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キャリア教育を考える ☆ あさもりのりひこ №172

「適性・適職」について,2008年4月30日に内田樹さんが書いたテクストを紹介する。

どおぞ。

 

 

「キャリア教育」というプログラムの問題点についてはこれまでに何度か書いてきた。

就活の学生たちがもっとも苦しんでいるのは「適性・適職」というイデオロギーである。

このイデオロギーはRクルートをはじめとする就職情報産業によって組織的に流布されている。

就職情報産業は営利事業であるから、そこが主力商品であるところの「就職情報」に対するニーズを大量に、かつ継続的に求める「クライアント」を確保することに腐心するのは当たり前のことである。

学生諸君はまさにその「クライアント」である。

就職情報産業にとって「理想的なクライアント」とは、きわめて早い時期から(できれば入学と同時に)就活マインドに火が点き、以後在学中眼を血走らせて就職情報を渉猟し、内定が出ても、「より適性にあった職場」を求めて就活を継続し、就職した後も、「これは適職ではない」と判断すれば、ただちに離職して、次なる転職先を探すようなタイプの人間、すなわち「就職情報ジャンキー」である。

だから、Rクルート以下の就職情報産業から学生に伝達される就活アドバイスは「ジャンキー系学生」を組織的に作り出すように起案されている。

むろん、ビジネス的にはそれでよいのである。

私はそれが悪いなどという無法なことは申し上げるつもりはない。 Rクルートさんだってリアルかつクールにビジネスをされているのである。どんどんおやりになればよろしい。

しかし、教育の現場にいる人間としては、おめおめと学生たちが「就職情報ジャンキー」になるのを見過ごすことはできない。

教師としてはかかる事態を全力を挙げて防がなければならない。

それゆえ、「キャリアを考える」では、「適性・適職イデオロギーに惑わされてはならない」ということをまず申し上げる。

自分の本性であるとか、自分の能力であるとかいうものは自己評価するものではなく、「まわりが決めてくれること」なのであるから、それに任せておけばよろしい。

繰り返し申し上げているように、キャリア・パスのドアのこちら側には「ノブ」が付いていない。

ドアは向こう側からしか開かないのである。

ドアの前にぼおっと立って開くのを待っていると、ドアの向こうから「マジックワードは?」と訊いて来る。

そう訊かれたら、「知りません。教えてください」と言えばよろしい。そうすればドアは開く。

「いつまでも、今のままの自分でいたい。今のままの自分でいることに誇りがある。今のままの自分が大好き」という人の前では「次のステップ」に進むドアは永遠に開かない。

「仕事をする」というのは「私のもっているどんな知識を求め、私の蔵しているどんな能力を必要としているのかがわからない他者」とコラボレーションすることである。

相手構わず、「私はこれこれのことを知っています。これこれのことができます」というリストを読み上げても意味はない。

「私はあなたのために何ができるのですか?」

そうまっすぐに問いかける人だけが他者とのコラボレーションに入ることができる。

「他者からの要請があるより先に、あらかじめその価値が知られている知識や技術」は存在しない。

それは「子どもを持ったことのない人間に備わっている親の愛」とか「弟子をもったことのない人の教育力」とか「素寒貧の資金運用能力」とかいうのと変わらない。あるのかもしれないけれど、あるかどうかは「やってみないとわからない」。

私が何ものであるのかは私が何をなしとげたのかに基づいて知られる。

なしとげる以前に「私」は何ものであるかまだわからない。

 

だから、「仕事をするより先に、まず自分の適性を知り、適職を探せ」というのはことの順逆が転倒していると申し上げているのである。