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2016年5月19日、奈良シニア大学で「憲法のお話~憲法の改正って必要?~」という題目で、1時間40分話した。
近鉄奈良駅から歩いて5分ほど、もちいどのセンター街にある「きらっ都・奈良」の3階が会場である。
約60名のシニア大学生で研修ホールはほぼ満員の状態。
居眠りする人はほとんどいなくて、みなさん熱心に朝守の話を聴いていただいた。
前半は、日本国憲法はどんなふうにしてできたのか、を話す。
平たく言うと、日本国憲法は、アメリカが日本に押し付けたものか、というお話。
1889年2月11日、大日本帝国憲法が公布された。
大日本帝国は、神であり、元首である天皇が統治する国であった。
その後、57年間、この大日本帝国憲法が効力を有していた。
1941年12月8日、真珠湾とマレー半島で太平洋戦争が始まり、1945年9月2日、日本の無条件降伏をもって太平洋戦争は終わった。
1945年8月14日、連合国軍最高司令官にダグラス・マッカーサーが就任した。
1945年10月2日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が東京に設置された。
つまり、日本はアメリカに占領された。
10月11日、マッカーサーは、内閣総理大臣幣原喜重郎に対して、憲法改正を検討すべき旨を指示した。
これを受けて、10月27日、憲法問題調査委員会が活動を開始した。
同委員会の主任は、国務大臣松本烝治であった。
ちなみに、松本は憲法学者ではなく、商法が専門であった。
1946年1月、憲法問題調査委員会は憲法草案を起草する。
いわゆる松本草案である。
このころには、憲法が改正されるということで、様々な新憲法の私案が発表されていた。
国民の人権を擁護する先進的な改正案も多かった。
1946年2月1日、毎日新聞が政府の憲法草案(松本草案)をすっぱ抜いた。
スクープである。
これによって、マッカーサーは、政府の憲法草案(松本草案)の内容を知ることになる。
政府の憲法草案(松本草案)は大日本帝国憲法を少し改正しただけの旧態依然とした内容だった。
「なんじゃ、これは?」
とマッカーサーは思ったのだと思う。
公表されている様々な新憲法の私案と比べて、政府の憲法草案(松本草案)は日本国民の意思を反映しているとは、到底言えなかった。
マッカーサーの判断と実行は速かった。
2月3日、マッカーサーは、部下に対して、日本政府に示すべき憲法草案を起草することを命じた。
2月10日、マッカーサー草案が完成する(仕事がはやい!)。
2月13日、マッカーサー草案が、外務大臣吉田茂と国務大臣松本烝治に手渡された。
しかし、このマッカーサー草案の存在は秘密であり、国民には知らされなかった。
1946年3月6日、マッカーサー草案を基にした内閣憲法改正草案要綱が発表された。
この内閣憲法改正草案要綱の是非を問う衆議院議員総選挙が4月10日に実施された。
4月17日に内閣草案が発表され、6月8日に枢密院が政府案を可決した。
6月25日、衆議院が審議を始め、約2か月間の審議の後、8月24日、衆議院が政府案を可決した。
8月26日、貴族院が審議を始め、約1か月半の審議の後、10月6日、貴族院が政府案を可決した。
そして、1946年11月3日、日本国憲法が公布され、1947年5月3日、日本国憲法は施行された(だから、5月3日は憲法記念日)。
マッカーサーは、日本政府に対して、憲法改正を検討すべきだという指示はしたが、自ら草案を示すのではなく、日本政府の立案にまかせた。
ところが、松本草案の内容があまりにも「お粗末」だったので、マッカーサーは、急遽、草案を作らざるを得なかった。
このマッカーサー草案の存在は国民に知られないまま、新しく衆議院選挙で選ばれた議員で構成された衆議院と貴族院で、改正草案の内容を審議して、改正草案の内容に納得して、可決された。
日本国憲法は、アメリカの押し付け憲法ではない。
というお話をする。
ここまでが前半。
後半は、憲法改正について話した。
つづく。
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