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コリン・ウィルソン「アウトサイダー」文庫版解説(後編) ☆ あさもりのりひこ No.636

真に深刻な哲学的問題はただ一つしか存在しない。それは自殺である。人生が生きるに値するか否か。それは哲学の根本的な問いに答えることである。

 

 

2019年3月1日の内田樹さんの論考「コリン・ウィルソン「アウトサイダー」文庫版解説(後編)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

「アウトサイダー」という補助線を引くことで、コリン・ウィルソンはニーチェからドストエフスキーまで、ニジンスキーからブレイクまでを「同じ一つの籠」に入れてみせた。これは偉業という他ないと思う。

たぶんこの書物を最も熱狂的に歓迎したのは、本国イギリスでもその他の国でも(15歳の私がそうであったように)「哲学の出題範囲」の確定を切望していた「知識人予備軍」の若者たちだったろうと思う。この本が1956年の英国でどのような人たちからどのような評価を受けたのかについて、私は出版史的知識を持たないが、おそらく誰よりもまず若者たちの支持を得たのではないかと思う。

年代的に言ってそうである。当時のイギリスは「若者文化」の勃興期であった。文学・演劇の領域ではジョン・オズボーンやアラン・シリトーら「怒れる若者たち」が登場してきていた。アメリカからエルヴィスやバディ・ホリー、チャック・ベリーのロックンロールが入ってきたのはこの頃のことだ。16歳のジョン・レノンがポール・マッカートニーに出会うのが『アウトサイダー』の出た翌年だと言えば、その時期のイギリスの若者たちの気分がどんなものだったかわかる人にはわかるだろう。

彼らは自分たちの新しい価値観に従って、万象をデジタルな境界線で二分割する作法に熱中していた。「ヒップかスクエアか」、「インかアウトか」、「コマーシャルかアートか」「ロックかロックじゃないか」、そういったいささか乱雑だが、爽快感あふれる斬り捌き方が若者文化を席巻しようとしているまさにそのタイミングにコリン・ウィルソンは登場したのである。

素晴らしいことに、この青年はどんなアカデミックな教育とも無縁な独学者であった。昼間は英図書館で万巻の書物を読み、夜は公園で野宿していたこの「ホームレス哲学者」がなんと凡庸なアカデミシャンをはるかに凌駕する恐るべき博覧強記によって哲学史を一刀両断してみせたのである(「ロック」だ)。私がイギリスでの『アウトサイダー』のリアルタイムでの読者だったら、喜びのあまり手の舞い足の踏むところを知らなかったであろう。

でも、若者たちだけではない。もう少し年長の知識人たちもコリン・ウィルソンの中に「イギリスの知的未来」についての希望を見たのではないかと思う。

もしかするとコリン・ウィルソンは「イギリスのアルベール・カミュ」になるのではないか。そういう夢を見た批評家たちがきっといたはずである。というのは、二人の間にはたしかにいくつかの共通点が見出せるからだ。

『アウトサイダー』の出る15年前にカミュは『異邦人』という小説と『シーシュポスの神話』という近現代哲学を一刀両断する「哲学書」を携えてフランスの文壇に華々しく登場した。

『シーシュポスの神話』はこんな言葉で始まっていた。

「真に深刻な哲学的問題はただ一つしか存在しない。それは自殺である。人生が生きるに値するか否か。それは哲学の根本的な問いに答えることである。自余のことは、世界に三つの次元があるかどうかとか、精神は九つのカテゴリーを持つか十二のカテゴリーを持つかといったことはその後の話である。そんなのはたわごとに過ぎない。」

同時代の哲学者たちが論じている問題のほとんどは「たわごと」である。だから、「それを否認すれば生かしてやるが、それを主張し続ければ殺す」という究極の選択を前にしたときにそれに殉じる覚悟の哲学者は一人もいるまいとカミュは憎々しげに言い放った。この本が出たとき、カミュは弱冠29歳。彼もまた哲学についてアカデミックな教育を受けたことのない独学の人であった。

1956年、コリン・ウィルソンが『アウトサイダー』で劇的なデビューを果たしたまさにその年、アルベール・カミュは43歳(史上二番目の若さ)でノーベル文学賞を受賞し、ヨーロッパ中のメディアを賑わしていた。英国の少なからぬ数のジャーナリストや批評家たちが『アウトサイダー』のうちに『シーシュポスの神話』とのスタイル上の近似を認めたがったとしても、誰がそれを責められよう。

現に、独学者には固有の「書き癖」があり、カミュにもウィルソンにも、それは共通している。それはただ一つの鍵概念(カミュの場合は「不条理」、コリン・ウィルソンの場合は「アウトサイダー」)を手にして、古今東西の文学者・哲学者の仕事を「一つのものさし」でざっくりと類別してしまうという豪快な手法である。

多くの人が指摘しているように、『アウトサイダー』はカミュの『異邦人』の英訳タイトルをそのまま借りている。そのことを勘案しても、コリン・ウィルソンがカミュをロールモデルに擬していたということは十分吟味するに値する仮説だろう。二人とも下層階級の出身で、独学者で、野心と反骨精神にあふれた貧しい若者である。それが大学を頂点をする講壇哲学をおのれの拳ひとつで叩き壊そうとしている。

だが、『シーシュポスの神話』と『アウトサイダー』の相似点はそこまでである。

まず、カミュの本は残念ながら「現代哲学の学習指導要領」には使えないからである。引用が少なすぎるのである。カミュは自説の傍証として何か他人の言葉が必要なときには、書棚から適当な哲学書を選んで取り出し、ぱらりと開けばそこに自分がまさに読むべきことが書かれているはずだと思っていた(それくらいに自分の直感力を信じていた)。だからカミュはノートをとって哲学書を読むタイプではない。

でも、コリン・ウィルソンは逆だった。彼は本職のアカデミシャンを知識量で圧倒する道を選んだ。やり方としてはウィルソンの方が手堅い。

結果的にコリン・ウィルソンの本は引用の宝庫となった。

「アウトサイダー」をめぐる中心的な命題だけをまとめれば50頁で終わったはずの書物がその十倍の量になったのは、彼が実に多くの書物から大量の引用を行ったからである。それだけではない、コリン・ウィルソンは小説についてはそのあらすじを、人物についてはその伝記を実に細かく記してくれた(複雑な小説のあらすじをさらさらとまとめる技術と印象的なエピソードをつなげて立体感のある略伝を書き上げる技術においてコリン・ウィルソンは紛れもなく例外的才能の持ち主である)。

おそらく彼は図書館で読んだ本の重要箇所をこまめに「抜き書き」したノートを作り、それを蔵書に代えていたのだと思う。その膨大な抜き書き作業に投じた時間に対する愛着が彼の書物を「引用の宝庫」にしてしまった。

おかげで、『アウトサイダー』は「その一節を引用しさえすれば、その本全部を読んだことになるくらいに著者の思想とスタイルのエッセンスの詰め込まれた選び抜かれたフレーズ」で埋め尽くされることになった。そのことが、私たちのような、その本を全部読むだけの暇も根気もないが、何が書いてあるかは知っておきたい気ぜわしい若者たちにとってどれほどの恩恵であったかは贅言を要すまい。

いずれにせよ、『アウトサイダー』は1950-60年代における最高のブックガイドだったと私は思う。私はコリン・ウィルソンの案内によって、その後ニーチェを読み、キェルケゴールを読み、ドストエフスキーを読むようになった。私の同世代の友人たちのあるものはTE・ロレンスを読み、あるものはニジンスキーを読み、あるものはブレイクを読むようになった。彼らは自分がなぜそのような本を読み始めたのか、理由を告げなかったが、私は彼らの書棚には必ずや『アウトサイダー』があったろうと確信している。

 

それから45年経って、文庫版の解説のために『アウトサイダー』を再読した。そして、この本から後もコリン・ウィルソンの著作を長く追い続けた結果、彼が網羅的に情報を集めることは大好きだが、それらを分析し考察を深めるという仕事には同じほどの情熱を示さない書き手であることを知ってしまった私としては、このデビュー作の完成度の高さにむしろ驚かされた。最初にこれほどのものを書いたのか、と。そして、セールス的にも、文学史的評価においても、ついにデビュー作を超えることができなかった多作な書き手のために一掬の涙を注ぐのである。

 

残念ながら、『アウトサイダー』は『シーシュポスの神話』のように「現代思想の殿堂」入りを果たすことはできなかった。けれども、1950-60年代の世界の若者たちに、「哲学もロックすることができる」という心躍る思いを与えた。そのことだけでも、一冊の書物が知性の歴史に残した足跡としては十分語り継ぐに値する業績ではないかと私は思う。