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学校教育をうまく進めるための効果的な方法は一つしかない。それは現場の教員が機嫌よく教育活動に専念できることである。
2019年5月10日の内田樹さんの論考「小学校教員の採用試験の倍率低下について」をご紹介する。
どおぞ。
2018年度の全国の公立小学校の教員採用試験の倍率は平均3.2倍で過去最低となった。7年連続の減少で、就職氷河期に公務員が人気だった00年度(12・5倍)の4分の1。
倍率3倍を切ると教員の質の維持が難しく、「危険水域」に近づいている。
文科省によれば、倍率低下の原因は80年代に大量採用した教員が一斉退職を迎えたための採用数増、民間企業の採用の活発化、教員免許を出せる大学の減少である。
しかし、最大の理由は、小学校教員が魅力のある職業ではなくなったせいだろう。
2016年に文科省が実施した調査によると、小学校教員の平均週勤務時間は57時間25分。10年前より4時間9分増え、3割が「過労死ライン」を超えた。にもかかわらず、学習指導要領の改訂に伴い、これから英語やプログラミングが必修化され、教員の負荷はますます増大する。この後、仮に教員定員を満たすことができなくなれば、定員以下で現場を回さなければならない教員の負担は耐え難いレベルに達し、次々と教員たちが「バーンアウト」して脱落した後、教育現場は制御不能のカオスと化すだろう。
教員の確保のために何が必要なのかは誰にでもわかる。
それは教員の負担軽減と、給与の増額である。
でも、政府はそれをしなかった。
財源がなかったのだという言い訳はわかる。だが、それでも「教員の負担をどうすれば軽減できるか?」ということを問うくらいのことはできたはずである。
過去四半世紀、文科省の役人はそう自問したことはあるのか。
私はないと思う。
少なくとも、私が大学教員をしていた29年の間に「文科省の通達があって、これまでしていた仕事をしなくてよくなった」ということは一度もなかった。
私の在職中、大学が果たすべき仕事はひたすら増え続け、提出すべき書類はひたすら増え続け、開かなければならない会議はひたすら増え続けた。
「教育改善」のために提出を義務づけられた膨大な書類作成と会議のために、教員たちは実際の教育活動に割くべき時間を犠牲にしなければならなかった。自己評価だとかシラバス作成だとかPDCAサイクルだとかいう工学的タスクのために、教員たちの研究時間は容赦なく削り取られた。そうして、日本の高等教育の学術的発信力は劇的に低下した。
文科省は何か根本的な勘違いをしているのではないか。
学校教育をうまく進めるための効果的な方法は一つしかない。それは現場の教員が機嫌よく教育活動に専念できることである。
そして、教育方法上の創意工夫を凝らし、子どもたちの発する微細なシグナルを感知するためには、教師の側に「余裕」がなければ話にならない。
けれども、日本の教育行政の政策立案者たちは「どうすれば教員たちが機嫌よく働けるようになるのか?」という問いをたぶん過去に一度も立てたことがない。反対に、教員たちを管理し、恫喝し、査定し、無意味な労働を強い、屈辱感を与えることに政策的努力の過半を投じて来た。
確かに、そういうプレッシャーを与え続ければ、最終的には上位者が命じる無意味なタスクに抵抗しない「イエスマン教員」だけが生き残り、教育現場に政府や自治体が政治的に介入することはきわめて容易になるだろう。
組織の効率的な管理ということを優先すれば、これは正しい政策である。
そして、たしかにこの教育政策は「大成功」を収めたのである。
文科省はそのことを認めるべきだろう。
これは政府が自覚的に進めて来た政策の帰結なのである。それが所期の成果をあげた姿なのである。
問題は「こんなことをずっと続けていたら、いずれ教師になりたがる若者がいなくなり、学校に行きたがる子どもがいなくなり、学校が知的活動の場ではなくなるのではないか?」というリアルな疑念が教育政策の立案者たちの脳裏に一瞬も浮かばなかったということである。