民を治めるために必要な資質を証明するものは何もない」と酷評しているが、そのジャクソンをアメリカ人は二度大統領に選んだ。
不適切な統治者を選んでしまうのは「民主政のコスト」だからこれは仕方がない。ただ、トクヴィルは不適切な人物が統治者になっても、統治システムは簡単には壊れないアメリカの復元力は高く評価した。「公務員が権力を悪用するとしても、権力を持つ期間は一般に長くない」からである。でも、この復元力はトランプ政権にはたぶん適用できない。統治機構をイエスマンで埋め尽くした後、おそらく彼は「緊急事態」を宣言して、大統領選をしているような余裕はアメリカにはないと言い張って、その地位にとどまり続けると思う(退職後に無数の罪状で訴追されることは確実だからだ)。
アメリカは「民主主義指標(完全な民主主義がプラス10、完全な独裁制が-10の21段階で評価する)」で今すでにプラス5という「内戦ゾーン」に入っている。おそらく次の評価ではもっと低い評点がつくだろう。いくつかの州では連邦からの独立運動が始まっている。カリフォルニア州は連邦からの独立を支持する州民が今や32%に達している。独立すれば人口3900万人、GDP世界五位の「大国」になる。トランプの下にいるよりカリフォルニアの方が「アメリカらしい」と思う人たちは大挙して西へ向かうだろう。映画『シビル・ウォー』はカリフォルニアとテキサスを含む19州が連邦から脱盟して連邦政府と内戦するという話だが、もはやこれも荒唐無稽な話ではなくなった。
日本について書く字数がなくなってしまった。喫緊の問題はトランプが「日米安保条約の廃棄」というカードをちらつかせて、安保条約を廃棄して欲しくなければ、アメリカの兵器を大量購入すること、「思いやり予算」を増額すること、在日米軍基地を「アメリカ領土」とすること、自衛隊を米軍の統制下に置くことなどを要求してくるということである。自民党政権はトランプの要求を丸呑みするしかないだろう。戦後80年「日米同盟基軸」以外の安全保障政策について何も考えてこなかったのだから仕方がない。
それ以上に困るのは、トランプが「ディール」に飽きて、日米安保条約を本気で廃棄した場合である。日本人は自前の国防構想としては戦前の大日本帝国のものしか知らない。だから、もし安保条約が廃棄されたら、日本は「隣国全部が敵」という地政学的にきわめてネガティヴな環境でハリネズミのように猜疑心で固まった大日本帝国の「劣化コピー」のような国家に帰着するだろう。つまり、「金のある北朝鮮」「国土の広いシンガポール」になるということである。
「え、それのどこが悪いの?」と言う人たちが今の日本人に相当数いる(もしかしたら多数派かも知れない)ことが私を気鬱にさせる。
(4月1日)
2025年
5月
08日
木
4月25日(金)早朝、坂道ダッシュ400m×3本、47分22秒、6.87㎞、平均ペース6分53秒/㎞、総上昇量132m、消費カロリー491㎉。
6分38秒、6分53秒、6分23秒(550m)
2分33秒9(6分21秒/㎞)
2分27秒7(6分12秒/㎞)
2分27秒0(6分09秒/㎞)
7分12秒、6分32秒、5分53秒(170m)
4月26日(土)早朝、階段1045段、47分18秒、6.25㎞、平均ペース7分34秒/㎞、総上昇量89m、消費カロリー478㎉。
7分28秒、8分11秒、7分29秒
7分26秒、8分09秒、7分11秒
5分42秒(250m)
4月27日(日)午前、ジョギング、1時間29分48秒、12.51㎞、平均ペース7分11秒/㎞、総上昇量208m、消費カロリー915㎉。
1 6分56秒
2 7分29秒
3 7分56秒
4 6分59秒
5 6分34秒
6 6分23秒
7 6分48秒
8 6分51秒
9 7分40秒
10 9分13秒
11 6分42秒
12 7分02秒
13 6分20秒(510m)
4月28日(月)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。
4月29日(火・祝)早朝、全力・ジョギング・全力、41分25秒、6.31㎞、平均ペース6分34秒/㎞、総上昇量97m、消費カロリー427㎉。
1 7分05秒(580m)
2 5分40秒
3 6分06秒
4 8分24秒
5 7分16秒(650m)
6 5分41秒
7 6分11秒
8 6分54秒(80m)
トイレロスが響いた。
4月30日(水)早朝、ビルドアップ走、38分24秒、6.19㎞、平均ペース6分12秒/㎞、総上昇量91m、消費カロリー428㎉。
1 6分41秒
2 6分39秒
3 6分00秒
4 6分19秒
5 5分50秒
6 5分51秒
7 5分39秒(190m)
円滑に速度を上げられなかったな。
5月1日(木)早朝、室内トレーニング。
5月2日(金)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り約0.5㎏×2。
5月3日(土・祝)早朝、インターバル走、39分27秒、6.2㎞、平均ペース6分22秒/㎞、総上昇量95m、消費カロリー427㎉。
6分52秒(210m)
5分50秒、9分29秒(180m)
5分59秒、7分01秒(420m)
6分23秒、7分22秒(550m)
5分36秒、12分55秒(110m)
5分34秒(720m)
5月4日(日)午前、高山寺、2時間52分36秒、17.47㎞、平均ペース9分53秒/㎞、総上昇量627m、消費カロリー1234㎉。
1 8分09秒
2 8分22秒
3 8分24秒
4 10分14秒
5 12分56秒
6 12分50秒
7 12分55秒
8 12分33秒
9 13分55秒
10 12分58秒
11 8分57秒
12 9分26秒
13 8分49秒
14 7分10秒
15 8分25秒
16 7分20秒
17 6分40秒
18 5分32秒(470m)
久しぶりに2時間以上走った。
5月6日(火・祝)早朝、室内トレーニング。
5月7日(水)早朝、室内トレーニング。
夜、トレッドミル、30分、4.15㎞、傾斜3.0%、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、消費カロリー396㎉、手首に重り1㎏×2。
5月8日(木)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り約0.5㎏×2。
2025年
5月
07日
水
「ふつうの人」ならしているはずのことができないという事実そのものが、知事が「常識が通じない人」であることを示している。言うまでもないことだが、「常識が通じない人」は決して公人になってはならない。
2025年4月3日の内田樹さんの論考「知事の資質」をご紹介する。
どおぞ。
斎藤元彦兵庫県知事のパワハラ疑惑などを告発した文書問題で県が設置した第三者委が報告書を公表した。百条委の報告書よりも踏み込んだ内容だった。知事の言動16件のうち、職員への激しい叱責など10件をパワハラと認定し、また記者会見で元県西播磨県民局長を「嘘八百」「公務員失格」と非難し懲戒に処したことも公益通報者保護法違反とした。
この第三者委員会は知事自身の指示で昨年9月に設置されたものである。記者会見でさまざまな疑惑を指摘されるたびに知事はことの真偽当否の判断はすべて「第三者委員会が結論を出す」という回答を繰り返して、自身の説明責任を回避してきた。しかし、百条委の報告書は「一つの見解だ」として「重く受け止める」と言いながらその直後に元県民局長を貶める発言を続けて報告書の本旨を否定した。
第三者委員会の報告書は知事の公人としての資質に重大な瑕疵があることを厳しく指摘したものである。パワハラの多くが職員の説明を聞かずに「指示に従っていない」と決めつける事例だったことを踏まえて、報告書は「注意指導が必要かは事情を聞いて初めて判断しうるものである。叱責する前に事情を聞きさえすれば、前提事実について認識を誤ることはなかった」というまるで小学生に説き聞かせるような言葉づかいで書かれていた。この筆致そのものから知事の幼児性こそがすべての出来事の原因だという第三者委員会の(口には出さない)判断を行間に忍ばせていたように私には読めた。
すでに全国紙五紙が社説で知事に「責任を果たすこと」を求めている。平たく言えば「辞職しろ」ということである。ふつうならとっくに辞職している事例である。「ふつうの人」ならしているはずのことができないという事実そのものが、知事が「常識が通じない人」であることを示している。言うまでもないことだが、「常識が通じない人」は決して公人になってはならない。
(信濃毎日新聞3月28日)
2025年
5月
02日
金
14年前、私が凱風館を建てたときに、合気道の師である多田宏先生に「道場開設に当たって心すべきことがあったらお教えください」とお訊ねしたことがあった。その時多田先生は笑顔で「変なやつが来る」と即答された。
2025年3月31日の内田樹さんの論考「変なやつがくる」をご紹介する。
どおぞ。
先日、松竹伸幸さんが配信しているYoutube 番組https://www.youtube.com/watch?v=xxMw-IU9_Cwに出演した。ご存じの方も多いと思うけれど、松竹さんは『シン・日本共産党宣言』という本で共産党の党首公選制と党の安全保障政策の転換を求めたことを咎められて、共産党を除名されたアクティヴィストである。今は共産党への復党を求めて裁判をしている。
不思議な裁判である。「自分を除名した政党への復党」を求めているのである。矛盾していると思う人がいるかも知れないけれど、おそらく松竹さんの脳裏には「現実の日本共産党」と「あるべき日本共産党」の二つがオーバーラップしているのだと思う。松竹さんが復党して帰属を求めているのは「あるべき共産党」という幻想の方である。幻想なのだけれど、除名を取り消し、自分を復党させてくれるような(懐の大きな)政党になって欲しいという松竹さんの希望が彼の戦いを支えている。
「赤旗」は先の衆院選直前に「裏金問題」をあきらかにして、自民党を少数与党に追い込む上で大きな功績を上げた。でも、有権者は共産党に解散前の10議席を2議席減らすという「忘恩」で報いた。比例得票数も前回の416万から336万に20%減だった。党勢はあきらかに衰退局面に入っている。理由はいろいろである。党員の高齢化、政策面で共通性のあるれいわ新選組の躍進などが指摘されたが、「除名問題」も敗因の一つだった。
どんな政治組織でも、イデオロギー的な純化をめざせばサイズは縮減する。当たり前のことである。党中央の方針に異を唱える人たちを「分派」として処断すれば、たしかに「異物」は排除されるが、組織は小さくなる。政治組織がもし本気で現実を変えたいと望むなら、「大きくなる」のがことの筋目である。そして、組織が「大きくなる」ためには「小異を捨てて大同につく」人々を結集させるしかない。イデオロギー的な純化と組織の成長は両立しない。純化すれば縮減し、大きくなればイデオロギー的な純潔は保ち難い。
14年前、私が凱風館を建てたときに、合気道の師である多田宏先生に「道場開設に当たって心すべきことがあったらお教えください」とお訊ねしたことがあった。その時多田先生は笑顔で「変なやつが来る」と即答された。しばらく意味がわからなかった。「変なやつ」が来るからセキュリティを強化しろとか、事前に身上調査をしろとかいうようなことを先生が言われるはずがない。そのまま思案しながら道場を始めた。そして、数年してから懇談の席で何人かの門人たちから「実は入門する時は人生に行き詰っていて、起死回生の覚悟で入門したのです」という打ち明け話を聞いた。生き方を根本から変えようと思って武道の道場の門を叩いたというのは、よく考えたら25歳の私自身がそうだった。なるほど。人生を変える覚悟で入門してくるのだから「変なやつ」に決まっている。
共産党に申し上げたいのはそのことである。政治組織を立ち上げるというのは「変なやつが来る」ことを覚悟するということである。共産党に入党する人は別にカルチャーセンターで趣味のお稽古事をするようなつもりで来るわけではない。「人生を変える」覚悟で来るのである。だったらみんな「変なやつ」に決まっている。松竹さんはかなり「変なやつ」だと思う。でも、それは二十歳を少し過ぎた時に自分の人生を変える決断をして入党した人なら当然だと思う。
政党が大きくなるには「変なやつ」を包摂するしかない。その時の「大きい」という語の意味は私たちが子どもに向かって「大きくなれよ」というのとほとんど変わらない。
(『週刊金曜日』3月19日)
2025年
5月
01日
木
2025年4月の放射線量と体組成とランニングについて書く。
まず、奈良県橿原市の環境放射線量(ガンマ線)から。
2025年4月の平均値はつぎのとおり。
室内1メートル 0.0464μ㏜/h
室内0メートル 0.0459μ㏜/h
室外1メートル 0.0592μ㏜/h
室外0メートル 0.0734μ㏜/h
4つの数値が、いずれも、4か月で一番高かった。
つぎに、朝守の身体について。
2025年4月26日の数値はつぎのとおり。
体重 74.1㎏
BMI 23.4
体脂肪率 17.8%
筋肉量 57.75㎏
推定骨量 3.2㎏
内臓脂肪 13.5
基礎代謝量 1668㎉/日
体内年齢 50才
体水分率 57.5%
体重が減らない。
最後に、2025年4月のランニングの結果。
走行時間 13時間10分54秒
走行距離 114.36㎞
累積上昇 1526m
4月は、日曜日が3回走れなかったのが響いたな。
2025年
4月
30日
水
EU諸国はだいぶ前から「アメリカ抜きのヨーロッパ」のあり方について思考実験を始めている。何もしていないのは日本だけである。「日米同盟基軸」と呪文のように唱えて、日米安保以外の安全保障構想について何一つ考えないままに80年間を便々と過ごしてきた後に、トランプから「日米安保条約解消するぞ」という脅しを受けて驚嘆している。
2025年3月31日の内田樹さんの論考「日本の現状と危機について」(その3)をご紹介する。
どおぞ。
冒頭に記したように、歴史はダッチロールするけれども、決して無目的に進んでいるわけではないし、ひたすら地獄に向かって転落しているわけでもない。それなりに「よい方向」に向かってはいるのだが、その歩みがひどく遅いというだけである。「三歩進んで、二歩半下がる」くらいのペースである。それでも、人類は少しずつ「まとも」になっていると私は思う。
そう言うと「そんなことはない。人類はどんどん劣化している」と虚無的なことを言う人がいるが、そうでもない。今、奴隷制や人種差別や拷問を合法としている国連加盟国はない。もちろん、実際にはそれに類することがアンダーグラウンドでは行われているのだが、政府が公然と行うことはなくなった。
アメリカ軍はキューバのグァンタナモ基地でイラク戦争の捕虜に残虐な拷問を行っていたが、これはグァンタナモ基地が米国の法律もキューバの法律も及ばない法律的な真空地帯だからできたことである。一応拷問する側にも「これは法律違反だ」という疚しさ(のようなもの)はあるのだ。ウクライナやガザでは非道な国際法違反が行われているけれど、違反の当事者たちは「国際法違反をしているのは私たちではなく敵の方だ」と強弁している。「国際法を犯すことはよくないことだ」という建前だけはしぶしぶであれ認めているのである。その辺りが100年前とはだいぶ違う。「半歩くらいは前進している」と私が言うのはそのことである。
今トランプのアメリカでは「政治的正しさ」に対するすさまじいバックラッシュが始まっている。でも、民主主義や政治的寛容や多様性・公正性への配慮や少数者の社会的包摂に対して、これほど激しい、常軌を逸したまでの攻撃がなされるのは、近代市民社会が少しずつ育ててきたこれらの価値が、大統領が議会に諮らずに大統領令を乱発しなければ否定できないところまでアメリカ社会の中に根づいたということを意味しているというふうに(楽観的に)解釈することもできる。そういう民主的な価値観がそれなりに根づいているからこそ、MAGAの帽子をかぶっている人たちはあれほどむきになるのである。
ある若い友人は「今の日本は1930年代の日本とほとんど変わらない」と慨嘆するけれども、私はだいぶ違うと思う。1930年代の日本には治安維持法があり、特高や憲兵隊があり、何より政府の上に統帥権に護られた軍隊という実力装置があった。その時代に生きていたら、私はたぶんだいぶ前に執筆の場を失っており、場合によっては反政府的な言動を咎められて逮捕投獄されていただろう。それに比べると、今ははるかに「よい時代」である。私が政府をどれほど批判しても、あるいは反社会的カルト集団について厳しい言葉を連ねても、家までやってきて私に向かって「発言をやめろ」と実力行使をする人は(今のところ)いない。私は名前も住所もメールアドレスも公開しているから、本気で私に暴力をふるって黙らせようと思ったら、(私に物理的に激しく抵抗されるリスクを除くと)それほど難しいことはない。だが、さいわいにも今のところ誰も来ない。SNSで私の発言が「炎上」しているということは時々知り合いが知らせてくれるが、私は自分について書かれたものを読まないので、どんな罵詈雑言を浴びせられても、何の実害もない。総合的に考えると「言論の自由」は戦前よりはるかに確実に保護されていると私は感じる。
それだけ豊かに「言論の自由」を享受していながら、言論が戦前より萎縮しているということがあるとしたら、それは体制の問題ではなく、人間の資質の問題である。勇気がないとか、矜持がないとかいうのは、制度ではなく、生き方の問題である。
では、どうすればいいのか。「制度は変えられるが、人間は変えられない」という考え方もあるし、「制度を変えるのは手間がかかるが人間は(時には)わずか一言で変わることもある」という考え方もある。どちらも一理ある。変えられるものなら制度を変えればいいし、人間は変わるということに希望を託してもいい。別に二者択一ではない。両方試みればいい。私は言論人なので、「情理を尽くした言葉を以てすれば人を変えることができる」ということを愚直に信じている。それを信じるのを止めたら、私は筆を折るしかない。だから、さらに駄弁を弄する。
この原稿が載るのは4月25日発行の号だそうである。その頃、世界と日本がどうなっているか私には予測が立たない。まだ第三次世界大戦が始まっていないこと、まだ南海トラフ地震が日本列島を襲っていないことを願うばかりである。
最も劇的に変化しているのはアメリカだろう。ドナルド・トランプとイーロン・マスクによる連邦政府の再編(というより破壊)はどこまで進んでいるか。どこかで司法のブレーキがかかっているか。あるいは共和党内部から「支持者たちが急激に離反している。これでは中間選挙で惨敗する」という泣訴がホワイトハウスに届いて、トランプの暴走が止っているかも知れない。トランプのすることは誰にも予測できない。
それにアメリカ外交は伝統的に「戦略的曖昧さ」をカードに使って来た。トランプは「カード」という比喩が好きなので、「次にどんなカードを切って来るか、予測が立たない」と他国の指導者に思わせることでゲームを支配しようとしている。トランプはこのスタイルを手放すことはないだろう。
「戦略的曖昧さ」をニクソン大統領の時はもっとひどい言い方で「マッドマン・セオリー」と言った。「大統領の気が狂って核ミサイルの発射ボタンを押すかもしれないと思うと、仮想敵国は行動が抑制的になるので、大統領は狂ったふりをする方が外交的優位に立てる」というとんでもないアイディアである。でも、「ニクソンは心理的危機にある」という風説が流布されている間に、ニクソンはドル金本位制を廃止し、中国との和解を実現し、ソ連との核戦争を回避した。マッドマンはそこそこ「いい仕事」をしたのである。トランプがこの「成功事例」を真似してはいけない理由はない。
起こり得るうち最も衝撃が大きいのは、アメリカのNATOからの脱盟(もっと衝撃が大きいのは「国連脱退」だが、たぶんこれはないと思う)、私たち日本人にとって最も衝撃的なカードは日米安保条約の解消である。
NATO諸国はすでに24年選挙での「トランプ優勢」が伝えられて以後「アメリカ抜きのヨーロッパ安全保障構想」について真剣に考え始めていた。マクロン仏大統領はアメリカに代わって仏の「核の傘」でヨーロッパを守るという構想を示した。中東和平のためにはトルコがアメリカに代わってキープレイヤーとしてプレゼンスを増すことになるだろう。NATOのもう一つの脱アメリカ戦略は中国との「中立」盟約だと私は思う。EU諸国が一番恐れているのはロシアの軍事力である。ウクライナ戦争の趨勢によってはポーランドとフィンランドがロシアの直接的な脅威にさらされる。ロシアもいきなり軍事侵攻することはないと思うが、「いつでもその気になれば軍事侵攻する」という恫喝は止めない。そんなロシアに抑制的にふるまうように要請する仕事ができるのはロシアの最大の支援国である中国だけだ。習近平もアメリカとは非妥協的に対立しているが、NATOとことを構える気はない。アメリカが市場の扉を閉じた場合に、EUは中国製品にとって最重要の市場になる。「一帯一路」構想にEUが全面的にコミットすると提案すれば中国は歓迎するだろう。中国がロシアの「止め役」を引き受けてくれるなら、NATOは対ロシアの安全保障経費をかなり削ることができる。フランスは伝統的に中国と宥和的なので、マクロンが習近平に談判に行くという展開もあるような気がする。英国が「ブレグジット」の失敗を糊塗するために「対ロ安全保障」を口実にEUに復帰するという可能性だってある。
というふうに、EU諸国はだいぶ前から「アメリカ抜きのヨーロッパ」のあり方について思考実験を始めている。何もしていないのは日本だけである。「日米同盟基軸」と呪文のように唱えて、日米安保以外の安全保障構想について何一つ考えないままに80年間を便々と過ごしてきた後に、トランプから「日米安保条約解消するぞ」という脅しを受けて驚嘆している。
もう何度も書いたことだが、以前ある高名な政治学者と対談した時に、「日米安保以外に日本にはどんな安全保障の仕組みがあり得るでしょうか」と質問したことがあった。素人の好奇心から、どんなシナリオがあり得るか専門家の知見を求めたのである。でも、この学者は絶句してしまった。その時に、日本の政治学者たちは「日米安保以外の日本の安全保障体制」を話題にする習慣がないらしいということを知った。今も事情は変わらないだろう。政治家も官僚も政治学者も誰も「日米安保以外の安全保障構想」について考えたことがないのだ。
だから、日本政府はトランプから何を要求されても、それこそ「在日米軍基地を米国領にする」と言われても受け入れるだろう(トランプがそれを思いつかないことを願うばかりである)。
だから、日本については残念だが、あまり希望の余地はない。できることがあるとすれば、まず政権交代して、第二次安倍政権以来のたまった「膿」を出すこと(「政治改革」などという悠長なことではなく、公人として不適切な政治家を国事にかからわせない)。中枢的な管理や統制が日本の生産性を低下させているという事実を認めること。教育と医療と農業への優先的に予算配分すること。この三つがとりあえず最も緊急性の高い政策課題だろう。
どうすれば実現できるのか、道筋は見えない。私たち一人一人は今自分にできることから始めるしかない。私は自分の道場共同体を「コモン」として機能させることを余生の課題にしている。私が主宰する共同体は今のところはせいぜい200人くらいしか収容できない。でも、ここに帰属していれば、何があっても相互支援のネットワークによって守られる。その保証ができる範囲は私の力ではそれくらいである。それを少しずつ広げてゆきたいと思っている。
「コモンの再生」は日本列島各地で、同時多発的に、サイズの異なるさまざまな相互扶助共同体の形成運動として進められている。この何百何千の「コモン」はこれからゆるやかなつながりを持つようになる。それは従来型の中央集権型の「ハブ&スポーク」ネットワークではなく、一つのコモンがいくつものコモンに繋がって、地下茎のように広がるという分散型ネットワークになるだろう。それが日本再生の手がかりになるということは想像がつく。でも、私が生きているうちにその成果を見る機会はないと思う。
(2025年3月17日)
2025年
4月
28日
月
トップダウンの組織が機能的で生産的であるのは、トップが「賢い人」である場合に限られる
2025年3月31日の内田樹さんの論考「日本の現状と危機について」(その2)をご紹介する。
どおぞ。
「組織マネジメント原理主義」という言葉を先ほどから使っているが、見慣れない単語だと思う。私の造語だから、みなさんがご存じなくても当然である。組織が「何を創り出すために存在するのか」には副次的な関心しかなく、その組織が「どのように中枢的に管理されているか」を主たる関心とする考え方のことである。1990年代の半ばから日本社会に浸透してきて、2010年代に支配的なイデオロギーになった。
私が記憶している限り、組織マネジメント原理主義が日本社会に「大きな一歩」を刻んだ決定的な日付は公立校の教職員に君が代の起立斉唱を義務づける全国初の条例案が大阪府議会で成立した2011年である。
この条例は橋下徹知事が率いる「大阪維新の会」が提出した。府内の公立校の学校行事で君が代を斉唱する際、「教職員は起立により斉唱を行うものとする」としたのである。
それまでも、都道府県教委は学校に対し国旗・国歌法や学習指導要領などを根拠に、「君が代」斉唱時の起立斉唱を指示し、起立を拒む教職員は処分してきた。でも、大きな違いがあった。それまでの国歌斉唱の指示が「愛国心の高揚」という政治目的をあきらかに第一義的にめざしてきたのに対して、この条例が「公務員の規律の厳格化」を第一義に掲げたことである。
起立斉唱を拒んだ教員を処分した際の記者会見で、橋本知事はこれが政治的イシューではないという点を強調した。これは言論の自由の問題でも、良心の問題でもない、純粋にビジネスライクな就業規則違反問題である。校長の業務命令に違反したので当該教員を処罰する。政治問題ではなく、組織マネジメントの問題である。そう言明したのである。
私はこの時の記者会見の映像をテレビニュースで見ていたが、この時の「国歌斉唱を拒んだ教員の処罰は組織マネジメントの問題である」という言い分に、記者たちが一人も反論しなかったことに強い衝撃を受けた。「おい、君らは『組織マネジメントの問題だ』と言われたら、誰一人反論できないのかよ」と思ったのである。組織マネジメントなんてどうだっていいじゃないか。それよりは国歌国旗に対してどういう態度をとるべきかについて市民ひとりひとりが熟慮する機会を保証することの方が国民国家にとってははるかに重要じゃないか、と。
国民国家というのは一つの政治的擬制である。17世紀にウェストファリア条約とともに誕生した比較的新しい政治単位である。「国境」線で画定された「国土」の中に人種、言語、宗教、生活文化において同質性の高い「国民」(nation)が集住して、国家(state)を形成するというモデルである。それ以前の基本的政治単位は多人種、多言語、多宗教が混在する「帝国モデル」であった。帝国が解体することになったのは、宗教戦争があまりに大きな災禍をもたらしたので、「同一宗教の人たちだけで集まって国を作り、隣国の人が何を信じていようと気にしないことにしよう」ということになったからである。窮余の一策である。でも、それが世界標準になったのは、フランス革命以後である。
この時のフランス軍は義勇兵たちで構成されていた。彼らはフランス革命の大義を全ヨーロッパに宣布するために進んで銃を執った。それまでの戦争は多くは王侯貴族が領土や王位継承をめぐって傭兵を使って行うものだった。プロの兵士たちが戦っている横で、農民は土地を耕し、商人は商売をしていた。戦争は戦争、生活は生活と切り分けられていた。でも、フランス革命軍は違った。彼らは傭兵ではなく、ふつうの市民だった。彼らの戦いを経済人たちも、メディアも、教師も、芸術家も、銃後の家族たちも全力で応援した。「総力戦」というものがこの時初めて歴史に登場したのである。だから、フランス軍はとてつもなく強かった。前線で負傷して片足切断の手術を受けたフランス軍の将校がそのまま騎乗して前線に駆け戻ったという逸話があるけれど、こういう気の狂ったような戦い方を傭兵はしない。ふつう戦闘では損耗率が30%に達すると組織的戦闘がもうできなくなるので、白旗を掲げて降伏するというのが古来の決まりであったけれども、ナポレオン軍は違った。近衛兵にニコラ・ショーヴァンという兵士がいた。敵兵に囲まれて衆寡敵せず白旗を掲げようということになったときに、「ナポレオン軍の兵士に降伏という選択肢はない」と言って、単騎敵陣に突っ込み、全軍が後に続いた(と言われているが、おそらく後世の作り話だろう)。でも、これが「狂信的愛国主義(ショーヴィニズムchauvinism)」という政治概念の語源になった。それまではそんな「変なこと」をする兵士はいなかったのである。
ウェストファリア条約の時に「戦争を終わらせる」ために発明された国民国家は、ナポレオン戦争の時に「戦争に勝つ」装置として異常な性能の高さを発揮した。「国民国家は戦争に強い。」それはナポレオンに蹂躙された全ヨーロッパの実感であった。こうして19世紀に全ヨーロッパは国民国家に再編された。国民国家でなければ総力戦が戦えないということがよくわかったからである。ドイツもイタリアも日本もほぼ同時期に、それまでいくつもの王国や藩に分断されていた地域が一つの国民国家になったけれど、要するに「国民国家にならなければ、他国に侵略される」と人々が信じるようになったからそうなったのである。水戸学の人たちが幕末に書いたもの(例えば会沢正志斎の『新論』)からはその焦燥と不安がありありと伝わってくる。
国民国家というのはそういう歴史的条件の下で形成された政治単位である。だから、歴史的条件が変わればまた変質する。場合によってはなくなるかも知れない。その地殻変動的遷移にきちんとモニターしていなければ、国力は衰微するし、悪くすると滅びる。
だから、「国民国家とは何か。それに市民たちはどう向き合うべきなのか。市民は国民国家に何を求め、何を提供すべきなのか」について熟慮することは国民国家全員の義務であり、権利なのである。「いいから黙って国旗に礼をして、国歌を斉唱しろ。これは単なる業務命令だ」というのは、国民に向かって「国民国家とは何か」を問うことを止めろということである。市民的成熟をするなと命じることである。そんなことを受け入れられるはずがない。国民の権利と義務を業務命令とそれに対する諾否の問題に矮小化することを、私は一人の「愛国者」として決して許すことができない。
でも、その頃、私のように考える人は日本社会にはほとんどいなかった(今もたぶんほとんどいない)。私はその時に「いずれ組織マネジメント原理主義が日本を滅ぼすだろう」と思った。そして、その予想通りに事態は進行している。
いいから黙って上の言うことを聞け。命令の適否について判断する権利は下僚にはない。現場で何が起きても自己判断で何かしてはならない。必ず上位者に報告して、その指示を仰げ(それまではフリーズしていろ)。これがある時期からすべての業界でのルールになった。そうすれば組織はきわめて効率的に機能するはずだと「組織マネジメント原理主義者」は信じているが、こんな「信仰」には実は何の現実的根拠もない。
トップが指示を出しても、途中で「こんな理不尽な指示には従えません」とか「こんなくだらない命令出したバカは誰だ」というような「抵抗」に遭遇すると、トップの意向はなかなか物質化しない。そういうことがあると面倒なので、小うるさいことを言う部下を全部排除して、イエスマンだけで組織を固めれば、トップの指示はただちに現場で物質化するだろう。そうすれば最高に効率的な組織ができるはずだった。
でも、そうならなかった。当たり前である。トップダウンの組織が機能的で生産的であるのは、トップが「賢い人」である場合に限られるからである。
しかし、ご案内の通り、トップダウン組織の運営ルールに「この組織内で最も賢い人をトップに据える」という項目は存在しない。「賢い人」をトップに導くためのプロモーションシステムがトップダウン組織にはビルトインされていないのである。
最初にトップダウン組織を創り上げた人物はそれなりの手腕があっただろうと思う。かなりの力量がなければ、そんな無理な組織作りはできない。けれども、その人が去った後にトップに座るのはたいていが創業者のかたわらにいて「おべんちゃら」技術に長けたイエスマンである。彼らは「トップの命令にはその適否にかかわらずなんでも従う」ことでその地位を得た「組織マネジメント原理主義者」である。
そういう人たちが何代か続いて組織の頂点にいると、「この組織はそもそも何のためにあるのか」という根本のことを誰も問わなくなる。そして、「組織がどうマネージされているか」ばかりが優先的に問われる創造性も生産性も何もない組織が出来上がる。日本のGDPが急坂を転げ落ちるように低下するのも当たり前である。
愚痴を言っても始まらないが、こういう歴史的遷移は50年くらいにわたって日本人の組織作りを観察していないとわからない。「どうしてバカばかり選択的に出世する仕組みができたのか」の答えは経営書には書かれていない。実際に自分の属する組織がそういうものに改変されられた経験を持つ人間(あるいは私のように自分が実際にそういうトップダウン組織を作ろうとして、あとから激しく後悔した人間)にしかわからない。
でも、どこかでこのような趨勢も「底を打つ」だろうと私は思っている。いくら何でも「ばかばかしいこと」をひたすら続けられるほど人間は愚かではない。どこかで補正の動きが行われる。
2025年
4月
25日
金
その時代に経営者の「鑑」と言われたのは松下幸之助や井深大や本田宗一郎であった。彼らは社員たちがどうすればその潜在的な能力を開花できるか、どうすればオーバーアチーブメントを果たすようになるか、そのための就労環境の整備にもっぱら知恵を絞った。町工場を短期間のうちに世界的な企業に成長させたこれらの経営者たちは、組織マネジメントとか、社員の精密な勤務考課とか、そういうことには副次的な関心さえ示さなかった。
2025年3月31日の内田樹さんの論考「日本の現状と危機について」(その1)をご紹介する。
どおぞ。
『建設労働のひろば』という変わった媒体から寄稿を頼まれた。12000字という字数要請だったので、あちこちに脇道に入り込んで無駄話をすることになった。たまにはそういうのも許して欲しい。
寄稿依頼の趣旨は「劣化する民主主義、広がる格差、極まる『自分ファースト」、戦争が終わらない世界情勢など、国民が直面する危機的な日本の現状とその要因について、また(ほんの少しでも)希望について語っていただけないでしょうか」というものだった。
同じようなことをよく訊かれる。だから、答えもだいたいいつも同じである。だから、以下の文章を読まれた方が「これ、前にどこかで読んだことがあるぞ」と思っても当然である。でも、それを「二重投稿だ」と咎められても困る。「現実をどう見ますか」という問いにそのつど新しい答えを出せるはずがない。いつもの話である。
長く生きてきてわかったことの一つは、歴史は一本道を進むわけではなく、ダッチロールするということである。人々が比較的知性的で人情豊かな時代もあるし、反知性主義者が跳梁跋扈する時代もある。
私の知る限りでは、1950年代の終わり頃から1970年代の終わり頃までは、日本社会はわりと「まとも」だった。それは戦中派の人たちが社会の中枢にいたからだと今になると思う。戦中派の人たちは国家というのがどれほど脆いものか、どれほど国民を欺くものかを身をもって思い知らされた。でも、その脆くて信用ならない「国家」という枠組み以外に生きる場所がないこともわかっていた。人間という生き物が状況次第でどれほど非道にも残虐にもなれるかも実見したし、その逆に人間が時にどれほど勇敢であったり、道義的であったりするのかも見てきた。
世の中は複雑だ。一筋縄ではゆかない。人間にはいいところも悪いところもある。「そういうものだ」と受け入れる以外にない。そういうほとんど諦観に近い「清濁併せ吞む」的な鷹揚さが戦中派の人たちには共通してあったと思う。人間に厚みや奥行きがあったと言ってもいいし、「陰の部分」や「誰にも言えない秘密」があったと言ってもいい。そういう人たちは人間の愚かさや軽薄さに対して割と寛大であった。「人間にそれほど期待してもしかたがない」と諦めていた部分があった。でも、それは私たち子どもにとってはありがたい環境だった。大人たちは瓦礫の中から社会を再建することに忙しかったし、子どもの数も多かったから、子どもたちは「好きにしていなさい」と放置されていた。
その時代の日本がわりと「まとも」だったのはその「ゆるさ」が原因の一つだったと思う。実際に日本はその時代に驚異的なペースで経済成長を遂げ、短期間のうちに世界第二位の経済大国になり、80年代半ばにはアメリカを追い抜いて、世界第一の経済大国に指先がかかっていた。85年のプラザ合意でその夢は断たれたけど、上の方にいる人たちが細かいことをがたがた言わずに、若者を好きにさせてくれた時代に経済活動は活発になるということは、とりあえず私たちの世代にとっては所与の現実だった。この確信はその後も揺らいだことがない。
この時期は政治活動もきわめて活発だった。1960年代の終わりから、70年代の初めにかけて、全国の大学の多くはほとんど教育活動ができない状態だった。無法状態の大学で学生たちはここでも「まあ、好きにしてなさい」と放置されていた。でも、なぜかこの時に学生院生だった人たちの中からその後世界的な水準の業績を上げる研究者が輩出した。
70年代に日本人の40%以上が社会党・共産党に支持された政治家が首長である革新自治体で暮らしていた。自民党政権の統制が及ばない地域が日本列島に広がっていたわけだから、政府にとっては納得のゆかない時代だっただろうが、この時期の経済成長率は毎年10%(!)を超えていた。不思議なものだ。あちこちでデモやストライキが行われている時期が、戦後日本では最も経済活動が活発だったのである。
そして、政治の季節が終わって、高等教育機関がきびしい統制の下に入るようになるにつれて、学術的アウトカムは次第に貧しくなり、「内部統制」がその極限に達して、すべての研究教育活動が中枢的に管理されるシステムになった時に(今がそうだ)、学術的アウトカムは質量とも戦後最低レベルになった。経済成長もぴたりと止まった。
経済成長にはさまざまなファクターが関与しているから、簡単なことは言えないが、管理と創造がゼロサムの関係であったことは戦後日本においては否定できない歴史的事実である。社会が中枢的に管理されていない自由な時代に人間はそのパフォーマンスを最大化し、逆に管理が徹底し、個人の可動域が制約されるにつれて創意は失われ、生産性は低下した。管理と創造は食い合わせが悪い。これは1950年生まれの私が経験的に確言できることである。
それくらいのことは長く生きていれば誰にでもわかるし、誰にでも言える。別に特段賢い必要もない。でも、それでも、これは長く生きていないとわからない。20年、30年という短いタイムスパンの間で起きた出来事だけを見ていると、「管理と創造がゼロサムの関係にある」というようなことはわからない。理屈としてはわかっても、実感としてはわからない。
今、日本社会で制度設計をしている人たちのうち40代50代の人たちは日本社会がアナーキーでワイルドで鷹揚で、それゆえ創造的だった時代を知らない。見たことがないのだから仕方がない。だから、子どもの頃から刷り込まれてきた「管理を徹底することで組織は効率的に機能する」というイデオロギーを疑うことを知らないでいる。気の毒である。
「組織マネジメント原理主義」というのは、私が若い頃にはなかった。トップダウンの組織が最も効率的であると信じている人は戦後の企業経営者にはほとんどいなかった。彼らが知っているトップダウン組織の最たるものは軍隊だった。そして、それがどれほど非効率で反知性主義的なものだったかを彼らは敗戦という事実を通じて骨身にしみて知っていた。だから、上位者の命令がどれほど理不尽であっても、それに唯々諾々と従うイエスマンが最も重要な労働者の資質であるというようなことを言うと「軍隊じゃないんだから」という半畳が入った。
その時代に経営者の「鑑」と言われたのは松下幸之助や井深大や本田宗一郎であった。彼らは社員たちがどうすればその潜在的な能力を開花できるか、どうすればオーバーアチーブメントを果たすようになるか、そのための就労環境の整備にもっぱら知恵を絞った。町工場を短期間のうちに世界的な企業に成長させたこれらの経営者たちは、組織マネジメントとか、社員の精密な勤務考課とか、そういうことには副次的な関心さえ示さなかった。
上位者の命令に黙って従うイエスマンであることが最優先に求められるようになったのは、この30年ほどのことである。90年代の後半から価値創造より組織管理を優先させる組織マネジメント原理主義者たちが登場してきて、あらゆる組織を仕切るようになってきた。
今の企業経営者たちは社員たちの潜在可能性を開花させることには何の関心もない。彼らの労働力からどれだけ剰余価値を搾り取るかにしか興味がない。そして、困ったことに、働いている人たちもそのことに特段の不満を抱いていない。ビジネスの成功者というのは誰もがそういうものだと思っている。エゴイストでなければ成功できないのだと思っている。そして、成功した人間には成功していない人間に屈辱感を与える権利があると思っている。繰り返すが、まことに気の毒な話である。
2025年
4月
24日
木
4月18日(金)早朝、丘の階段641段、50分33秒、7.22㎞、平均ペース7分00秒/㎞、総上昇量142m、消費カロリー529㎉。
1 6分38秒
2 6分33秒
3 7分11秒
4 8分20秒
5 8分54秒
6 5分49秒
7 5分52秒
8 5分47秒(220m)
4月19日(土)早朝、ウインドスプリント300m×10本、50分56秒、7.63㎞、平均ペース6分41秒/㎞、総上昇量61m、消費カロリー542㎉。
6分52秒、6分56秒、6分59秒(70m)
1分19秒0(4分56秒/㎞)、1分21秒8(5分05秒/㎞)
1分10秒9(4分34秒/㎞)、1分15秒9(4分41秒/㎞)
1分10秒6(4分23秒/㎞)、1分17秒0(4分49秒/㎞)
1分11秒1(4分25秒/㎞)、1分17秒2(4分51秒/㎞)
1分10秒8(4分30秒/㎞)、1分22秒8(5分06秒/㎞)
6分45秒、6分43秒、6分30秒(100m)
4月20日(日)、休足。
4月21日(月)、休足。
4月22日(火)早朝、テンポ走、39分15秒、6.22㎞、平均ペース6分19秒/㎞、総上昇量93m、消費カロリー432㎉。
1 6分36秒
2 6分47秒
3 5分55秒
4 6分30秒
5 5分54秒
6 6分16秒
7 5分59秒(220m)
4月23日(水)早朝、室内トレーニング。
夜、トレッドミル、30分、4.15㎞、傾斜3.0%、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、消費カロリー396㎉、手首に重り1㎏×2。
4月24日(木)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り約0.5㎏×2。
2025年
4月
23日
水
自分が選んだテーマについて、あれこれ調べたり、考えたりしているうちに「ふと思った、たぶん自分以外にはあまり思いつかないこと」、それが「私見」です。
2025年3月27日の内田樹さんの論考「2025年度寺子屋ゼミテーマ「カオス化する世界と日本:どこに希望はあるのか?」」をご紹介する。
どおぞ。
来季のテーマは「カオス化する世界と日本:どこに希望はあるのか?」です。
なんだか毎年同じようなテーマでやってますね。
でも、仕方がありません。世界が平和だったら、もっと穏やかなテーマで、宗教とか文学とか哲学とかを心静かに論じるということだってできるんですけれど、なにしろ世界情勢がこれですからね。明日の世界がどうなるかわからない。日本が戦争の当事国になる可能性さえある状況ですから、せめて「何が起きているのか」について、その文脈と意味だけはおさえておきたいと思います。
今回は「カオス」という語をタイトルに入れて、発表をお願いします。
テーマについては以上です。
それから「ゼミ発表とは何か」というもう少し一般的なご注意を申し上げます。
寺子屋ゼミはあくまで「ゼミ」ですから、発表者に求められるのは「モノグラフ(monograph)」の提示です。
(1) 論点は一つに限定すること。
(2) それについて聴講生たちに十分な情報提供を行うこと。
(3) その論点について私見を述べること。
これまでのゼミ発表を見ていると、「私見を述べる」という点の詰めが甘いように思います。
「私見」というのは「私が言わないとたぶん誰も言いそうもないこと」です。必死で頭を絞らなくても、これは出てくるはずです。ふだんだってそれと気づかぬうちにやっていることなんですから。自分が選んだテーマについて、あれこれ調べたり、考えたりしているうちに「ふと思った、たぶん自分以外にはあまり思いつかないこと」、それが「私見」です。
もしかすると、みなさんの中には「客観的な事実の摘示にとどめて、私見を述べないこと」が知的に抑制的なふるまいで、「よいこと」だと勘違いしている人がいるかも知れません。それは違います。「自分以外には誰も言いそうもないこと」だけが学術的な「贈り物」になります。学術というのは集団的な営みだからです。そして、ここからちょっと大変なんですけれど、ある知見が「自分以外には誰も言いそうもないこと」であることを示すためには、「自分以外の方たちが言っている『常識的な知見』とはどういうものであるか」を明らかにする必要があります。
よろしいですか、ゼミ発表において一番たいせつなのは「ちゃんと説明すること」です。「ちゃんと説明する」というのは「自分でも腑に落ちるように、自分にもわかるように説明すること」です。他人の書いたものを引いてきて、それを切り貼りしただけでは、他の人には「説明」のように見えても、自分に対する「説明」にはなりません。そういうものなんです。「自分にもわかるように説明する」というのは、咀嚼して、嚥下して、消化して、自分の身体に取り込まれたものだけを差し出すということになります。
自分の言葉でしか「説明」という営みは成立しないんです。そして、その時に初めて学術的なオリジナリティというものが立ち上がる。孔子が『述べて作らず』と言ったのは、そのことです。「私は先賢の言葉を祖述しているだけで、何も新しいものもそこに加算していない」と孔子は言ったわけですけれども、「先賢の言葉を祖述する」というのは、それ自体が創造的な営みなんです。だから、「祖述者」という立ち位置にこそ「非主体的な主体性が存立する」という感動的な「説明」を白川静先生は『論語』について書かれたのでした。ほんとうにそうなんです。「説明」は「創造」であり、「祖述」は「創造」である。ほんとに。
では、寺子屋ゼミの発表者のみなさん、どうぞがんばってください。
2025年
4月
22日
火
みなさん、こんにちわ。本日は事務局担当日です。
先日の土曜日は暑かったですね~!
急に夏日到来で、あわてて夏服をひっぱり出してきました。
衣替えがおいつきません😿
ゴールデンウィークもいいお天気に恵まれそうですね😄
先日、うちの子どもが18歳のお誕生日を迎えました。
すっかり忘れていて、2日前にうっわ!!!💦と気がつき、慌ててケーキを予約しに。
がっつり自分の予定を入れてしまっていたダメ母ですが、子どもも子どもで部活や塾に忙しく、小学生の頃のように好きなモノを食卓いっぱいに並べて家族でお祝い、なんてことはもう何年もしていません。
民法改正で2022年から急に18歳が成人になったので、
超アニバーサリーイヤーだったわけですが
生まれて4○年間ずっと20歳が成人だったので、全然ぴんときません💦
市町村の成人式も20歳で行われていますもんね。
そのうち18歳で行われたりするのかな。
18歳が「成人」になりましたが、「20歳」にならないとできないこともあったはず・・・とGoogle先生にお尋ねしたところ、政府広報オンラインというホームページにこのように書かれていました。
親権者の同意なくクレジットカードが作れたり、ローン契約ができちゃったりなんて
うちのぽやぽやしている子どもには恐ろしい限りです・・・。
うちの子の場合は、18歳でも20歳でもそのあたり大して変わらん、という話もありますがっ💦
とはいえ、大きなけがや病気をすることなく育ってくれたことに感謝したいと思います😊
2025年
4月
21日
月
「査定」の反対は「修行」である。先達について道を歩むことである。これほど査定と縁遠い営みはない。
2025年3月26日の内田樹さんの論考「査定と修行」をご紹介する。
どおぞ。
人はなぜ「呪いの言葉」を浴びてまでエゴサーチするのかという話の結び。
それは若い人たちが「客観的で厳密な査定」に身をさらすことを社会的な義務だと感じるように訓育(洗脳)されてきたせいだと私は考えている。
私自身は他人からの評価には興味がない。師と仰ぐ方たちからの評価は気になる。でも、師というのは「励ましの言葉」を送ることはあっても、「肺腑を抉るような評言」は決して口にしないものなのである。師は私の成長を願っているのであって、私が厳密な自己評価を得ることを望んでいるわけではない。もし評価が私の努力するインセンティブを損なうような質のものなら、「内田君はそんなものは知らないでいいよ」と考えているのだと思う(たぶん)。
「査定」の反対概念は何だろうと訊くと、みんな考え込んで返答に窮するけれど、私はそれほど難しい問いだとは思わない。「査定」の反対は「修行」である。先達について道を歩むことである。これほど査定と縁遠い営みはない。
修行においては自分が全行程のどの辺まで来たかを知ろうとする者はいない。自分が踏破した距離やそれに要した時間を他の修行者と比べて「勝った負けた」と騒ぐ者もいない。自分の修行がどれくらいのレベルか100点満点で査定してくれと師に請う者もいない。修行においては誰も相対的な優劣を競わない。修行が進んだ者が初心者より多くの資源分配に与って「いい思い」をするということもない(自ら引き受ける課題の難度が上がるだけである)。
私は25歳の時から武道の修行者として生きて来た。誰とも相対的な優劣を競わず、ただ師の後を歩んできた。その後、私は研究者になり、本を書き、門人を育ててきたが、どれも他の人と優劣を競い、競争で勝つことを求めてしたことではない。修行者にはストレスがない。査定に苦しむ若い人たちにそのことだけでも伝えておきたいと思う。
2025年
4月
18日
金
あらゆる出来事には「前段」がある。その前段にもそのさらに前段がある。それをどこまでも遡及してゆくことでその出来事の意味がわかる。
2025年3月24日の内田樹さんの論考「大滝詠一師匠をめぐって」をご紹介する。
どおぞ。
菅間 あと、師をめぐる、ちょっと派生的な質問になります。内田さんは、師匠は3人いるっておっしゃっていて、ひとりが哲学者・レヴィナス先生、ひとりが先ほども名前があがった合気道の多田先生、そしてもう一人が、ミュージシャン・大瀧詠一さんだと。『街場の芸術論』所収の「大瀧詠一の系譜学」は読ませていただきましたが、改めて、内田さんにとって大瀧さんはどんな存在なのか、内田さんの大瀧愛などについて伺ってみたいんです。
内田 大瀧さんというのは、僕にとっては自分の研究スタイルについての師匠なんです。大瀧さんは活字媒体じゃなくて、ラジオのDJ番組を通じて、膨大な音楽史的な知識の一端を披歴してくれた。それに対してまったく課金するということをしなかった。いかなる代償も求めず、僕たちに豊かな贈り物をしてくれたわけです。
大瀧さんは天才的な音響記憶の持ち主でした。たぶん一回聴いたメロディはほぼ再生できるんじゃないかな。映画評論家の町山智浩さんの場合は画像記憶ですね。一回観た映画はどんな細部まで記憶している。
菅間 談志も、一回聞いた落語は忘れないって言っていました。
内田 談志もそうですか。そういう天才っているんですよね。僕が大瀧さんから教わったのは物事の関連性を探求することの大切さです。あらゆる出来事には「前段」がある。その前段にもそのさらに前段がある。それをどこまでも遡及してゆくことでその出来事の意味がわかる。「あれって、これじゃん」という気づきがある。
ですから、大瀧さんはオリジナル神話には批判的でした。オリジナルな楽曲なんてあり得ないから。どんな楽曲もどこかから素材を借りてきている。全部どこかから何かをパクってきてる。でも、音楽を作るというのはそういうことだから、それでいいんだって言うんです。「述べて作らず」なんですよ、まさに。
菅間 ここで内田さんの口癖、「述べて作らず」に通じるわけですか。大瀧さんは日本のロック界の孔子だったんですね!
内田 そうなんですよ。実際に大瀧さんは、挑戦的にあきらかにパクリの楽曲をいくつも作っています。『What I say 音頭』なんていうのがあるし、『コブラツイスト』はツイストの名曲を4小節ずつ切り出して、並べただけなんです(笑)。アニメの『ちびまる子ちゃん』のテーマ曲「うれしい予感」はピクシーズ・スリーというアメリカのガールズグループの「Cold Colld winter」という曲そのままです。大瀧さんはあえて挑戦しているんです。これを「盗作」とか「パクリ」とかいう言葉で言って欲しくない、音楽を作るというのは「こういうこと」なんだ、と。完全にオリジナルな楽曲なんかこの世に存在しない。だから、自分たちの音楽的感受性を形成した「前段」には相応の敬意を払いなさい。私たちはゼロからものを作ったわけじゃない。「祖述」しているだけなんだ、と。
菅間 それも、全く内田さんと同じじゃないですか! 著作権フリーでいいよっていう。
内田 いや、同じなんじゃなくて、僕が大瀧師匠から学んだことなんです。僕は大瀧さんのラジオ番組、Go!Go!NiagraやSpeech Balloonや山下達郎さんとの「新春放談」を録音した音源を、車の運転をしているは間ずっと聴き続けています。もう50年近くになりますから、僕が「その人の声を最も長時間聴いた人」は家族でも友だちでもなくて、大瀧さんなんです。それだけ聴いても大瀧さんの音楽史的知識の深さと広さには追いつかない。
菅間 そういう、凄まじく該博な知識があっての大瀧さんの傑出した音楽理論、「分母分子論」なんですね。
内田 まさにそういうことです。その分母の大きさが半端じゃない(笑)。
「無人島レコード」という企画があって、「無人島に1枚だけレコード持ってくんだったら何持ってきますか」というアンケートなんです。僕は、古今亭志ん生の落語のCDを持っていくって答えたんですけれど、大瀧さんは『レコード・リサーチ』っていうカタログを持っていくって言うんですよ。1962年から66年までの曲は完璧に記憶しているから、その頁を開くと脳内で音楽が鳴り出す。それを読んだ時にはちょっと寒気がしました(笑)。全ての曲を頭の中で鳴らせるんだ!って。すごいなぁと。
それから、大瀧さんは「ロックンロールは音質の悪いカーラジオで聴かなきゃダメ」って言ってて(笑)、福生の45スタジオに伺った時に、一度だけ大瀧さんのキャデラックに乗せて頂いたことがありました。その車の中で爆音でロックンロールを聞かせてもらった。忘れられない思い出です。こういう偉人を「師匠」と呼ばずして、何と言ったらいいのか。
(3月10日)
2025年
4月
17日
木
4月11日(金)早朝、全力・ジョギング・全力、38分52秒、6.23㎞、平均ペース6分14秒/㎞、総上昇量76m、消費カロリー437㎉。
1 6分54秒(580m)
2 5分34秒
3 5分47秒
4 7分15秒
5 7分32秒(630m)
6 5分37秒
7 5分48秒
8 5分39秒(20m)
4月12日(土)、休足。
4月13日(日)雨、休足。
4月14日(月)早朝、ビルドアップ走、41分00秒、6.21㎞、平均ペース6分36秒/㎞、総上昇量82m、消費カロリー438㎉。
1 6分50秒
2 7分05秒
3 6分19秒
4 6分59秒
5 6分08秒
6 6分23秒
7 6分07秒(210m)
思うように速度が上がらなかった。
4月15日(火)早朝、室内トレーニング。
夜、トレッドミル、30分、4.15㎞、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、傾斜3.0%、消費カロリー396㎉、手首に重り1㎏×2。
4月16日(水)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り約0.5㎏×2。
4月17日(木)早朝、インターバル走、39分32秒、6.2㎞、平均ペース6分23秒/㎞、総上昇量89m、消費カロリー435㎉。
1 5分40秒
2 5分51秒
3 6分19秒
4 5分46秒
5 6分09秒
2025年
4月
16日
水
弟子は師の背中を見つめて歩むだけで、他の人と勝敗強弱巧拙を競うようなことはしないのである。
2025年3月21日の内田樹さんの論考「弟子であること」をご紹介する。
どおぞ。
毎年韓国から凱風館にお客さんたちがおいでになる。私の本の読者たちである。私の本の多くを韓国語訳してくださっている朴東燮(パクドンソップ)先生が企画して、引率してくれるのである。
今年は二組がいらした。最初は地方で共同体を作ろうとしている移住者たち、二度目は出版関係者たち。来館者たちからいろいろ質問を受けて、それに私がお答えするという趣向である。
一番面白かった質問は「先生はどうして、そんなにものごとにこだわらないでいられるのですか?」というものだった。つい笑ってしまったけれど、ご指摘の通りであるので、こうお答えした。「弟子だからです。」
私は哲学においてはエマニュエル・レヴィナス先生を、武道においては多田宏先生を師と仰いでいる。レヴィナス先生は亡くなってもう30年になるけれど、亡くなっても師であることに変わりはない。
私はこの二人の師の背中を見ながら道を歩いている。この道がどこに続くのか、今行程のどこにいるのか、他の弟子たちは私より先んじているのか、遅れているのか、私にはわからない。師が語る言葉、その一挙手一投足に込めた教えが何を意味するのかも私にはよくわからない。わからないから、わかりたいと思う。わからないのは、師の教えがあまりに深遠であり、それに比して私の器があまりに小さいからである。でも、その小さな器で師の教えを汲む以外に弟子の私にできることはない。だから、日々少しずつ掬っては、私の後を歩んで来る同門の人々に「はい」と手渡す。そういうことを半世紀ほど続けている。
そのようにして、この半世紀論文を書き、本を出し、武道を教えてきたけれども、どれについても誰かと優劣や良否を競ったことがない。弟子は師の背中を見つめて歩むだけで、他の人と勝敗強弱巧拙を競うようなことはしないのである。
私が「こだわりがない」ように見えるとしたら、それは私が弟子だからである。私が「わからない」「できない」と感じるのは、師がそれだけ偉大であることを意味している。そのような師に仕えることのできるわが身の幸運に感謝しているから、私はいつも機嫌がよいのである。そうご説明した。
(AERA3月5日)