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今の言論の世界では、政権の庇護下にある書き手たちが「私はマジョリティから攻撃され、迫害され、言論の自由を侵されている」と言い立てて、あたかも「孤立のリスクをとる書き手」であるかのように演技するという戦術を採用しています(この戦術は総理大臣自身の得意技ですので、彼らもそれを模倣したのでしょう)。
2018年9月28日の内田樹さんの論考「編集者への手紙(その2)」をご紹介する。
どおぞ。
おはようございます。内田樹です。
メールありがとうございます。
こんどの事件がきっかけになって、編集者たちが自分たちの出しているものの社会的な意味を点検し、その結果新潮社の出版物のクオリティが高いものになるようになれば、豊かな教訓になったと思います。
私見によれば。今回の事件の最も深刻な点は、問題を起こしたのが「総理とりまき」の人物たちだったということです。
彼らは5年余にわたる安倍政権下で、「どれほど非道なことを言っても罰されない」という特権を享受していると思い込んで、あのような暴言を発するに至りました。
非常識な意見、狭隘な偏見をあえて口に出す言論人は他にもいますが、多くは「マジョリティに理解されず、嫌われ、孤立するリスク」を代償にしてそうしています。
今回問題を起こした書き手たちは、リスクを取る気がないどころか、自分たちが「リスクを冒している」という警戒心さえなく、あのような文章を発表しました。
その違いを見分けることが出来なかったというのが「新潮45」編集部の編集者としての最大の失敗だったと僕は思います。
ある種の媒体が「あえて良俗美風に異を立て、良民をして眉をひそめさせる」ことをめざすことは言論を活性化させるために必要なことだと僕は思います。
けれども、その場合でも、孤立するリスクを取ってあえて異論を立てる書き手と、「何を言っても許される」という甘えから平然と非道な言葉を吐く書き手を峻別することは重要なことだろうと思います。
今の言論の世界では、政権の庇護下にある書き手たちが「私はマジョリティから攻撃され、迫害され、言論の自由を侵されている」と言い立てて、あたかも「孤立のリスクをとる書き手」であるかのように演技するという戦術を採用しています(この戦術は総理大臣自身の得意技ですので、彼らもそれを模倣したのでしょう)。
ですから、この見きわめには編集者の高い見識と知的な緊張感が求められていると僕は思います。
そのことをどうぞお覚えください。
また長く書いてしまいました。すみません。
がんばってください。