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内田樹さんの「20世紀の倫理―ニーチェ、オルテガ、カミュ」(その12) ☆ あさもりのりひこ No.833

みずからの暴力行使を正当であるとするものの方が、自らの行使する暴力を正当化しないものの暴力より、より広範かつ徹底的である

 

 

2020年3月2日の内田樹さんの論考「20世紀の倫理―ニーチェ、オルテガ、カミュ」(その12)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

12・反抗の倫理

 東西冷戦、階級闘争、植民地解放闘争等さまざまなレヴェルで「正義」の名における覇権闘争が激化していた1952年、カミュは「正義の名において人を殺すことは許されるか」という批判的主題のもとに長大な著作『反抗的人間』を刊行した。この書物の主題は、さきに対独協力者たちの助命嘆願を前に逡巡したカミュの「中途半端性」そのものである。

 罪あるものを前にしても、それを断罪する資格が自分にあるとはどうしても思えない主体の苦渋。正義を明快な論理で要求しながらも、いざ正義の暴力が執行されるときになると正義があまりに苛烈であることに耐えられなくなる弱さ。そのようなカミュのあいまいなスタンスは私たちにはきわめて誠実なものと映る。しかし、時代はそのような中途半端性を許容しなかった。彼はそのためにたった一人でおのれの立場を擁護しなければならなかった。この書物で、カミュは二正面の仮想敵と戦っている。

 一方には「歴史」の名において自らの革命的暴力を正当化するものたち(マルクス主義者、民族解放闘争主義者たち)がいる。一方には「すべては許される」をスローガンに「全的自由」を要求するものたち(シュールリアリストたち、イワン=カラマーゾフ的、ニーチェ的なヒーローたち)。前者は「歴史」という上位審級を根拠にして、後者はその不在を根拠にして、それぞれみずからの執行する暴力を正当化しようとした。これに対するカミュの反論は次のように(拍子抜けするほどに)常識的なものである。

 普遍的な行動準則は存在しない、だからと言って何をしてもよいわけではない。

 ただし、「何をしてはいけないのか」を「局外から」あるいは「上位審級」から判定することは誰にも許されない。私たちは全員、被害者であり同時に加害者であるような仕方で暴力的世界のうちにインヴォルヴされているからだ。私たちの仕事は、自分にふるわれた暴力と自分がふるう暴力について、実現すべき正義とその正義の実現にともなって発生する不正について、その収支を冷静なあたまで定量することである。「どちらの暴力がより暴力的か」を判定する上で、少なくとも経験的には一つだけ準則が存在する。それは通常、みずからの暴力行使を正当であるとするものの方が、自らの行使する暴力を正当化しないものの暴力より、より広範かつ徹底的である、ということだ。「正義の実現」であれ「正義の不在」であれ、いずれにせよ「人間の範囲を超えた権威」「上位審級からの保証」を背負ってふるわれる暴力は、固有名において、私利のためにふるわれる暴力よりも圧倒的に大きな災禍をもたらす。したがって、優先的な仕事は「みずから全的自由を叙任し、ほしいままに暴力をふるうことを許さない」という政治課題として設定される。

 この「正当性を根拠にふるわれる暴力の制御」をカミュは「反抗」と名づけた。「反抗」とは限界を設定すること、いかなる名目のものであれ「他者を殺す」自由を認めないことである。

「極限的自由、すなわち殺す自由は反抗の準則とは相容れない。反抗とは全的自由の請求などではない。反対に、反抗は全的自由をこそ審問している。反抗はまさに無制限の権力に異議を申し立てる。それは無制限の自由がある優越者に禁じられた境界線の侵犯を許すからである。包括的な自由を請求するどころか、人間存在があるところはどこであれ、自由にはそれなりの限界があること、限界こそがこの存在の反抗の力そのものだということが認められることを反抗は望んでいるのである。」(52)

「私の自由」の極限的な発現とは、「他者の自由」の全的否定、すなわち殺人である。だとすれば、人間の自由に境界線があるとすれば、それは「殺してはならない」という「限界」に他ならない。自由の限界はまさに「汝、殺す勿れ」という「戒律」のかたちをとって到来するのである。

 この「戒律」は上位の立法者から由来するのではない。(誰であれみずからに「立法」権を賦与するような存在をカミュは認めないからだ。)そうではなく、その戒律はいままさに殺されようとしている被害者の「顔」から発されるのである。

「反抗者とは、抑圧者に顔を向ける(dresse face à l'oppresseur) そのただ一つの動作によって、生命を擁護し、隷従と虚偽とテロルに対する戦いに身を投じるもののことである。」(54)

 自らに全的自由を叙権する抑圧者に対して,「それを限界づけ、それを阻止する」顔を向けるもの、すなわち「他者」から戒律は到来する。

 この戒律は、いままさに殺されようとしている人間の、それでも「殺そうとしている私」を見つめ返すまなざしから、「自らを放棄せぬもの、身を委ねぬもの、私を直視し返すもの」のまなざしから、訴えとして、祈願として、命令として、私に到来するのである。「上位審級」なしになおかつ行動しうるための準則があるか、とカミュは自らに問うた。この問いに彼はとりあえず次のような答えを得たことになる。

 私の自由の前に立ちふさがり、私の暴力の対象となっているその瞬間に「私を見つめ返すもの」を恐れよ。これが唯一の戒律である。あらゆる倫理はこの戒律に基づいて築かれることになるだろう。こう考えると、『異邦人』でムルソーがアラブ人を殺すことができた理由が理解できる。ムルソーが殺人に踏み込むことが出来たのは、均衡が達成されたからだけではない。海岸での殺人の場面において、殺されるアラブ人の「顔」が訴えたはずの倫理的命令「汝殺す勿れ」はムルソーには届かなかったからである。アラブ人の「顔」を最後まで見ることができなかったからである。海岸を歩むムルソーは「灼けた大気」と「影」というふたつの遮断幕のせいでアラブ人の顔をうまく直視することができない。そのときアラブ人がナイフを出して太陽にかざす。

「まさにそのとき、私の眉毛にたまった汗が転がり落ち、生ぬるく厚いヴェールで睫毛を覆った。私の眼はこの涙と塩の幕で盲目となった。(Mes yeux étaient aveuglés derrière ce rideau de larmes et de sel)(55)

 拳銃を発射する前、ムルソーは瞬間的に「盲目」となった。より正確には「盲目になる」ことによってはじめてムルソーはアラブ人を殺すことができたのだ。ひとは盲目にならずには他者を殺すことができない。「私」を見返す者を「私」は決して殺すことができない。「異邦人の倫理」にこうして「抵抗の倫理」が付け加えられた条件によって、とりあえずカミュにとっての倫理の基礎づけは果たされたのである。

 

【引用出典】

 (52) Camus, L'étranger, p.1202

(53) Camus, L'Homme révolté, in Essais, pp.687-688

(54) Ibid., p.687

 

(55) Ibid.