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政治家や官僚や財界人ではなく、まず専門家がハンドルすべき重大事案がこの世には存在する。そのことについての合意が日本社会には存在しない。
2020年2月29日の内田樹さんの論考「コロナウィルスと社会的共通資本」をご紹介する。
どおぞ。
先週の『信濃毎日』に寄稿したもの。それよりさらに数日前に書いたものなので、その点を勘案してお読みください。
コロナウィルスの感染はこの原稿が掲載される日(注:2月25日)にどうなっているか予測がつかない。たぶん事態は今以上に危機的になっているだろう。それにしても、今回の事件に日本社会の本質的な脆弱性が露呈されたと思っている人は少なくないだろう。
私が日本社会の弱さと思うのは「社会的共通資本」という概念が定着していないことである。
社会的共通資本とは人間が集団として生きるためにそれなしでは生きてゆけないもののことである。海洋・森林・河川といった自然環境、上下水道・交通網・通信網・電力などの社会的インフラ、そして行政・司法・教育・医療などの制度資本がこれに当たる。これらの制度設計・管理運営は専門家が専門的知見に基づいて、理性的かつ非情緒的に行うべきものであって、政治と市場はこれに関与してはならないとされる。
別に政治イデオロギーはつねに有害であるとか、金儲けは悪であるとか言っているわけではない。政治と市場は複雑系だという話である。
複雑系ではわずかな入力の変化が巨大な出力変化をもたらす。政治と市場に人々が熱狂するのは、予測もしなかった急激な変化が連続的に起こるからである。変化が好きな人間には深い愉悦をもたらす。
だが、社会的共通資本においては、わずかな入力の変化でめまぐるしく変化することよりも、定常的であることが最優先される。政権交代したら水道が出なくなったとか、株価が下がったので学校や病院が閉じたというようなことがあっては困る。
医療という制度資本にかかわる感染症対策では、専門家が専門的知見に基づいて管理すべき事案であって、ここに内閣支持率や株価が関与することは許されない。
ということをどれだけの人が自覚しているだろうか。
今回のコロナウィルスの政府の対策会議は1月30日の第一回から2月14日の第九回まで一人の感染症専門家もなしで開かれていた。会議時間は10分から15分。ここで感染症対策についてのテクニカルな議論が深められたと信じる人はいないだろう。
政治家や官僚や財界人ではなく、まず専門家がハンドルすべき重大事案がこの世には存在する。そのことについての合意が日本社会には存在しない。