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憲法について(その5) ☆ あさもりのりひこ No.673

憲法前文には、「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と書いてありますけれど、そもそも「日本国民」というもの自体が擬制なわけです。憲法が公布された1946年の113日の段階では、事実上も権利上も、「日本国民」などというものは存在していないわけですから。

 

 

2019年3月31日の内田樹さんの論考「憲法について(その5)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

僕が子どもの頃、内田家では、お正月には毎年日の丸を立てていました。どの家もそうでした。お正月や祝日には必ず日の丸を揚げた。黒と黄色に塗り分けられた旗竿の上に金のガラス玉を入れて、ぺらぺらの日の丸の旗を張って揚げた。僕は子どもでしたから、その儀式が大好きでした。だから、年末になると父が日の丸のセットを押し入れから出して、飾りつけをする手伝いをするのを楽しみにしていました。でも、ある年、僕が小学校の低学年の頃でしたけれど、お正月だから「お父さん、日の丸出そうよ」と言ったら、父親がふっと「もういいだろう」って言ったんです。

もう日の丸を揚げる義理もなくなった、そういう感じでした。1958年か59年くらいのことだったと思います。その頃、たしかにまわりの家もだんだん日の丸を揚げなくなってしまった。こういうのってほんとに不思議なもので、別に「日の丸を揚げるのをやめましょう」なんていう運動があったわけじゃない。でも、申し合わせたように、揚げなくなった。その時の国旗掲揚を止める時の理由が「もういいだろう」だった。

あとから思うと、1958年って大日本帝国の十三回忌なんですね。帝国臣民たちは帝国が死んでから13年くらいまでは死せる大日本帝国に対して弔意を抱いていた。当然ですよね、彼らは生まれてからずっと「神国不敗」「天壌無窮」の大日本帝国臣民だったわけですから。でも、もういつまでも消えた帝国を懐かしんでいてもしかたがない、と。親が死んでだいたい十三回忌になると親族が集まった法事の席で、喪主に当たる老人が言い出すことがありますよね。「いや、お疲れ様。これでなんとか亡き親の十三回忌まで営みました。でも、みんなも年を取ってきて、集まるのも大変になってきた。もう、この辺でいいんじゃないか」というようなことを。もう十分に悼んだから、このへんでいいだろう、と。1958年頃に、日の丸が一斉に東京の街角から消えていったのは、あれは大日本帝国の十三回忌も営んだし、もう昔のことは忘れようという暗黙の国民的な合意だったんじゃないか。

そういうのって、やっている本人だって、自分が何をしているのかよくわかっていないんだと思います。口に出さないけれど、何となく、そんな気分になる。無意識的にやっているわけです。でも、僕はそういう暗黙の、無意識の集団的な行動が、結局はある時代のイデオロギー的な大気圧をかたちづくっていて、その時代を生きている人間たちの思考や感受性を深く規定していたんじゃないかという気がするのです。

 

ですから、ずっと後年になって、安倍晋三が登場してきて「みっともない憲法だ」と言った時にほんとうに驚いたのです。海とか山のような自然物に向かって「みっともない」というような形容はふつうしませんから。

でも、そう言われて初めて、憲法を自然物のように思いなすというのは、僕たちの世代的な「偏り」であって、戦中派の薫陶を受けていない世代は憲法を僕たちと同じようにはとらえていないのだということを知ったのです。

だから、護憲論が空疎になるのです。護憲論を批判するのはほんとうに簡単なんです。こんなものただの空語じゃないか、「絵に描いた餅」じゃないか、国民のどこに主権があるのか、「平和を愛する諸国民の公正と信義」なんか誰が信じているのか、国際社会が「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている」なんて白々しい嘘をよく言えるな。そう言われると、まさにその通りなんです。

憲法前文には、「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と書いてありますけれど、そもそも「日本国民」というもの自体が擬制なわけです。憲法が公布された1946年の113日の段階では、事実上も権利上も、「日本国民」などというものは存在していないわけですから。だって、公布前日の112日までは、列島に存在したのは大日本帝国だったわけですから。そこにいたのは「大日本帝国臣民」であって、「日本国国民」なんていうものはどこにもいない。どこにもいないものが憲法制定の主語になっている。「この主語の日本国民というのは、誰だ」と言われたら、答えようがない。

日本国憲法を制定した主体は存在しない。存在しない「日本国国民」が制定した憲法であるというのが日本国憲法の根源的な脆弱性なわけです。

と言っておいてすぐに前言撤回するのもどうかと思いますけれど、実は世の中の宣言というのは、多かれ少なかれ「そういうもの」なんです。宣言に込められている内容はおおかたが非現実なんです。宣言している当の主体自体だって、どれほど現実的なものであるか疑わしい。

例えばアメリカの独立宣言(177674日公布)では「法の下で万民が平等である」と謳っていますけれど、実際にはそれから後も奴隷制度はずっと続いていました。奴隷解放宣言の発令は1862年です。独立宣言から100年近いタイムラグがある。奴隷解放宣言で人種差別が終わったわけじゃありません。人種差別を公的に禁じた公民権法が制定されたのは1964年。独立宣言から200年経っている。そして、もちろん今のアメリカに人種差別がなくなったわけじゃありません。厳然として存在している。独立宣言の内容と現状の間には乖離がある。

でも、「独立宣言に書いてあることとアメリカの現状が違うから、現実に合わせて独立宣言を書き換えよう」というようなことを言うアメリカ人はいません。社会のあるべき姿を掲げた宣言と現実との間に乖離がある場合は、宣言を優先させる。それが世界標準なんです。でも、日本だけがそうではない。宣言と現実が乖離している場合は、現実に合わせて宣言を書き換えろということを堂々と言い立てる人たちが政権の座にいる。