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『メタファー(metaphor)は、隠喩(いんゆ)、暗喩(あんゆ)ともいい、伝統的には修辞技法のひとつとされ、比喩の一種でありながら、比喩であることを明示する形式ではないものを指す。
メタファーは、言語においては、物事のある側面を より具体的なイメージを喚起する言葉で置き換え簡潔に表現する機能をもつ。わざわざ比喩であることを示す語や形式を用いている直喩よりも洗練されたものと見なされている。』(Wikipedia)
村上春樹の「騎士団長殺し」の第2部の副題は『遷ろうメタファー編』である。
その中に、主人公とメタファー通路の「顔なが」との次のような場面がある。
「もしおまえがメタファーなら、何かひとつ即興で暗喩を言ってみろ。何か言えるだろう」と私は言った。
「わたくしはただのしがない下級のメタファーです。上等な暗喩なぞ言えません」
「上等じゃなくてもいいから、ひとつ言ってみてくれ」
顔ながは長いあいだ考え込んでいた。それから言った。「彼はとても目立つ男だった。通勤の人混みの中でオレンジ色のとんがり帽をかぶった男のように」
たしかにそれほど上等な比喩ではない。だいいち暗喩ですらなかった。
「それは暗喩じゃなくて、明喩だよ」と私は指摘した。
「すみません。言い直します」と顔ながは額に汗を浮かべながら言った。「彼はあたかも、通勤の人混みの中でオレンジ色のとんがり帽をかぶるように生きた」
「それじゃ文章の意味が通じない。それにまだきちんとした暗喩になっていない。おまえがメタファーだなんて、どうも信用できないな。殺すしかない」
というわけで
「人生はマラソンだ」
これは典型的なメタファー(暗喩)である。
早朝ランニングをしていて「こけた」ことは、5月25日のブログNo.359に書いた。
2012年9月、2016年4月に続いて、3回目の転倒である。
ジョギングをはじめて40年以上になるが、走っていて「こけた」のは、この3回だけである。
年のせい?
それもある。
ただ、この3回の転倒には共通点があるのだ。
3回とも、道の小さな突起につまずいたのである。
道に大きな岩があってぶつかる、なんてことはない。
道に大きな岩があっても避けられる。
道に大きな穴があいていて落ちる、なんてこともない。
道に大きな穴があいていても避けられる。
大きな障害は回避することができるのである。
しかし、小さな突起は、脚が上がっているつもりであがっていないと、つま先が突起に引っかかって、つまずいて転倒してしまうのだ。
人生で「つまずく」のも『小さな突起』かもしれない。
くわばら、くわばら。