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転換期において統治者に求められるのは、見晴らしのよいヴィジョンであって、目先の銭金の話ではない。
2016年6月29日の内田樹さんのテクスト「英国のEU離脱について」を紹介する。
どおぞ。
EU構想の起源は16世紀のルネサンス期に誕生した「文芸共和国」に遡る。その当時、ヨーロッパ各国の学者たちは、それぞれの学術研究の成果を、彼らの共通語であるラテン語でしたためて、頻繁な手紙のやりとりを行った。
そうして形成されたクロスボーダーな「人文主義者のネットワーク」はそれから後も形態を変えながらヨーロッパにつねに存在し続けいる。クーデンホーフ=カレルギー伯爵の「汎ヨーロッパ主義」も、オルテガ・イ・ガセットの「ヨーロッパ合衆国」構想も、ピエール・ド・クーベルタン男爵の「近代五輪」構想も、いずれも「文芸共和国」のアイディアに由来している。共通するのは、「そういうこと」を考え出す人たちがみな「貴族」だったということである。
ヨーロッパにおいて、「貴族たち」は国民国家内部的な存在ではない。彼らはたいていの場合、自国の労働者階級よりは、他国の貴族たちに親しみを感じているし、自国語よりむしろ世界共通語(リンガフランカ)で思想や感懐を語ることを好む。クロスボーダーな連帯を育むことができるのはこれらの「貴族たち」である。「一般市民」は自国の国境内に釘付けにされ、自国語だけを語り、自国の生活文化に胸まで浸かっている。
この二極構造は、「文芸共和国」からEUまで本質的には変わることなくヨーロッパの政治と文化に伏流している。
17世紀ウェストファリア条約を契機に国民国家システムが始まってからは、それぞれの国民国家は「自国益を最優先する立場(本音)」と「ヨーロッパ全体の生き残りを優先する立場(建て前)」を二極として、その間のどこかに「おとしどころ」を求めるという仕方で国家運営をしてきた。
英国のEUをめぐる国民投票では、富裕層・高学歴層が「残留」を求め、労働者階級や低学歴層が「離脱」を求めたという統計が公開されている。ヨーロッパ共同体に軸足を置く志向と、国民国家の威信や主権を優先する志向はもともと食い合わせが悪いのだ。その調整がヨーロッパ列国における統治者の力量と見識の見せどころなのだが、英国のキャメロン首相はそれに失敗した。ヨーロッパ諸国の共生という「理想主義」と「自分さえよければそれでいい」という「現実主義」を対比させての国民投票なら、あるいは結果は違ったかも知れない。だが、残留派はEUに残ることのもたらす経済的「実利」を表に出して、EUに制約されない主権国家でありたいという政治的「幻想」に屈服した。これは国民投票を仕掛けたキャメロンの失着だったと思う。
転換期において統治者に求められるのは、見晴らしのよいヴィジョンであって、目先の銭金の話ではない。そのことを日本人も「他山の石」として学ぶべきだろう。
ただ、「ヨーロッパ共同体」と「国民国家」の葛藤は今に始まった話ではない。だから、これで終わるわけでもない。
ジャン・ルノワールの『大いなる幻影』は第一次世界大戦中の、ドイツ人貴族とその捕虜となったフランス人貴族間に芽生えた国境を越えた友愛が戦闘的なナショナリズムによって打ち砕かれるという物語だった。
カズオ・イシグロの『日の名残り』は第一次大戦後、敗戦国ドイツに救いの手を差し伸べようとする英国人貴族の「スポーツマン精神」が武力と金しか信じない新興国アメリカの政治家によって打ち砕かれる物語だった。
物語の中では、つねに理想は現実に打ち砕かれる。けれども、そのつど理想は甦ってきた。だからこそEUも今存在しているのだ。
「文芸共和国」の構想は国民国家の発生より古い。この二つの原理の葛藤はまだ長くかたちを変えて続くはずである。