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憲法を制定するのは「憲法条文内部的に主権者と認定された主体」ではありません。憲法を制定するのは、歴史上ほとんどの場合、戦争や革命や反乱によって前の政治体制を覆した政治的強者です。
2019年3月31日の内田樹さんの論考「憲法について(その6)」をご紹介する。
どおぞ。
世界中どこでも、国のあるべきかたちを定めた文章は起草された時点では「絵に描いた餅」だったわけです。宣言を起草した主体が「われわれは」と一人称複数で書いている場合だって、その「われわれ」全員と合議して、承認を取り付けたわけじゃない。そうではなくて、このような宣言の起草主体の一人だという自覚を持つような「われわれ」をこれから創り出すために宣言というものは発令されたわけです。それでいいんです。日本国憲法を確定した「日本国民」なんてものは現実には存在しない。でも、そこで掲げられた理念が善きものであると人々が思うようになるのなら、「憲法を起草してくれ」と誰かに頼まれたら、すらすらとこれと同じ憲法を起草することができるなら、その時「日本国民」は空語ではなく、実体を持ったことになる。
この憲法を自力で書き上げられるような国民に自己造型してゆくこと、それが憲法制定以後の実践的課題でなければならなかったはずなんです。ただし、その努力を行うためには、日本国民が「われわれは『日本国民』にまだなっていない。われわれは自力でこの憲法を起草できるような主体にまだなっていない」ということを自覚しなければならない。
護憲論の弱さはそこにあります。護憲派はそういうふうには問題を立てなかったからです。そうではなくて、「日本国民は存在する」というところから話を始めてしまった。僕はそれが最初のボタンの掛け違えだったと思います。「日本国民」が集まって、熟議を凝らした末に、衆知を集めてこの憲法を制定したというふうに、たしかに憲法前文は読める。しかし、そういう事実はない。
だから、護憲派は「そういう事実はない」ということを隠蔽した。僕はそれがいけなかったのだと思うのです。いいじゃないですか、「そういう事実」がなくても。歴史上のどんなすばらしい宣言だって、憲法だって、多かれ少なかれ「そういうもの」なんですから。たしかに日本国民が衆知を集めて憲法を制定したという事実は実際にはないのだけれども、仮にもう一度憲法制定のチャンスを与えられたら自発的にこれと同じ憲法を自力で書けるような日本国民を創り出してゆくという遂行的な責務は現に目の前にある。そういうふうに考えるべきだったんじゃないかと、後知恵ですけれども、僕は思います。戦中派の人たちが憲法制定過程における日本国民の関与の薄さということを僕たちに向かって率直に開示して、「でも、自力でこれを書けるようになろう」というかたちで戦後の市民意識の成熟の課題を掲げてくれたのであれば、それから何十年もして改憲派に足をすくわれるようなことは起きなかったと思います。
改憲派の護憲派に対するアドバンテージというのは、まさにその一点に尽きるわけです。憲法制定過程に日本国民は関与していない、これはGHQの作文だ、これはアメリカが日本を弱体化させるため仕掛けた戦略的なトラップだ、というのが改憲論を基礎づけるロジックですけれど、ここには一片の真実があることは認めざるを得ない。一片の真実があるからこそ、改憲論はこれだけの政治的影響力を持ち得ているわけです。
憲法制定過程に「超憲法的主体」であるGHQが深く関与したことが憲法の正当性を傷つけていると改憲派は言いますし、護憲派もGHQの関与については語りたがらない。でも、そんなのすらすら認めていっこうに構わないじゃないかと僕は思うのです。憲法を制定するのは「憲法条文内部的に主権者と認定された主体」ではありません。憲法を制定するのは、歴史上ほとんどの場合、戦争や革命や反乱によって前の政治体制を覆した政治的強者です。それは大日本帝国憲法だって同じです。大日本帝国憲法において主権者は天皇でした。たしかに「大日本帝国ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と第一条に記してある。そして、その条項を起草したのも天皇自身であるということになっている。現に、大日本帝国憲法の「上諭」には「朕」は「朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典を宣布ス」と明記してあります。でも、別に憲法制定の「大権」が歴代天皇には認められていたなどということはありません。勅諭や綸旨ならいくらでも出したことがあるけれど、憲法という概念自身が近代の産物なんですから、憲法制定大権なる概念を明治天皇が「祖宗」に「承クル」はずがない。実際に明治憲法を書いたのは伊藤博文ら元勲です。明治維新で徳川幕府を倒し、維新後の権力闘争に勝ち残った政治家たちがその「超憲法的実力」を恃んでこの憲法を制定した。
憲法というのは「そういうもの」なんです。圧倒的な政治的実力を持つ「超憲法的主体」がそれを制定するのだけれど、それが誰であり、どういう歴史的経緯があって、そのような特権をふるうに至ったのかという「前段」については、憲法のどこにも書かれていない。でも、書かれてなくても、知っている人は知っている。明治時代の人たちだって、憲法を起草したのが元勲たちで、それが近代国家としての「体面」を繕い、国際社会にフルメンバーとして加わり、欧米との不平等条約を改定するために必要だからということも知っていた。薩長のエリートたちによる支配を正当化し、恒久化するための政治的装置だということも知っていた。