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1945年のことです。
7月16日,米国はニューメキシコ州アラモゴルドで人類初の原子爆弾(トリニティ)の実験(爆発)に成功しました。
7月26日,米国・英国・中国(後にソ連も)が,ドイツのポツダムで,日本に降伏の機会を与えるために,降伏の条件を約定し,これを宣言しました(ポツダム宣言)。
8月6日,広島にウラン濃縮型原子爆弾(リトルボーイ)が落とされました。
8月9日,長崎にプルトニウム型原子爆弾(ファットマン)が落とされました。
8月10日,日本政府は,連合国に対して,ポツダム宣言を受諾することを申し入れました。
その際,日本政府は,ポツダム宣言は「主権的統治者としての天皇の大権を害する要求を含まない」という了解を付けたうえで,この了解が正しいかどうかについて,明確に示すことを求めました。
当時,日本政府は,国民に対して「国体の護持」を約束していたので,ポツダム宣言の受諾が「国体の護持」を妨げないことを望んだのでした。
8月11日,連合国は回答しましたが,この了解の当否については直接には触れませんでした。
連合国は「降伏のときから,日本の天皇および政府の統治権は,降伏条件を実施するために必要と認める措置をとる連合国最高司令官に従うべき」ことと「日本の最終の政治形体は,ポツダム宣言のいうところに従い,日本国民の自由に表明される意志によって定められるべき」ことを言明しました。
この回答は,日本政府の申し入れた了解を認めたものとはいえません。
それにもかかわらず,日本政府は,降伏がやむを得ないことを認め,8月14日,この回答を了承したうえで,終局的にポツダム宣言の条項を受諾することを連合国に申し入れました。
8月14日,天皇は,ポツダム宣言の条項を受諾することを国民に告げる詔書を発しました。
8月15日,天皇が14日付けの証書を読んだ録音がラジオで放送されました。
9月2日,横浜港の軍艦ミズーリにおいて,日本の代表は,降伏文書に署名しました。
ここで,太平洋戦争は,日本の無条件降伏をもって終わったのです。
(このブログは宮澤俊義「全訂日本国憲法」(日本評論社)を参考にしました)
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さわ (火曜日, 02 9月 2014 01:13)
日本国民の自由に表明される意志…
日本国憲法は、いったいどこへ向かって歩き出しているのでしょうか。
再び敗戦を経験するまで?
朝守令彦 (火曜日, 02 9月 2014 07:41)
トメナケレバ