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アメリカ合衆国には、広島と長崎への原子爆弾の投下は、太平洋戦争を早期に終結するために必要だった、という見解があるようだ。
アメリカは太平洋戦争を終わらせるためにやむを得ず原子爆弾を使用したのか?
まず、日本の立場から歴史を振り返ってみる。
7月26日、米国・英国・中国(後にソ連も)が、ドイツのポツダムで、日本に降伏の機会を与えるために、降伏の条件を約定し、これを宣言した(ポツダム宣言)。
8月6日、広島にウラン濃縮型原子爆弾(リトルボーイ)が落とされた。
8月9日、長崎にプルトニウム型原子爆弾(ファットマン)が落とされた。
8月10日、日本政府は、連合国に対して、ポツダム宣言を受諾することを申し入れた。
8月11日、連合国は、「降伏のときから、日本の天皇および政府の統治権は、降伏条件を実施するために必要と認める措置をとる連合国最高司令官に従うべき」ことと「日本の最終の政治形体は、ポツダム宣言のいうところに従い、日本国民の自由に表明される意志によって定められるべき」ことを言明した。
8月14日、日本政府は、終局的にポツダム宣言の条項を受諾することを連合国に申し入れた。
天皇は、ポツダム宣言の条項を受諾することを国民に告げる詔書を発した。
8月15日、天皇が14日付けの証書を読んだ録音がラジオで放送された。
9月2日、横浜港の軍艦ミズーリにおいて、日本の代表は、降伏文書に署名した。
1945年9月2日、太平洋戦争は、日本の無条件降伏をもって終わった。
このようにみると、原子爆弾の使用が太平洋戦争終結の一つのきっかけになったようにも見える。
つぎに、アメリカが大気圏で原爆および水爆を使用・実験した歴史を振り返ってみる(ウィキペディアから抜粋)。
【】内の数字は爆発回数である。
1945年7月16日、ニューメキシコ州アラモゴルド【1】
1945年8月6日、広島【1】
1945年8月9日、長崎【1】
1946年7月1日 マーシャル群島【1】
7月25日 マーシャル群島【1】
1948年 マーシャル群島【3】
1951年 ネバダ【5】
マーシャル群島【4】
ネバダ【7】
1952年 ネバダ【7】
マーシャル群島【2】
1953年 ネバダ【11】
1954年 マーシャル群島【6】
1955年 ネバダ【14】
東太平洋【1】
ネバダ【4】
1956年 マーシャル群島【17】
1957年 ネバダ【29】
1957~8年 ネバダ【5】
1958年 マーシャル群島【35】
南大西洋【3】
ネバダ【37】
1961~2年 ネバダほか【32】
1962~3年 中部太平洋【36】
ネバダ【48】
ネバダ【4】
これ以降は地下核実験になる。
1945年7月16日、米国は、ニューメキシコ州アラモゴルドで人類初の原子爆弾(トリニティ)の実験(爆発)に成功した後、毎年のように、原子爆弾または水素爆弾を爆発させている。
2発目は広島、3発目は長崎、4発目はマーシャル群島で、長崎から11か月も経っていない。
1945年と1946年は1回に1発の爆発であるが、爆発に成功してノウハウを取得し、核爆弾の製造が軌道に乗ると、凄まじい数の核爆発をくり返してきたことがわかる。
アメリカが原爆および水爆を使用・実験した歴史を振り返ってみると、アメリカは「太平洋戦争を終わらせるためにやむを得ず原子爆弾を使用した」のではないことがわかる。
核開発に成功した当初から世界を支配するために核実験は当然予定されていたのであり、アメリカは「太平洋戦争が終わってしまう前に生身の人間に対して原子爆弾を使用して実験した」のである。
現在、世界に存在する核兵器は9445発(2017年)。
そのうち、アメリカが4000発、ロシアが4300発を保有している。