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多くの人が勘違いしているようですけれど、自分の思考プロセスは自分のものではありません。それは、マグマや地下水流のようなもので、自分の外部に繋がっています。
2018年3月28日の内田樹さんの論考「言葉の生成について(第8回)」をご紹介する。
どおぞ。
いま、僕は20代後半のある青年と往復書簡をしています。
彼は何年か前に刑事事件を起こし、弁護士の指示で、更生の課程で反省文を何度も書かされました。それを読みましたけれど、驚くほど硬直していた。たしかに文章はしっかりしている。どうしてこんな事件を起こしたのか、それについての自己分析もしていた。言っていることはたぶんほんとうなのでしょう。でも、書かれていることが少しもこちらの心を打たない。彼がこれで「反省」が済んだ、これで自己分析を果たしたと思ったのでは、この先社会で生きてゆくことは難しいだろうと思い、彼が自分の「ヴォイス」を発見するのを支援するための個人レッスンをすることになりました。それから2年ほど、月1回くらいのペースで、僕が課題を出して彼がエッセイを書くという往復書簡をしています。
最初のうちは「正しい書き方」をしないといけないとかなり緊張していました。頭のいい子だから、「無難な文章」なら書けるんです。でも、彼が書いてくる文章は言葉が乾いている。水気がない。どうやって彼の言葉に水気を回復させるのか、それが僕の方の課題でした。
試行錯誤を繰り返しました。わかったのは、自分が実際に経験したことを書かせようとすると、硬直するということでした。家族のことや、学校時代のことを書かせようとすると、ぎごちないものになる。そこで経験したことが、彼の今の手持ちの語彙、文型の中には収まらないのです。言葉に収まらない経験をなんとか言葉に収めようとするので、骨と皮だけのようなものになる。
一計を案じてやらせてみてうまくいったのは、「なかったこと」を書かせることでした。自分の実際の経験を書かせると、自己史の中のトラウマ的経験を何とか避けようとするけれど、作話ならトラウマの近くまで行けるんです。「僕」を主語にするとトラウマ的経験に近づけないけど、「彼」を主語にするとそのすぐそばを通過するような文章を書けるようになる。そのときに、「物語を語る」ということがいかに重要であるか、よくわかりました。
今、彼は「ヴォイス」を獲得するプロセスの途中にいるのですけれど、だいぶよくなってきたなと思ったのは、彼が「なんだかわからない経験」を書き出した時でした。オチも教訓も、意味もわからない話を書き出した。
「どうしても忘れられない人」という課題を出した時には、同級生が在校中に亡くなってしまい、その子に何か言いたいことがあったんだけど、言わずに終わってしまった。何を言いたいかは忘れてしまったけど、今でもその子を思い出すと、何か言いたいことがあったことだけ思い出す、そういう短い話でした。この時に、彼はかなり「ヴォイス」に手が届いてきたなと思いました。「自分の思いを言葉にできない」という苦しい現実に「自分の思いを言葉にできなかった出来事」を回想するという仕方で、次数を一つ上げることで対処したわけですから。
たしかに「ヴォイス」というのはそういうものなんです。「自分がうまく書けない」というような事態そのものについてならうまく書くことができる。締め切り間際で週刊紙連載の漫画原稿を落としそうだという時でも、「締め切り間際で原稿を落としそうな漫画家」のどたばた騒ぎについてなら描くことができるということがあります。いつもいつも使える手ではありませんけれども、こういう「メタ・レベル」にずらすというのも「ヴォイス」の手柄です。
それまでの彼の文章は、ブロックを積んだみたいにカチカチとして余裕や曖昧さがなかった。自分の中に生じている、いきいきとした感情や感動は、実際には、なかなか言葉にできないものです。今日のテーマである「言葉の生成」というのもまさにそういうことなんですが、自分の中にある感情もアイデアも、実はきわめて曖昧なものなんです。曖昧なものだから、それを輪郭のはっきりした言葉に置き換えようとすると筆が止まり、舌がこわばる。ですから、曖昧なものを曖昧なままに取り出していけばいいんです。それができれば「書けない」という事態も「私はなぜうまく書けないのか」というメタ・レベルからの考察の興味深い対象になる。でも、それができるためには、自分自身に対して、自分の思考プロセスに対して敬意と好奇心を持つことが必要です。
多くの人が勘違いしているようですけれど、自分の思考プロセスは自分のものではありません。それは、マグマや地下水流のようなもので、自分の外部に繋がっています。それと繋がることが「ヴォイス」を獲得するということです。呼吸と同じです。呼吸というのは酸素を外部から採り入れ、二酸化炭素を外部に吐き出すことです。外部がないと成り立たない。自分の中にあるものの組み合わせを替えたり、置き換えたりしているだけではすぐに窒息してしまいます。生きるためには外部と繋がらなければならない。
言葉が生成するプロセスというのは、自分のものではありません。自分の中で活発に働いているけれども、自分のものではない。それに対する基本的なマナーは敬意を持つことなんです。自分自身の中から言葉が湧出するプロセスに対して丁寧に接する。敬意と溢れるような好奇心を以て向き合う。
往復書簡を通じて、彼の言葉が言葉らしくなってきたのは、彼が自分の中で言葉が生まれてくるプロセスそのものを、一歩後ろに下がって、語ることができるようになったからです。