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内田樹さんの「海民と天皇(その2)」 ☆ あさもりのりひこ No.774

ヘーゲルによれば、権力を持つ者が何より願うのは、他者が自発的に自分に服属することである。その他者が自由であればあるほど、その者が自分に服属しているという事実がもたらす全能感は深まる。

 

 

2019年10月24日の内田樹さんの論考「海民と天皇」(その2)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 古代から中世にかけて、ある種の特異な職能をもつ部民たちは天皇に仕えて、その保護を受けていた。馬飼部、犬飼部、鳥飼部などはその名から動物の飼育担当だったことがわかるし、錦織部、麻績部は織物の、土師部、須恵部は埴輪や土器の作成にかかわったことが知れる。同じように、海部はもともと潜水と漁を特技とし、海産物を「贄」として天皇・朝廷に貢納した職能民であった。海部について少しだけ解説しておく。「解説はいいよ」という人はここは飛ばして、次の段落に進んでもらっても構わない。

 

『古事記』には伊邪那岐伊邪那美二神が「国生み」によって大八島ほかの島々を生んだとある。一通り生み終えたのちに、「海神、名は大綿津見神を生みまし」とある。これが海神という名詞の初出である。

 その後、伊邪那岐が黄泉国から戻って、筑紫の日向の橘小門の阿波岐原で禊ぎ祓いしたときにも多くの神々が生まれるが、その中に、底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神の三柱の名がある。「此の三柱は、阿曇連が祖神といつく神なり」とされている。これが海民の祖神である。

 永留久恵によれば、「このワタツミ三神を伊弉諾尊の禊祓によって生じた神としたのは、海神を倭王朝の王権神話のなかに取り込んだもので、それは王権が成立した以後の作である。すなわち海神を祖とする部族が倭王朝に服属したことにより、その祖神伝承を王権神話の系譜に組み入れたもの」である。(『海童と天童』、大和書房、2001年、92-3頁)

 伊邪那岐が海神を「生んだ」という話は、倭王朝が海神を祖神とする部族を服属させて、彼らが信じる神を、倭王朝の神統のうちにローカルな神として位置付けたことの神話的な表現である。事実、「日本書紀」には、応神天皇の時に、各地の海人が抗命したのを鎮圧した功によって、阿曇大浜が「海人之宰」(海人の統率者)に任ぜられたとある。この人が阿曇連の祖である。おそらく、それまでは王権に服属していなかった海人たちを、阿曇大浜が海人の反乱を契機に実力で抑え込み、部民組織に再編して、天皇に仕えたという歴史的事件があったのであろう。

 だが、こんな古代史トリビアは忘れて頂いて構わない。私が言いたいのは、海部とは海産物を贄として上納し、また航海術という技術を以て天皇に仕えたということ、それだけである。

 航海術とは自由に移動する技術である。だから、「自由に移動する技術を以て主に仕える」というセンテンスには本質的には背理である。「主に仕える」というのは「自由を失う」ということだからである。

 海洋であれ、河川であれ、湖沼であれ、もともとは無主の場である。水は分割することも所有することもできないし、境界線を引くこともできない。海民たちはこの無主の空間を棲家とした。だから、海民を服属させた時に権力者が手に入れたのは、海民たちの「どこへでも立ち去ることができる能力」そのものだったということになる。

 ヘーゲルによれば、権力を持つ者が何より願うのは、他者が自発的に自分に服属することである。その他者が自由であればあるほど、その者が自分に服属しているという事実がもたらす全能感は深まる。

 天皇は多くの部民たちを抱え込んでいたけれど、その中にあって、「ここから自由に立ち去る能力を以て天皇に仕える」部民は海民だけであった。それゆえ海民は両義的な存在たらざるを得ない。というのは、海民は自由であり、かつ権力に服さないがゆえに権力者の支配欲望を喚起するわけだが、完全に支配された海民は自由でも独立的でもなくなり、彼らを支配していることは権力者にもう全能感や愉悦をもたらさないからである。だから、海民は自由でありかつ服属しているという両義的なありようを求められる。その両義性こそ日本社会における海民性の際立った特徴ではないかと私は考えている。

 

■源平合戦:陸と海のコスモロジー

 

 海部の文身の風習を紹介した注記の中で、梅原猛は海部と飼部を対比的に紹介した。私が胸を衝かれたのは、海部と二項的に対比され得る部民がいて、それが飼部だということであった。

 海部は航海術を以て天皇に仕えた。それは言い換えると、水と風の自然エネルギーを制御する技術によって天皇に仕えたということである。では、飼部は何を以て仕えたのか。「馬術を以て」と梅原は書いている。それは野生獣の自然エネルギーを制御する技術ということである。海部と飼部はいずれも野生のエネルギーを人間にとって有用な力に変換する技術によって天皇に仕えたのである。

 

 とすると、この職能民たちの間で、「どちらがエネルギー制御技術において卓越しているか?」という優劣をめぐる問いが前景化したということはあって不思議はない。ふと、そう考えた。そして、そう考えた時に「なるほど、源平合戦というのはこのことだったのか」とすとんと腑に落ちたのである。この話は本書中の「世阿弥の身体論」で少しだけ触れたが、それについてもう少し詳しく書く。