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船底のあちこちに穴が空いて、漏水して沈みかけている船がありました。この船に乗り合わせた人たちが「水を汲み出す力」を基準にして乗員たちを格付けすることにしました。そして、水汲みの力の低いものについては、ご飯の量を減らしたり、寝かせなかったり、鞭で叩いたりして差別しました。そんなふうにいじめられた人たちは弱り切って、使い物にならなくなりました。そして、気がつくと、水を汲み出す人手が足りずに、船はぼこぼこと沈んでしまいました。おしまい。
2019年12月3日の内田樹さんの論考「街場の教育論 韓国語版序文(後編)」をご紹介する。
どおぞ。
同学齢集団の中で相対的に優位に立つためには二つ方法があります。一つは、自分の力を高めること。一つは、競争相手の力を弱めることです。問題が「相対的な優劣」である限り、この二つは同じことです。そして、「競争相手の力を弱める」ことのほうが圧倒的に費用対効果が高い。自分の競争相手たちをできるだけ無能で無力な人間にすればいいわけですから。
やり方は無数にあります。
努力している人の足を引っ張る、成熟した大人になろうとしている人に「かっこつけるな」とか「えらそうにするな」といやがらせを言う、個性的な人を「変だ」と言って排除し、迫害する。もっとシンプルにただ「大声を出して教室を走り回る」でも、ことあるごとに教師に食ってかかって、教師の尊厳を掘り崩すとか・・・やることはいっぱいあります。すべて「同学齢の競争相手の生きる力を減殺する」という目的にはかなっている。そして、現に子どもたちはそうやって日々クラスメートたちの生きる力を殺ぐべく努力しています。
愚かなふるまいだと思うかも知れませんけれど、「短期的な自己利益の増大」という点だけを見れば、これは合理的なふるまいなのです。これで正しいんです。
でも、そうやって閉ざされた集団内部での相対的優劣を競っている限り、集団の力はしだいに弱まってゆく。当然です。集団成員の全員が、お互いに「自分以外のメンバーが自分より学力が低く、自分よりメンタルが弱く、自分より未成熟であること」を願っているんですから。そんな集団が「強いもの」になるはずがない。
それこそまさにいまの日本で起きていることです。
日本社会では「いじめ」とか「パワハラ」とかいうことが社会問題になっています。
よく僕のところにも取材が来ます。「いったい、どうしてこんなことが起きるのでしょう?」と訊かれます。「社会制度に瑕疵があるのでしょうか? もっと管理を強化すべきでしょうか? 処罰を厳格化すればいいのでしょうか?」いろいろと訊かれます。
僕の答えは、「どんな病的な行動にも主観的な合理性はある」というものです。
「いじめ」も「パワハラ」も、自分と同じ集団に属するメンバーたちの生きる力を減殺させることを目的としています。これは集団が存続してゆく上ではきわめて有害なふるまいですが、集団内部的な競争においては、「いじめるもの」「ハラスメントするもの」に利益をもたらすふるまいです。集団として、長期的に見ると、自殺的なふるまいですが、個人として、短期的に見ると、自己利益を増大させる合理的な行為です。だから、そういう行為を人々は「努力」して行っているのです。別に邪心に衝き動かされているわけではなく、競争で相対的な優位に立つためには、競争相手の生きる力を殺ぐのが効果的だという経験則に従って行動しているのです。
船底のあちこちに穴が空いて、漏水して沈みかけている船がありました。この船に乗り合わせた人たちが「水を汲み出す力」を基準にして乗員たちを格付けすることにしました。そして、水汲みの力の低いものについては、ご飯の量を減らしたり、寝かせなかったり、鞭で叩いたりして差別しました。そんなふうにいじめられた人たちは弱り切って、使い物にならなくなりました。そして、気がつくと、水を汲み出す人手が足りずに、船はぼこぼこと沈んでしまいました。おしまい。
今の日本で起きているのはこんな感じのことです。
国民個人の格付けに熱中しているうちに、国の力そのものが衰微してしまった。
そのことに気がついていない。それは集団的に、長期的にものごとの適否を考えるという思考習慣が失われつつあるからです。
それは日本だけではなく、いま全世界に広がった病態なのかも知れません。きっと韓国でも似たような現象は観察されているのではないでしょうか。
ですから、僕からのご提案はごくシンプルなものです。
学校教育は専一的に「子どもたちの成熟を支援する。子どもたちの生きる知恵と力を高める」ように営まれること。それだけです。
もちろん、言ったからといってすぐに実現できるような話ではありません。
でも、とりあえずはそこから始める。まだ答えは出さなくていいんです。とりあえずは問うだけで十分だと思います。
僕からは以上です。
両国の成熟した市民たちの対話を通じて、日韓両国の相互理解と連携がふたたび基礎づけられることを強く願っています。僕のこの願いに共感してくださる方が韓国の読者の中にもいてくださるとうれしいです。
2019年12月
内田樹