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組織の長期的な信頼性や安定よりも、わが身たいせつを優先させる人々たちが選択的に出世できる仕組みを作り上げたこと、それが安倍政権5年間の際立った「成果」である。
それで日本社会がどれほど損なわれたのか、被害の規模と深さを思うと気が遠くなりそうである。
2018年3月16日の内田樹さんの論考「人口減社会について」をご紹介する。
どおぞ。
日本農業新聞の「論点」というコラムに定期的に寄稿している。2月は「人口減社会」について書いた。あまり普通の人の読まない媒体なので、ブログに再録。
「人口減社会」についての論集の編者を依頼された。21世紀末の人口は中位推計で6000万人を切る。今から80年間で日本の人口がおよそ半減するのである。それがどのような社会的変動をもたらすのか予測することは難しい。いくつかの産業分野が消滅すること、いくつかの地域が無住の地になることくらいしかわからない。起こり得る事態について想像力を発揮して、それぞれについて対策を立てることは政府の大切な仕事だと私は思うが、驚くべきことに人口減についてどう対処すべきかについての議論はまだほとんど始まっていない。だからこそ、私のような素人が人口減社会の未来予測についての論集の編者に指名されるというような不思議なことが起きるのである。
先日毎日新聞が専門家に人口減についての意見を徴する座談会を企画した。その結論は「楽観する問題ではないが、かといって悲観的になるのではなく、人口減は既定の事実と受け止めて、対処法をどうするか考えたらいい」というものだった。申し訳ないが、それは結論ではなく議論の前提だと思う。最後に出席者の一人福田康夫元首相が「国家の行く末を総合的に考える中心がいない」と言い捨てて話は終わった。人口減については、政府部内では何のプランもなく、誰かがプランを立てなければならないということについての合意さえ存在しないということがわかった。その点では有意義な座談会だった。
出席者たちは「悲観的になってはならない」という点では一致していた。ただ、それは「希望がある」という意味ではなく、「日本人は悲観的になると思考停止に陥る」という哀しい経験則を確認したに過ぎない。わが国では「さまざまな危機的事態を想定して、それぞれについて最適な対処法を考える」という構えそのものが「悲観的なふるまい」とみなされて禁圧されるのである。
近年、東芝や神戸製鋼など日本のリーディングカンパニーで不祥事が相次いだが、これらの企業でも「こんなことを続けていると、いずれ大変なことになる」ということを訴えた人々はいたはずである。でも、経営者たちはその「悲観的な見通し」に耳を貸さなかった。たしかにいつかはばれて、倒産を含む破局的な帰結を迎えるだろう。だが、「大変なこと」を想像するととりあえず今日の仕事が手につかなくなる。だから、「悲観的なこと」について考えるのを先送りしたのである。
人口減も同じである。この問題に「正解」はない。「被害を最小限に止めることができそうな対策」しかない。でも、そんなことを提案しても誰からも感謝されない。場合によっては叱責される。だから、みんな黙っている。黙って破局の到来を待っている。
寄稿は以上。
しかし、これは人口減に限らず、今日本で起きていることのすべてに適用できそうな話である。公文書改竄事件でも、省庁の各所に「こんなことを続けていたら、いずれ大変なことになる」ということを訴えた人はいたはずである。でも、要路にある人々は耳を貸さなかった。彼らには耳を貸さない代償に個人的な栄達が約束されていたからである。組織の長期的な信頼性や安定よりも、わが身たいせつを優先させる人々たちが選択的に出世できる仕組みを作り上げたこと、それが安倍政権5年間の際立った「成果」である。
それで日本社会がどれほど損なわれたのか、被害の規模と深さを思うと気が遠くなりそうである。