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日本がそのような批評的知性を備えた天皇を「国民統合の象徴」として得たことを私は例外的幸運だと思っている。
2019年10月24日の内田樹さんの論考「海民と天皇」(その1)をご紹介する。
どおぞ。
新天皇の即位の儀式が行われた。
私は天皇制についてはこれを支持する立場をとっている。
その理路は『街場の天皇論』において述べたので、ここでは繰り返さない。
新天皇について私は「網野史学」の系譜に連なる人だと思っている。異論のある方もいると思うけれど、私はそう思っている。
日本がそのような批評的知性を備えた天皇を「国民統合の象徴」として得たことを私は例外的幸運だと思っている。
即位への祝意を込めて、「街場の天皇論」に書き下ろした一文をブログに採録する。
海民と天皇
■はじめに
天皇論について書き溜めたものを一冊の本にまとめることになって、その「ボーナストラック」として「海民と天皇」という書き下ろし論考を添付することにした。これまで折に触れて書いたり話したりしてきた話なので、「その話はもう何度も聞いた」と閉口する人もいると思うが、ご海容願いたい。さしたる史料的な根拠のない、妄想に類する思弁であるが、私がこの話をなかなか止められないのは、これまで誰からも効果的な反論を受けたことがないからである。どの分野の人と話しても、話をすると「なるほどね。そういうことってあるかも知れない(笑)」でにこやかに終わり、「ふざけたことを言うな」と気色ばむ人にはまだ出会ったことがない。もちろん堅気の歴史学者や宗教学者は「まともに取り合うだけ時間の無駄」だと思って静かにスルーされているのかも知れないが。
とはいえ、一般論として申し上げるならば、思弁、必ずしも軽んずべきではない。フロイトの『快感原則の彼岸』は20世紀で最も引用されたテクストの一つだが、そこで「反復強迫」についての記述を始める時に、フロイトは「次に述べることは思弁である」と断り書きをしている。フロイトの場合は、一つのアイディアを、それがどれほど反社会的・非常識的な結論を導き出すとしても、最後まで論理的に突き詰めてみる構えのことを「思弁」と呼んだのであるが、私の場合の思弁はそれとは違う。私の思弁は一見するとまったく無関係に見えることがらの間に何らかの共通点を発見してしまうことである。そういう学術的方法を意図的に採用しているわけではなくて、気が付くと「発見してしまう」のである。
「あ、これって、あれじゃない。」
数学者のポアンカレによると、洞察とは「長いあいだ知られてはいたが、たがいに無関係であると考えられていた他の事実のあいだに、思ってもみなかった共通点をわれわれに示してくれる」働きのことだそうである。そして、二つの事実が無関係であればあるほど、その洞察のもたらす知的果実は豊かなものになるという(アントニオ・R・ダマシオ、『デカルトの誤り』、田中三彦訳、ちくま学芸文庫、2010年、294頁)
私の「海民と天皇」というのも、遠く離れたところから引っ張ってきた、相互にまったく無関係に見えるものを私が直感的に関連づけたものである。「これって、あれ?」的直感で関連づけられた事項がずらずらと羅列されているだけで何の体系的記述もなしていない。けれども、そうやって羅列されたリストをじっと見ていると、そこにある種のパターンの反復が見えてくる。少なくとも私には見える。以下、それについて書きたいと思う。
■海部と飼部
私に最初の「これって、あれ?」的直感をもたらしたのは梅原猛の『海人と天皇』という本である。その中に『魏志倭人伝』についてこんなことが書かれていた。
「中国から見た倭は、たしかに文身をし、その王は女性シャーマンである-それは文明国、中国から見れば野蛮の国の象徴である。」(梅原猛、『海人と天皇 日本とは何か(上)』、朝日文庫、2011年、92頁)
高校の日本史の教科書にでも書いてありそうな何ということもない一文だが、その「文身」のところに注がついていた。たまたまそこを見ると、そこにはこう書かれていた。少し長いがそのまま引く。
「イレズミについて、『日本書紀』履中天皇の条に次のような記述がある。『即日に黥む。此に因りて、時人、阿曇目と曰ふ』(元年四月)。『是より先に、飼部の黥、皆差えず』(五年九月)。『黥』とは眼の縁のイレズミ、『阿曇目』から海部の風習、『飼部』から職能の民の風習が想像される。『眼の縁のイレズミ』は日本独特のものといわれる。『目』のもつ魔力をより強化するための呪術的作法であろう。海部は航海術を、飼部は馬術をもって天皇に仕えた。黥の記述は『神武紀』にも見える。」(同書、110頁)
文身や黥刑や阿曇氏のことはとりあえず脇に措いておく。私が目を見開いたのは「海部は航海術を、飼部は馬術をもって天皇に仕えた」という一文であった。そうか、そうだったのか。なるほど、これですべてが繋がったと私は感動に震えたことを覚えている。もちろん、こんな説明では皆さんには何もわからないだろう。いったい何がどう繋がったのか、その話をこれからする。