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「貧乏くさい」2019年の年頭に ☆ あさもりのりひこ No.609

とにかく、無数の理由によって、ある時点から日本人は「そのうち何とかなるだろう」と思えなくなった。むしろ、「時間が経てば経つほどさらにどうにもならなくなる」ような気がするようになった。だから、先のことを考えず、とりあえず目先の小銭を懐にねじ込むことをすべてに優先させるようになった。

 

 

2019年1月6日の内田樹さんの論考「「貧乏くさい」2019年の年頭に」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

2019年の年頭にあたって、年頭のご挨拶がわりに一言申し上げる。

今年はどんな年になるのか予測がつかない。

「予測がつかない」ということが、現代の実相をよく表しているのかも知れない。

「大きな物語」も「グローバル・ヴィジョン」も「文明史的文脈」もみあたらない(まったくないわけではないが)。個々の出来事をうまく解釈できる枠組みがみつからないのである。

そんな年の初めにある媒体に書いたものを再録する。

書いたのは12月だけれど、年頭にネット上で話題になったいくつかのイシューはどれも「日本の貧乏くささ」の好個の適例であることが知れる。

 

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」と中学生の頃に習った時には、それは遠い昔の話であって、「盛者必衰の理」をまさか我が身で体験することになるとは思っていなかった。

私が中学生だった60年代中頃の日本は今よりはるかに貧しかった。けれども、国が上昇気流に乗っていることは子どもにも体感として分かった。国運は45年の敗戦で底を打ったので、もうそれより下には下がりようがなかったのである。

62年のキューバ危機を回避した後は第三次世界大戦のリスクもすこしだけ遠き、当分は核ミサイルで国土が消失することは心配しなくてもよくなった(その頃は小学生だって「世界の終り」が近いことを感じていたのである。それでも、ふつうにけらけら笑って遊んでいたのは「日本人が心配しても世界情勢に何の影響もない」ことは小学生にもわかったからである)。

でも、この「あとは上向き」という(実はあまり根拠のない)思い込みによって、日本の国運の上昇は実際に加速していった。

人というものは「これから運気が上向きになる」と信じ込んでいると、守りに入っている時には尻込みしてとても選択できないような冒険的な計画にもけっこう気楽に踏み込んでしまうものだからだ。

勢いのあるときは変数が増えて、話が複雑になることもあまり気にならない。

「そのうちなんとかなるだろう」というのは植木等が歌った「黙って俺についてこい」の歌詞の一節(作詞・青島幸男)だが、これが主題歌だった映画が公開されたのは1964年である。

その時代の気分を一言で言えば、それはたしかに「銭のないやつ」も「彼女のないやつ」も「仕事のないやつ」も「黙って俺について」くれば、「そのうち何とかなるだろう」という無根拠な楽天性だった。そして、実際に、そういう朗らかな気分でいるうちに、いろいろな問題は何とかなってしまったのである。

「そのうち何とかなるだろう」というのは思えば私たちの世代の人間の多くが難局に遭遇する毎に心の中で呟いたフレーズだった。それくらいにはこの時代の「成功体験」はわれわれの身にしみつていたのである。

国運が落ち目になるというのは、GDPがどうだとか、出生率がどうだとか、平均賃金がどうだとかいう数字の話ではない。「時代の気分」の問題である。時代の気分が醸成されるには無数の原因がある。人口減や高齢化といった人口動態学的な変化も一因だし、「失われた20年」と呼ばれるバブル崩壊以後の経済的停滞も一因だし、グローバル化も、立憲デモクラシーという政治システムの制度疲労も一因だろう。とにかく、無数の理由によって、ある時点から日本人は「そのうち何とかなるだろう」と思えなくなった。むしろ、「時間が経てば経つほどさらにどうにもならなくなる」ような気がするようになった。だから、先のことを考えず、とりあえず目先の小銭を懐にねじ込むことをすべてに優先させるようになった。「銭のないやつ」や「仕事のないやつ」は自己責任でそうなっているのだから、そんなやつらのことは知るものかという考え方を人々がごく自然にするようになった。一言で言うと「貧乏臭くなった」ということである。

「貧乏くさい」は「貧乏」とは違う。60年代の日本は「貧乏」だったけれど、「貧乏臭く」はなかった。「銭のないやつは俺んとこへ来い」という雅量があった。

 

今の日本はその時より遥かに金持ちである。依然として日本は世界第3の経済大国であり、企業は史上空前の利益を計上している(らしい)。でも、富裕層たちはしかと銭を抱え込んで、貧者に分け与える気がない。彼らも「これからもっと悪くなる」と思っているからである。「そのうち」なんかたぶん来ないと思っているからである。