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「聖地」には強い力があります。だからこそ、人間はそれに惹きつけられる。
でも、「超越的なもの」は当然ながら人間的射程を絶している。その霊的な法外さを人間に対応できる枠内にとどめるために人間たちが思いついたのが「俗化」という手立てだった
2019年3月28日の内田樹さんの論考「「日本人にとって聖地とは何か」あとがき」をご紹介する。
どおぞ。
みなさん、こんにちは。内田樹です。
「聖地巡礼」シリーズも四作を重ねました。タイトルも「ビギニング」「ライジング」「リターンズ」そして、「コンティニュード」って、ほとんど『バットマン』ですね。
ただ、これは釈先生や僕や巡礼部の諸君の趣味ではなくて、東京書籍の方で撰したタイトルですので、「どういう順番で出たのかわかんないよ」というご不満をお持ちの読者のかたもいると思いますけれど、どうかご海容ください。
本書はいつもの「聖地巡礼」ではありません。茂木健一郎、高島幸次、植島啓司という脳科学、歴史学、宗教学の碩学諸兄に凱風館においで頂き、釈先生と僕と巡礼部の諸君とで、ご高説を伺い、その話に触発されて、談論風発、話頭は転々奇を究め・・・という愉しい結構のものであります。読者のみなさんも、その場を領していた暖かくて、わくわくした雰囲気を感じ取ってくださったらうれしいです。
「あとがき」に代えて、聖地巡礼というプロジェクトについて、最近思うことを書いておきたいと思います。
このプロジェクトが本格的に始動したのは2011年の東日本大震災と原発事故のあとだったと思います。
震災の災禍を前に言葉を失った日本人の多くは「これまでのような浮ついた生き方を改めて、もっと地に足の着いた生き方をしないといけない」と感じた。そして、以後、さまざまな人たちによって、さまざまなかたちで、「地に足の着いた生き方」の探求が始まりました。僕はそんなふうに「ポスト3・11」直後の時代の気分を記憶しています(残念ながら、その「気分」はそれほど長くは続きませんでしたが)。
この聖地巡礼も、そのときの「地に足の着いた生き方」の探求・再発見という、国民的規模での企ての一つの露頭ではないかと思います。事実、「聖地巡礼」やそれに類するタイトルの書籍はAmazonのカタログでは数十冊を数えることができますが、そのほぼすべてが2011年以降のものです。
「聖地」も「巡礼」も普通名詞です。新造語でもないし、特殊なテクニカルタームでもありません。でも、その言葉がある時期から強いインパクトを持って流通するようになった。
僕たちの聖地巡礼が書籍シリーズ化したのも、おそらく日本全体を巻き込んだこの集団心理的な転向の中での出来事だったと思います。
でも、実際にはそれよりだいぶ前に、釈先生と僕はややフライング気味に聖地巡礼をスタートさせていました。
釈先生をお招きして、神戸女学院大学で「現代霊性論」という共同講義をしたのは2005年度の学期のことです。半年間、ふたりで掛け合い漫才のようにさまざまな宗教的トピックを論じた後、学期終了後に釈先生のご提案で、バスを仕立てて、京都を訪れました。(東寺の立体曼荼羅と三十三間堂の千手観音を拝観して、南禅寺で湯豆腐を頂くという愉快な遠足でした)。
その遠足がとても楽しかったので、「これ、定期的にやりましょう」ということに話が決まり、さらに2011年秋に凱風館が竣工して、門人たちが「巡礼部」を結成したことで、「巡礼」気分が一気に盛り上がり、数十人規模での聖地巡礼が定例化し、気がつけば書籍化されていた・・・という流れになりました。
釈先生も僕もそれぞれの仕方で「霊的なものの切迫」については専門家です(釈先生は僧侶かつ宗教学者として、僕は武道家かつレヴィナスの「弟子」として)。ですから、久しく「霊的感受性の涵養」のたいせつさについて説いてきました。でも、そういう理説に耳を傾けてくれる人は、知識人の中にはなかなか見出し難かった。そういう書物を求める読者たちも少数にとどまっていました。
でも、ある時点から、潮目が変わりました。
「聖地巡礼」がいきなり一種の流行になったのです。
それはたしかに日本人の集団心理の「転向」の徴候であり、その限りではていねいな分析を要請していると思います。けれども、気をつけないといけないのは、こういうものはほんとうにたちまちのうちに「俗化」「陳腐化」するんです。おそらく、もうすでに読者たちの中には「聖地巡礼か・・なんか、その手のものにはもう飽食したわ」というような感触を持ち出した人もいるんじゃないかと思います。
それがいけないと言っているわけじゃないんです。そういうものなんです。というか、それでいいんだと思います。
かつて大瀧詠一さんは「聖地はスラム化する」という名言を残されましたが、ほんとにそうなんだと思います。前に華厳の滝に行ったときに、滝そのものの恐るべき霊的迫力と、それを囲む土産物屋のこれまた恐るべき俗悪さの対比に驚いたことがあります。でも、しばらく考えて、それは「超越的なもの」を慰撫するために、人間たちが創り出した巧妙な仕掛だということに気がつきました。
「聖地」には強い力があります。だからこそ、人間はそれに惹きつけられる。
でも、「超越的なもの」は当然ながら人間的射程を絶している。その霊的な法外さを人間に対応できる枠内にとどめるために人間たちが思いついたのが「俗化」という手立てだった、と。僕はそんなふうに考えるようになりました。
僕たちが訪れる先が「聖地」と呼ばれるにふさわしいものであるなら、本来なら人間の賢しらをもって容易に接近し、理解し、制御することを許さない場所であるはずです。聖地である以上、そうでなければ困る。
でも、それでもなお「聖地」からわれわれを霊的に賦活する力を引き出そうと願うなら、「聖地を慰撫する人間的な仕掛け」というものが必要になります。華厳の滝におけるお土産物屋の群れのようなものが必要になる。
そう思って振り返ると、僕たちの「聖地巡礼」も、これまで「遠足」や「物見遊山」というスタイルを一貫して守り続けてきました。釈先生と僕との対話も、「真面目過ぎるもの」にならないようにしようという黙契があったように思います(釈先生も僕も真面目に話そうと思えば、かなり真面目な話ができる人間なんですよ、実は)。僕たちの「巡礼」の旅と、聖地をめぐる対話も、一種の「俗化」であり、「聖なるものの人間的サイズへの縮減」だったと思います。
でも、それを「俗だね」と鼻先で笑われても困るんです。
それを言ったら、聖像を作ることも、伽藍を建設することも、人間の言葉で祈ることも、ぜんぶ「俗」なものだと言うことになる。
あらゆる巡礼の旅は、巡礼者たちにとって「観光旅行」「物見遊山の旅」という裏面を持っている。それが聖地への旅の必然なのではないかと思います。聖地巡礼は必然的に物見遊山の旅になる。すべての霊的行為はそういう人間的頽落をこうむる宿命にある。むしろ、霊的な緊張と、人間的な弛緩が共存する経験のうちに「聖地巡礼」という複雑な営みの本質は存するのではないか。そんな気がするのです。
思えば、最初の聖地巡礼のときに、釈先生のような場数を踏んできた宗教者が「参詣のあとは南禅寺で湯豆腐で昼酒」という愉悦的なコースを構想されたことに深い必然性があったということにそのとき気づくべきでした(今ごろ気づいてもちょっと遅い)。
霊的な緊張を求める行為は、それを弛緩させる「人間的なもの」の介入と表裏一体をなしている。二つは対になってはじめて機能する。そこに宗教者たちの見識は示されるのではないか。僕には何となくそんな気がするのです。
僕が尊敬するイスラーム法学者の中田考先生はTwitterの「プロフィール」にこんな自己紹介を書いています。
「イスラーム学徒、放浪のグローバル無職ホームレス野良博士ラノベ作家、老年虚業家、『カワユイ(^◇^)金貨の伝道師』、『皆んなのカワユイ(^◇^)カリフ道』家元、プロレタリア革命戦士(労働英雄)、食品衛生管理責任者、TikToker、ネズミハウスの食客。イスラームの話は殆どしませんが、全てはイスラームの話です。」
中田先生は敬虔なイスラーム信者です。そして、その教えを厳密に守っておられる。でも、そのおのれの峻厳な宗教的実践を形容するときに選んだ語が「カワユイ(^◇^)」や「プロレタリア労働英雄」というような「俗な」語であることに僕はむしろ中田先生の宗教者としての成熟を感じるのです。おそらく中田先生が感知している「超越的なもの」の切迫は、人間的な「とりなし」抜きには、ある種の確信犯的な「俗化」抜きには、われわれに伝えることができない境位のものなのです。
「聖地はスラム化する」「超越的なものは俗化によってとりなされる」ということが釈先生とのこの「聖地巡礼」の経験を通じて、僕が見出したひとつの教訓です。
以上が「最近はこういうことを考えるようになった」という話です。「だから、どうした」というような話ですけれど、まあ、そういうことを考えていますということです。はい。
皆さんにはまた次の「聖地巡礼」でお会いしましょう。
最後になりましたが、遠路お運びの上、貴重なご講話を賜りました茂木健一郎、高島幸次、植島啓司のお三方に改めてお礼を申し上げます。
いつもご迷惑をかけてばかりの東京書籍の植草武士さんの雅量とご配慮にも伏して感謝申し上げます。
巡礼部の諸君、これからもどうぞ聖地巡礼の旅を盛り建ててくださいね。ご支援よろしくお願いします。
そして、釈徹宗先生、ひとえに先生の徳と法力に守られているおかげで「聖地巡礼」は成り立っています。心から感謝申し上げます。これからもどうぞわれわれをお導きください。よろしくお願い致します。
2019年2月
内田樹