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満州事変以後、太平洋戦争敗戦に至る全行程において、大本営は「これがこうなって、あれがこうなれば、皇軍は完全勝利する」という類の「風が吹けば桶屋が儲かる」式というか「わらしべ長者」式というか、そういう「うまいことだけが選択的に続けば、圧倒的勝利を収めるであろう」的推論だけを行って戦争を遂行した。
2009年11月24日の内田樹さんのテクストを紹介する。
どおぞ。
すべての社会はそれぞれの仕方で「権力の交替」のためのシステムを設計図に書き込んでいる。
「交替させなければならない」権力者は、その定義からして「バカ」であるか「邪悪」であるか、あるいはその両方である。
したがって、彼らは自分たちが「交替させられるべきである」ということに気づいて、進んで身を引くということがない。
それゆえ、持続可能な社会集団であるためには、すべての集団は「バカ」であったり「邪悪」であったりする権力者を、本人たちからのどのような頑強な抵抗があっても権力中枢から排除できるような「見えざる権力交替システム」を内蔵させている。
そのような「見えないシステム」を組み込み忘れた社会集団は長くは生き延びられない。
もっとも洗練された「バカあるいは邪悪な権力者排除システム」をもっているのはアメリカ合衆国である。
これについてはアレクシス・ド・トックヴィルがその炯眼をもって看破しているので、興味のある方は『アメリカのデモクラシー』を繙読せられよ。
しかるに、日本社会における「ワルモノ排除システム」はどのように構造化されているかについては、寡聞にしてこれを主題的に考究した人のあることを知らない。
もちろん、日本にも「ワルモノ排除システム」は存在する(存在しなければとうの昔に地表から日本国は消えているであろう)。
それはどのようなものか。
それは「秀才を権力中枢に集中させる」という手法である。
つねづね申し上げているように、制度の健全はそれを構成する要素の多様性に担保されている。形態、組成、特性、機能を異にする人間的要素が絡み合って混在する社会システムがいちばん負荷にたいする耐性が強い。
均質性の高い個体が集中した部位からシステムは崩壊する。
それを「隙」と言う。
武道では「足が揃った状態」を「隙」と言う。
足が揃った状態にいると動線の選択肢が最小になるからである。
「隙がない」というのは、べつにがちがちにガードを固めているということではなくて、「次にどういう動線を選択するか予測できない」ということである。
だから、「次にどういう動線を選択するか予測が可能である」状態を「隙がある」と言うのである。
言い換えると、システムが局所的につよく均質化すると、それがシステム全体の「隙」になり、そこからシステム・クラッシュが始まるということである。
局所的な過剰な均質化によるシステム崩壊の場合は、とりあえずどこから崩壊が始まるかが事前に予測可能である。
予測可能である限り、システム崩壊はそれほど破局的な事態には至らない。
私たちが求めているのは「バカな、あるいは邪悪な権力者の排除」であって、システムそのものの崩壊ではない。
しかし、権力者はその定義からしてシステムの中枢に、深く巣喰っている。
これ「だけ」を取り出して、システムそのものは最小限の被害にとどめておかなければならない。
肉を切らせて骨を断つ。
そのアクロバティックな課題を解くために日本人が考案したのが、「権力中枢にできるだけバカで邪悪な人間を集めて、そこから先に腐らせる」という手法だったのである。
それを繰り返すことで私たちの国のすべてのシステムはイノベーションを行ってきたのである。
「権力中枢に蝟集するワルモノ」というのは、「お勉強のできる人たち」ということである。
秀才というのは、その定義からして「100点答案」を書くことにしか興味がない。
そういう人たちは「後退局面」とか「負け戦」とか「後始末」とか「負けしろの確保」とかいうことについては対応できない。
というのも彼らは「絶対負けない」ということを信条として、秀才としての自己形成を果たしたわけだからである。
こういう人たちは外交や軍事にはまったく向かない。
東条英機というひとは陸士・陸大卒の秀才であり、100点答案を書く名人ではあったが、軍事的にはまるで無能な人物であった。
それは彼の起草した『戦陣訓』を読めばわかる。
曰く「必勝の信念は千磨必死の訓練に生ず。須く寸暇を惜しみ肝胆を砕き、必ず敵に勝つの実力を涵養すべし。勝敗は皇国の隆替に関す。光輝ある軍の歴史に鑑み、百戦百勝の伝統に対する己の責務を銘肝し、勝たずば断じて已むべからず。」
「百戦百勝」は不可能な軍事的事実である。
そんなことは誰でもわかる。
誰でもわかる不可能事を平然と書けるのは、「過去に不可能であった単称言明から、それが未来永劫不可能であるという全称言明は帰納できない」というヒューム的遁辞が用意されているからである。
万分の一でも可能性があれば、「100点の答案」を書きたくなるというのが秀才のピットフォールである。
満州事変以後、太平洋戦争敗戦に至る全行程において、大本営は「これがこうなって、あれがこうなれば、皇軍は完全勝利する」という類の「風が吹けば桶屋が儲かる」式というか「わらしべ長者」式というか、そういう「うまいことだけが選択的に続けば、圧倒的勝利を収めるであろう」的推論だけを行って戦争を遂行した。
これは秀才だけが能くなしうる仕事である。
日露戦争から35年、日本の軍事機構には秀才だけを登用し続け来た。その結果、太平洋戦争開戦時に、日本軍の中枢には、参謀本部にも軍令部にも、もう秀才しか残っていなかった。
真珠湾攻撃は秀才の「100点答案」である。
軍司令部に秀才ばかりを集めてしまうと、そこが過剰に均質化し、遠からず軍が「そこからシステムが崩れる」弱い「環」になることを、おおかたの日本国民は無意識的には察知していたのだと思う。
なにしろ軍事の要諦とは「敵を作らない」ことと「隙を作らない」ことなのであるが、秀才軍人たちは「敵を作ること」と「隙を作る」ことをほとんど本務として職務に邁進したのだから。
無意識的に日本人の多くは「彼らがシステムの一部を滅ぼし、それと同時に彼らも滅びる」ことをかなりの確度で予測もしていたはずである。
けれども、日本人は「そういうやり方」以外に権力者を交替させる方法を知らなかったのである。
日本の権力者交替の手順は昔も今も変わらない。
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