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2017年5月20日、東京の有明コロシアムでWBA世界ミドル級王座決定戦が行われた。
アッサン・エンダム対村田諒太。
注目の一戦なのでライブ中継を見たいと思った。
しかし・・・
2009年2月、「ボン!」という小さな爆発音とともにテレビが壊れた。
それ以来、わが家にテレビはない。
このことは、2013年5月9日のブログNo.16に書いた。
テレビがないので、子どものノートパソコン型の受像器を借りた。
映像は映るが、故障していて音声が出ない(安物である)。
仕方がないので、映像はその受像器で観て、音声は携帯電話でテレビをアップして聞いた。
こうして、エンダム対村田の一戦を観戦することができた。
村田はエンダムに1-2の判定で敗れ、王座獲得はならなかった。
しかし、テレビ中継を観た結果を率直に言えば「村田が勝っていた」
村田は、エンダムのパンチはブロックして、有効打を打ち込んでいた。
エンダムは、パンチをもらってもひるまないで、手数を出してポイントを稼ぐ戦法だった。
村田が試合を支配していたが、2人のジャッジがエンダムの手数を評価した。
「強打」対「ヒットアンドアウェー」
30年前に生中継で観たハグラー対レナード戦を思い出した。
1987年4月7日、米国ラスベガス・シーザースパレス、WBC世界ミドル級タイトルマッチ。
チャンピオンはマーベラス・マービン・ハグラー(32才)、挑戦者はシュガー・レイ・レナード(30才)。
ハグラーについては、2015年11月5日のブログNo.154にも書いた。
ハグラーは、当時、パウンド・フォー・パウンド(体重が同じとして)ナンバーワンと言われていた。
スピード、パワー、テクニック、ファイティング・スピリット、タフネスと4拍子も5拍子も揃った超一流のボクサーだった。
ハグラーは、それまで世界ミドル級の王座を12回防衛し、そのうち11回はKOしていた。
レナードは、ウエルター級、ジュニアミドル級(現在はスーパーウエルター級)の2階級を制したが、網膜剥離のために引退していた。
レナードは、ハグラーと闘うためにカムバックしたが、ミドル・ウエイトで試合するのは初めてだった。
レナードは、試合前に「強く殴る必要はない」と言って、スピードと手数で勝負することをうかがわせていた。
ハグラーは、レナードのスピードに対応するために、ウエイトをリミットよりも軽めに仕上げてきた。
試合は、予想どおり、ハグラーの強打をレナードがフットワークとボディワークでかわす展開になる。
しかし、レナードは、勇気があった。
チャンスとみると、足を止めて打ち合ったのだ。
パンチのスピードと回転力はレナードが勝る。
ハグラーは、ディフェンスがしっかりしているので、レナードが打ってくるとブロックする。
レナードは、ブロックの上からでもパンチを繰り出してポイントを稼いだ。
しかし、パンチ力はハグラーがはるかに上回っている。
一発でも強打が決まればレナードはノックアウトされてしまう。
レナードは、そんな危険な綱渡りを12ラウンド続けた。
12ラウンド終了のゴングが鳴ると、レナードは疲労困憊して、マットに横たわって休んでいた。
ハグラーは、不満げに頭を振りながら、立っていた。
結果は、判定でレナードが勝ち、3階級制覇を成し遂げた。
世界タイトルマッチは、15ラウンドであったのが、1987年は、12ラウンドに変わっていく時期に当たっていた。
この試合が12ラウンドではなく15ラウンドで戦われていたら、ハグラーが勝っていたのではないかと思う。
ただし、逃げ回らないで、最強のチャンピオンと打ち合ったレナードの勇気には敬意を表する。
この試合がハグラーの最後の試合となった。