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父は北京で敗戦を迎え、46年に無一物で日本に帰ってきました。そして、北海道の札幌にいた長兄を訪ね、そこで身支度を整え、いくばくかの生活資金をもらって東京に出てきました。次兄は長崎で原爆に被爆し、妻と二人の息子を失い、自分も全身に火傷を負って入院していました。長兄は1945年8月、敗戦直後の混乱期の日本列島を縦断して、札幌から長崎まで旅し、弟を背負ってまた北海道まで戻りました。
2019年5月13日の内田樹さんの論考「『「おじさん」的思考』韓国語版序文」をご紹介する。
どおぞ。
「おじさん的思考」韓国語版序文
みなさん、こんにちは。内田樹です。 『「おじさん」的思考』お買い上げ、ありがとうございます。
この本の初版が出たのは2002年、もう17年(!)も前のことです。採録された文章の多くはそれ以前にインターネットのHPに書かれたものですので、古いものは20年以上前のものになります。日本人読者が読んでも「ああ、そんなことも昔はあったなあ・・・」と遠い目をして回顧されそうなエッセイを改めて韓国語に訳して、現代の韓国の読者のお役に立つのだろうか・・・とちょっと心配です。
それでも、訳者の朴東燮先生が「訳したい」と思ってくれたということは、その中に「今の韓国人読者に読んで欲しい」と思ったような知見が含まれていたということだろうと思います。
でも、それは何なのでしょう?
「韓国語版序文」として、それについて少しだけ私見を述べておきたいと思います。
「『おじさん』的思考」というタイトルに掲げてある「おじさん」というのは、単行本のあとがきでちょっとだけ説明しているように、戦後日本の、それも1950年代から60年代なかばくらいまで僕の周りにいた「日本の、ふつうの、勤勉で、民主的で、平和を愛し、家族思いの男」のことです。
そういう「おじさん」たちがある時代においてわりと標準的な「大人」であり、それがある時期からふっつりと姿を消した。僕はそんなふうに感じています。そして、「おじさん」たちの消滅をとても残念に思っています。この本はそういう「今はもうあまり見ることがなくなった、戦後しばらく日本社会にいたおじさんたち」に対する僕からの親愛と連帯の表明です。
日本の家族制度は1947年の民法改正によって大きく変わりました。明治憲法下の「家制度」がなくなったのです。
家制度というのは、家長を「戸主」と称して、彼に家の統率権限を与えていた制度です。江戸時代から続く、伝統的なものです。家産のすべてを長男が独占的に相続し、必要に応じてそれを他のメンバーに分与する。他のメンバーは進学や就職や結婚などについてもいちいち家長の許可を求めなければなりません。
家長はそれだけの権限を賦与されていたわけですけれど、同時に弟たち姉妹たちを幼いうちは教導し、扶養し、しかるべき年齢になったら勤め先をみつけ、結婚させる義務も課されていました。その制度が日本社会の民主化と、とりわけ女性の社会進出を妨げていたことは間違いありません。けれども、どんな制度も悪い面だけではありません。ちょっとは「いいところ」もあります。それは自分の我を抑えて、ある種の役割を演じ通すということです。自己抑制の努力が求められたということです。
家長はただ威張っていればいいというものではありません。家産を管理し、家業を受け継ぐわけですから、本人には職業選択の自由はありません。移動の自由もない。結婚相手だって、政治的意見だって、着るものだって、食べるものだって、趣味嗜好だって、家長にふさわしいものでなければならない。自分ではそうそう勝手には決められない。不自由なものです。
加えて、弟や姉妹たちから自然な崇敬の念を得ようと思ったら、彼らから「ものわかりのよい、器の大きな人だ」と思われている必要もありました。
戦前の日本の小説を読むと、だいたい男の主人公は次男三男です。家長からお金を出してもらって高等教育を受けて、卒業したあとも仕事もしないで、ぷらぷらしている。そして、家長に会うといろいろ説教されるので(「遊んでないで、仕事をしろ」とか「早く嫁をもらえ」とか)、お金をもらいに来るとき以外は家にはあまり寄り付かない。そういう男が小説を書いたり、哲学をしたり、不倫をしたり、政治運動をしたり、いろいろな波乱を経験します(家長はドラマの主人公になれないんです。生活が退屈過ぎて)。
この手の小説を読んで僕が驚くのは、どんな物語でも、家長がずいぶん我慢強いことです。家長には家名に泥を塗るような行為をしたり、家長の指示に違反したりしたメンバーを家から追い出す権利があります。でも、めったにこの緊急避難的特権は行使されません。問題行動を起こす家族のせいでいろいろと迷惑をこうむっても、家長はかなり長い間、じっと耐えている。「不出来な家族に対する寛容さ」というものもまた家長に対してかなり優先的に要求された徳目だったのかも知れません。
僕の父親はもうずいぶん前に亡くなりましたが、六人兄弟の四男でした。三人の姉妹と一番下の弟は子どもの頃に亡くなり、生きて終戦を迎えたのは男子五人だけでした。
父は北京で敗戦を迎え、46年に無一物で日本に帰ってきました。そして、北海道の札幌にいた長兄を訪ね、そこで身支度を整え、いくばくかの生活資金をもらって東京に出てきました。次兄は長崎で原爆に被爆し、妻と二人の息子を失い、自分も全身に火傷を負って入院していました。長兄は1945年8月、敗戦直後の混乱期の日本列島を縦断して、札幌から長崎まで旅し、弟を背負ってまた北海道まで戻りました。
長兄は北海道庁に勤める下級役人でした。彼が父親から受け継いだ家産と呼べるようなものはほとんどなく(祖父は貧しい小学校教師でした)、あったのは弟たちを支援する家長としての責任だけでした。そして、その責任をこの伯父はまことに誠実に果たしたのでした。
僕は子供の頃、この伯父の家に正月に内田家の人々が集まるときに、どうして父たちがあれほど長兄に対して遠慮がちなのか、不思議でした。それを「古い家制度の陋習だ」と思っていました。伯父が弟たちのためにどれだけの献身をしたのか聞いて、粛然と襟を正したのは伯父が死んでずいぶん経ってからのことです。僕はそのときに「家父長のすごみ」のようなものを感じました。
かつての日本社会には、そのような風貌を具えた家長がいました。でももう、今の日本にはいない。
僕の少年時代(1950年から65年くらいまで)、男たちは戦前の家長制の下で成人した人たちでした。だから「家長というのはどういうふうにふるまうべきものか」についてはよく知っていました。でも、法律が変わり、家長は制度的にはいなくなり、家庭は民主的で平等なものになりました。とはいえ、男たちは自分が子供のときにそれを見て育ってきた「家長」以外に自己形成のロールモデルを持ちません。制度としての家長制が消滅した後の時代にあって、それでも家長としてふるまう以外に生き方を知らなかった男たち、それを僕はこの本で「おじさん」というふうに呼んでいたのだと思います。
ときどき勘違いする人がいますけれど、僕自身は「おじさん」ではありません。100%ピュアな戦後民主主義の申し子です。わが身ひとつの自由と幸福だけを求めて、親兄弟のもとを去り、故郷に二度と立ち戻らないでも平気な「アプレゲール」です。
でも、そうやって自由気ままに暮らしてきた後、ある年齢に達したときに、少年時代に身の回りにいた「おじさん」たちのことを懐かしく思い出すようになりました。
家父長としての責任を肩に感じながら、民主主義的な家族の一員たるべく自己陶冶に励んでいた男たち、前近代と近代の水が入り混じった「汽水域」のようなところを生息域にしていた男たち、この奇妙な「種族」は戦後の一時期だけ日本社会に存在し、その後姿を消しました(映像的に確認したいという方には小津安二郎の映画をお薦めします。そこに繰り返し出て来る「悪いおじさん」たち―佐分利信、笠智衆、中村伸郎、北竜二がその風貌を雄弁に伝えてくれます)。
この人たちの独特のものの考え方や語り口を誰かが記憶し、書き留めて、そして、できることならそれを後世にせめて「情報」としてでも伝えておいた方がいいんじゃないか、齢知命を過ぎた頃に、そんなことを感じました。それが自分のミッションの一つではないかしらと思うようになりました。
この本の文章を書いているのは間違いなく「内田樹」という人なのですけれど、あえて言えば、「おじさんに憑依された内田樹」です。
韓国でももしかすると日本と同じようなことがあったのかも知れません。韓国の家制度は日本以上に儒教的で、家長の権限が強かったはずですから、旧い家父長制が崩れたあとに、かつての家長たちはどうふるまっていいかわからず、ずいぶん当惑したんじゃないでしょうか。
その時代には、法律的な家父長権はもう失効しているのに、家族を扶養し、支援する義務だけは感じていた家長、権威的で口やかましいせいで、他のメンバーから鬱陶しがられたり、疎んじられたりしながら、「自分がいないとこの家族はまとまらない」とひとり力んでいた孤独な家長、そんな男たちがあちこちにいたのではないかと思います(そう言えば、『国際市場で会いましょう』はそういう孤独で抑制的な家長が主人公でしたね)。
彼らの多くはもう亡くなってしまったでしょう。でも、今もときどき彼らの風貌を懐かしく思い出す人たちがいるんじゃないでしょうか。そういう方が「ああ、むかし私の周りにも『おじさん』というものがいたなあ」と思って、この本を手に取ってくれると僕としてはうれしいです。