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マーク・トウェインは『ハックルベリー・フィンの冒険』において「南北戦争で分断されたアメリカ」を再統合できるような「鎮魂と和解の物語」を語ったのではないか。
2019年2月24日の内田樹さんの論考「マーク・トウェインと世阿弥」をご紹介する。
どおぞ。
昨日大槻能楽堂で観世のお家元の『屋島』が演じられた。
その前座で私が「海民と騎馬武者のコスモロジー」という題で40分講演をした。
風と水のエネルギーを制御する技術に長じた「海部」と、野生獣のエネルギーを制御する技術に長じた「飼部」の間のテクノロジーの支配権をめぐる闘争が源平合戦であるという「いつもの話」である。
この「職能民」仮説は数年前からいろいろな媒体に書いてきたし、いろいろな場所でも語ってきた。
さいわい、今までのところ、玄人からも、研究者からも、「そんなのは能楽界では常識」と呆れられたこともないし、「荒誕無稽な説を語るな」という反論を受けたこともない。
ということは、これは「新説」であり、かつそれなりの説得力のある仮説として「認知」されたということである。
そう解してよろしいかと思う。
なにしろ、昨日は観世流の家元の前座に呼んで頂いて、「この解釈を頭に入れて、能を観てくださいね。きっと面白いですよ」という解説をしたわけで、いわば観世流の「お墨付き」を頂いたのである(ちょっと違うか)。
だから、もうこの話はよろしいのである。
この仮説はもうパブリックドメインであるので、みなさんでご自由に展開するなり、深化するなりして頂ければ、私としては満足である。
それより、昨日講演の前半で語った「世阿弥は日本のマーク・トウェインである」(逆だな。「マーク・トウェインはアメリカの世阿弥である」の方が歴史的には正しいですね)仮説についていささか贅言を弄したいと思う。
これはどう考えてもこれまでに誰も述べたことのない新説であると思う(だいたい、発表する場所がない。「能楽学会」も「アメリカ文学会」も抄録を見ただけでリジェクトするだろう)。
しかし、私はこれは「わりといけてる」と思うので、以下に卑見を申し述べて、読者諸賢のご叱正を請いたいと思う。
このアイディアが浮かんだのは、先日柴田元幸さんと、柴田さんが新訳された『ハックリベリー・フィンの冒けん』をめぐって神戸女学院大学で対談をしたときのことである。
そのときに(あるいは終わったあとの宴席で)『トム・ソーヤーの冒険』と『ハックルベリーフィンの冒けん』は作品としてまったく重要性が違うという話になった。でも、その決定的な違いはどこにあるのかまで、踏み込んだ議論をするだけの時間がなかった。
そのことをぐずぐずと考えていたら、寺子屋ゼミで「アメリカ文学」についての発表があった(今年の寺子屋ゼミは「アメリカ」が通年のテーマだった)。
発表自体はアメリカ文学の文学史的事項をさらっと紹介しただけで、とりわけインスパイアリングなものではなかったのだけれど(ごめんね)、ハンドアウトにあった「マーク・トウェイン アメリカ文学の父」という文言がフックした。
どうして、マーク・トウェインだけが「アメリカ文学の父」と呼ばれるのだろう。
どうして、ジェイムズ・フェニモア・クーパーでも、ハーマン・メルヴィルでも、エドガー=アラン・ポウでもなくて、マーク・トウェインが「父」なのか。
そのときにふっと前にアメリカ共産党の歴史を調べた時に読んだ『アメリカ共産党史』の冒頭で、ウィリアム・Z・フォスターが、アメリカ共産党が受け継ぐべき「革命的教訓」の源泉として、マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン、フランクリン、ジェファーソン、リンカーン、エジソンと並んで、マーク・トウェインの名を挙げていたことを思い出した。
作家として名を挙げられていたのは、セオドア・ドライサーとマーク・トウェインのふたりだけである。
ドライサーはアメリカ社会の現実をリアルに描いた「自然主義」の作家だから、左翼と食い合わせがいいのは理解できるけれど、どうしてマーク・トウェインの名がここにあるのだろう。
アーネスト・ヘミングウェイは「あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』と呼ばれる一冊に由来する(All modern American literature comes from one book by Mark Twain called Huckleberry Finn)」と述べている。
現代アメリカ文学の「淵源」とアメリカの共産主義の「淵源」が同一であるというようなことがどうして可能になるのだろうか。
ふつうに考えると、ありえそうもない話である。
だから、それについて考えた。
そして、ふと思いついたのが、もしかしたら、マーク・トウェインは『ハックルベリー・フィンの冒険』において「南北戦争で分断されたアメリカ」を再統合できるような「鎮魂と和解の物語」を語ったのではないか。その功績によって国民的崇敬を得るに至ったのではないかというアイディアである。
マーク・トウェイン自身は南部人である。南北戦争では南軍に志願して、少尉として従軍している(すぐに除隊して、南部を離れて、ネバダに移っているが)。
彼が造型したハックルベリー・フィンはきわめて南部的な少年である。南部の価値観とふるまいを深く身体化している。
物語の舞台は「南部的な諸制度」が「政治的正しさ」によって断罪されるより前の時代の話(1830~40年代)である。
だから、奴隷制度についても、ハックがその適否について悩むということはない。
それはハックにとっては「あって当たり前」の制度であって、黒人奴隷を自分たち白人と権利上同列のものとみなすようなアイディアはハックの脳裏には去来しない。
でも、故郷を離れて売られることになった奴隷のジムに対して、ハックは電撃的な「惻隠の情」にとらえられ、その逃亡を幇助することになる。
だから、物語の中でハックはずっと葛藤し続けている。奴隷制という「正しい制度」に違背することへの罪の意識と、その制度の犠牲者であるジムに対する親愛と敬意に引き裂かれている。
結局、ハックはどちらにも与さない。どちらにも与することができない。
ハックのこの葛藤のうちにマーク・トウェインは奴隷制の可否によって南北に決定的に分断されたアメリカ人にとっての「非武装中立地帯」を見出したのではないか。
南北のアメリカ人がともに党派的な抵抗感なしに読める小説というのは、南北戦争が終わった1865年から『ハックルベリー・フィンの冒険』が出る1885年までの20年間におそらく誰によっても書かれなかった。
マーク・トウェインが最初にそれを書いた。
『ハックルベリー・フィンの冒険』はその文学的な完成度によってではなく、あるいは「世界文学史」的な重要性においてではなく、まさに分断されたアメリカ人の和解のために書かれた最初の物語だったという歴史的事実によって「それから後のすべてのアメリカ文学の淵源」になったのではないか。
ということを考えたときに、「あ、世阿弥がそうだったのか。だから、世阿弥は『日本文学の父』なんだ」ということが腑に落ちたのである。
というところまで書いたら、もう夜になったので、今日の仕事はこれでおしまい。
続きはまた明日。