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私が『週刊ポスト』編集部に言いたいのは「あなたがたには出版人の矜持はないのか」ということに尽くされる。
2019年9月5日の内田樹さんの論考「「週刊ポスト」問題について(前編)」をご紹介する。
どおぞ。
週刊ポスト問題についていくつものメディアから電話で取材を受けた。
どれにも同じことを言っているのだけれど、切り取り方はそれぞれである。
同じことを繰り返すのも面倒なので、ブログに「コメント」を上げておく。
ネット上のテクストはすべてコピーフリーなので、ご自由に切り取って使ってくださって結構である。複製許諾も不要。
『週刊ポスト』9月13日号が「『嫌韓』ではなく『断韓』だ 韓国なんて要らない」というタイトルで韓国批判記事を掲載した。新聞に広告が載ると、直後から厳しい批判の声が上がった。
同誌にリレーコラム連載中の作家の深沢潮さんはご両親が在日韓国人だが、執筆拒否を宣言した。続いて、作家の柳美里さんも韓国籍で日本に暮らしているが、「日本で暮らす韓国・朝鮮籍の子どもたち、日本国籍を有しているが朝鮮半島にルーツを持つ人たちが、この新聞広告を目にして何を感じるか、想像してみなかったのだろうか?」と批判した。
私もお二人に続いて「小学館とは二度と仕事をしない」とツイッターに投稿した。その後もかなりの数の人たちが同趣旨の発言をされたようである。
それで終わるのかと思っていた。どうせ『週刊ポスト』も「炎上上等」というような気分で広告を打ってきたのであろう。「おお、話題になった。部数が伸びる」と編集部では高笑いしているのだろうと思っていた。腹の立つ話だが、所詮、「蟷螂之斧」である。私ごとき三文文士が「小学館とは仕事をしない」と言っても、先方は痛くも痒くもない。10年ほど前に観世のお家元と共著で能の本を出したのと、小津安二郎のDVDブックにエッセイを書いたくらいしか小学館の仕事はしたことがないし、いまもしていないし、雑誌に連載も持っていない。そんな男が「もう仕事をしない」と言ってみせても、ただの「負け犬の遠吠え」である。
ところが、意外にも、2日午後に版元の小学館から謝罪文が出された。
「多くのご意見、ご批判」を受けたことを踏まえて、一部の記事が「誤解を広めかねず、配慮に欠けて」いたことを「お詫び」し、「真摯に受け止めて参ります」とあっさり兜を脱いだのである。
というところで取材がばたばたと続くことになった。この件について幾つかのテレビや新聞から取材を受けたが、とりあえず私が『週刊ポスト』編集部に言いたいのは「あなたがたには出版人の矜持はないのか」ということに尽くされる。
『新潮45』の時にも同じことを書いたが、あえて世間の良識に反するような攻撃的で差別的な言葉を世間に流布させる時には、出版人はそれなりの覚悟を決めるべきだ。私なら覚悟を決めて書く。書いたことが「炎上」して火の粉が飛んで来て火傷したら、それは「身から出た錆」だと思う。それが物書きとしての「筋の通し方」である。
まさか、書いたあとに「炎上」したからと言って、「あれは書かなかったことにしてください」とは言わない。
しかし、『新潮45』の騒ぎのときには「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられ」という社長名の指摘に編集部は一言の反論もしなかった。
仮にも自分の責任で公にした文章である。ならば、自分自身と彼が寄稿依頼した書き手たちの名誉を守るために、編集長は社長に辞表を懐に呑んで、記者会見を開き、「新潮社の偏見と認識不足と戦う」と宣言すべきだったろう。でも、彼はそうしなかった。記者会見を開くことも、他誌に新潮社批判を書くこともなかった。
これは出版人としていくらなんでも「覚悟がない」態度と言わなければならない。
あえて好戦的で、挑発的な記事を掲載しておきながら、「炎上」範囲が想定外に広がると、たちまち泡を食って謝罪する。この「覚悟のなさ」に私は今の日本のメディア関係者たちの底知れない劣化の徴を見るのである。
彼らが簡単に記事を撤回できる理由はある意味簡単である。それはそれが「職を賭しても言いたい」ことではなかったからである。
どうしても、誰に止められても、言わずにはいられないというくらいに切羽詰まった話であれば、ネットでつぶやかれる程度の批判に耳を傾けるはずがない。むしろ、「ほう、三文文士の分際で小学館相手に喧嘩を売るとはいい度胸だ。全力で叩き潰してやるから首を洗って待ってろ」くらいの構えで応じてよかったはずである。
でも、そうならなかった。
ということは、『週刊ポスト』の記事は「職を賭しても言いたいこと」ではなかったということである。
この事件で第一に言いたいことは、市民的常識を逆撫でして、世の良風美俗に唾を吐きかけるような言葉を発表するときには、それなりの覚悟を決めてやってくれということである。それで世間から指弾され、発言機会を失い、場合によっては職を失って路頭に迷うことを覚悟してやれということである。覚悟がないなら書くな。