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ほんとうに伝えたい隠されたメッセージは、文章の表層に、あたかもごく日常的な普通名詞のように、無防備に露出しており、そのせいでかえって検閲官の関心を惹くことがない
2019年10月17日の内田樹さんの論考「「民主主義」解説(その1)」をご紹介する。
どおぞ。
角川ソフィア文庫『民主主義』の解説を書いた。とてもよい本だったので、できるだけ多くの人に手に取って欲しいと思う。
戦後、憲法が施行されて間もなく文部省が「民主主義の教科書」を編んだことがあった。1948年に出て、53年まで中学高校で用いられた。それがたいへんにすぐれたものであったという話は以前から時おり耳にしていた。とはいえ、今の文科省の実情を知っている者としては「昔は今とはずいぶん違って開明的な組織だったのだな」という冷笑的な感想以上のものを抱くことができなかった。
その本が復刻されるので解説を書いて欲しいという依頼を受けた。ネットの書誌情報を見ると、これまでに復刻版が1995年に径書房から、短縮版が2016年に幻冬舎から出されている。いずれもまだ流通中であり、そこにさらに復刻版を出すことは「屋上屋を重ねる」ことになりはしないかと心配したが、それは私の与り知らないことである。良書が複数の版元から異なるヴァージョンで提供されるのは間違いなくよいことである。
最初にメールをもらった時は、中学高校生向けの「民主主義の教科書」というのだから、きっと薄手のパンフレットのようなものだろうと思って引き受けたのだが、送ってきたゲラを見たら445頁もあった。最初に出たときは上下二巻だったそうである。とても中高生向けの教科書ではない。ほとんど学術書である。けれども、構成が端正で、論理の筋道が確かで、文章がよく練れていて、何より「民主主義とは何か」を十代の少年少女に理解してもらおうと情理を尽くして書かれている文章の熱に打たれた。
そして、読み終えて、天を仰いで嘆息することになった。それは今から70年前に書かれたこの「教科書」が今でも十分にリーダブルであり、かつ批評的に機能していたからである。
ここに説かれている「民主主義とはどういうものか」という説明は、今読んでも胸を衝かれるように本質的な洞察に満ちている。「そうか、民主主義とは本来そういうものだったのか」と今さらのように腑に落ちた。リーダブルというのはそのことである。
同時に、この本が熱情をこめて訴えて、今後の課題として高く掲げていた「その民主主義をどうやって実現してゆくのか」について言えば、その課題はそれから70年を閲してもほとんど実現されることがなかった。批評的というのはそのことである。
この本はきわめて論理的に、構成的に書かれている。だから、この種の書物としては例外的にわかりやすい。いささか観念的な議論に流れそうだと執筆者が判断したところでは、具体的な事例を挙げたり、歴史的経緯を遡ったりして、中学生にでもわかるように実に懇切丁寧に噛み砕いた説明がしてある。だから、たいへんわかりやすい。
けれども、この「わかりやすさ」に私は微妙な違和感を覚えもしたのである。それはこの書物の成立事情に「検閲」がかかわっていたからである。
本書は1948年に、GHQの指示に基づいて、日本国憲法の理念を擁護顕彰し、民主主義的な社会を創出してゆくという遂行的課題を達するために、敗戦国の役所が、子どもたちを教化するために出版した。
この歴史的条件は、執筆者たちに、いくつかのことについては「書かなければならない」という実定的なしばりを課した。そして、それと同時に、仮に執筆者たちが心の中で思っていたとしても「書くことを禁じられていたこと」もあったはずである。
私は以前フランスの思想史を研究していた頃、ナチスドイツの占領下でフランスの知識人たちがドイツの検閲官の眼を逃れるために、どのようにして彼らの「ほんとうに言いたいこと」を暗号で書き記したかについて調べたことがある。その時に私が得た読解上の経験則は「ほんとうに伝えたい隠されたメッセージは、文章の表層に、あたかもごく日常的な普通名詞のように、無防備に露出しており、そのせいでかえって検閲官の関心を惹くことがない」というものであった。この経験則がこの本についても適用できるかどうか、わからない。けれども、この本を検閲という歴史的条件抜きに読むべきではないだろうと思う。それによって文章はある種の「屈曲」を強いられていたはずである。その屈曲を補正することで、私たちはこの教科書を書いた人たちが敗戦国の少年少女たちにほんとうは何を伝えたかったのかについて推理することができるのではないかと思う。この本の魅力は、コンテンツの整合性や「政治的正しさ」よりむしろ、書き手のこの屈託と葛藤が生み出したものではないのか。その仮説をしばらく追ってみることで本書の解説に代えたいと思う。