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日本国憲法は,1946年11月3日に公布され,1947年5月3日に施行された。
だから,5月3日は憲法記念日である。
日本経済新聞の5月3日の社説に次のような記載がある。
「現憲法の原型をGHQが作成したのは多くの証言や記録から疑う余地はない。敗戦国にそれをはねのける力があったはずはなく、押し付けとの見方は誤りではない。」
いや,ちがうね。
押し付けとの見方は誤りである。
まず,日本国憲法制定に至る出来事を確認しよう。
1941年12月8日 太平洋戦争開戦
1945年7月26日 ポツダム宣言
1945年8月14日 ポツダム宣言受諾を回答
1945年9月2日 日本の代表は,横浜港の戦艦ミズーリにおいて,降伏文書に署名した。ここで,太平洋戦争は,日本の無条件降伏をもって終わった。
1945年10月4日 連合国最高司令官は,東久邇宮内閣の近衛国務大臣に日本政府が憲法改正を要求されるであろう旨を通告
1945年10月5日 東久邇宮内閣が総辞職し,幣原内閣が成立
1945年10月11日 幣原内閣総理大臣に対して憲法改正を検討すべき旨を指示した
1945年10月27日 憲法問題調査委員会(主任松本国務大臣)活動開始
1946年1月 憲法草案(松本草案)を起草
1946年2月3日 マッカーサー最高司令官が,幕僚に対し,日本政府に示すべき憲法草案を起草することを命じた
1946年2月10日 マッカーサー草案完成
1946年2月13日 マッカーサー草案が吉田外務大臣および松本国務大臣に手渡された
1946年3月6日 内閣憲法改正草案要綱発表
1946年4月10日 衆議院議員総選挙
1946年4月17日 内閣草案発表
1946年6月8日 枢密院が政府案を可決
1946年6月25日 衆議院の審議開始
1946年8月24日 衆議院が可決
1946年8月26日 貴族院の審議開始
1946年10月6日 貴族院が可決
1946年11月3日 公布
1947年5月3日 施行
憲法問題調査委員会が松本草案を起草するまで,各政党などが独自の憲法改正案をつぎつぎに発表していた。
個人の権利を尊重する憲法案など,斬新な案が提示されていた。
マッカーサーもそれらの憲法案が発表されていることを知っていた。
しかし,憲法問題調査委員会が起草した松本草案は,大日本帝国憲法を少し変えただけの旧態依然とした代物だった。
マッカーサーは松本草案が国民の意思を反映したものとは考えなかった。
日本政府の案がお粗末だったので,やむを得ずマッカーサーは憲法草案を起草したのである。
その後,マッカーサー草案をもとに内閣憲法改正草案要綱が発表される。
そして,衆議院総選挙が実施されたが,選挙の争点は,内閣憲法改正草案要綱の是非であった。
その後,内閣草案が発表され,総選挙で選ばれた衆議院で2か月,貴族院で1か月半,審議され,可決されて,日本国憲法は公布されたのである。
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