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サル化した人間の特徴は「過去を反省しない」「未来に対して見通しを持たない」ことです。
2020年3月17日の内田樹さんの論考「『サル化する世界』についてのインタビュー」をご紹介する。
どおぞ。
いくつかのメディアから新刊『サル化する世界』についてのインタビューがあったので、まとめて再録。
「サル化する世界」というタイトルに込めた思いを教えてください。
「サル化」とは、「朝三暮四」に出て来るサルのように、現在の自分と未来の自分の間に自己同一性を保持できない病態のことです。
もともとヒトは時間意識をゆっくりと拡大することで、他の霊長類から分かれて進化を遂げて来ました。そして、今からおよそ2500年くらい前に、四大文明の発祥地で「世界の起源」と「世界の終わり」という概念を持つところまでたどりつきました。広々とした時間意識を持つことができた。そのおかげで人類は宗教を持つことができたし、歴史や物語を持つこともできました。
中国の春秋戦国時代に「矛盾」「守株待兎」「刻舟求剣」「鼓腹撃壌」といった「時間が経過しても自己は同一的である。自己は同一のつもりでも時間は流れる」ということがうまく理解できない愚者を主題にした説話が集中的に語られています。おそらく、その頃に時間意識についての「シンギュラリティ」があったのでしょう。孔子も荘子も韓非も、その教えに共通しているのは長いタイムスパンの中でものごとの適否を判断できる能力を未開からのテイクオフの条件と見なしていたということです。
しかし、せっかくこうやって時間意識の拡大によって他の霊長類から分離したにもかかわらず、現代人の時間意識はふたたび縮減し始めています。この「人間以前」に向かうの文明史的退化の徴候を僕は「サル化」と呼んだのです。
過去と未来をふくんだ視点で「今」を考察する力は、なぜ急激に失われてしまったのでしょうか。
最大の原因は基幹産業が農業から製造業、さらにはより高次の産業に遷移したことだと思います。農業の場合でしたら、人間は植物的な時間に準拠して暮らしていました。農夫は種子をまいている自分と、風水害や病虫害を防いで働いている自分と、収穫している自分が同一の自己であるという確信がないと日々の苦役には耐えられません。でも、いま、最下層の賃労働者は今月の給与をもらっている自分より先の自分にはなかなか同一性を持つことができません。AI導入後に雇用環境がどう変わるかも予測がつかないどころか1月後に仕事があるかどうかさえ分からないんですから、老後に年金や健康保険がどうなっているか予測がつくはずもない。だったら、考えても仕方がない。
事情は金融商品の売り買いで個人資産を増やしている富裕層も同じです。株式会社は当期利益至上主義ですし、株の取引はマイクロセコンド単位で行われている。だったら、それ以上タイムスパンを広げても意味がない。
今から10年前にGoogle やAmazonが「こんなふう」になると予測した人はほとんどいませんでした。これらの企業が10年後にどうなっているかもやっぱりわからない。長い時間の流れの中に自分を置いて、何が最善の選択なのかを熟慮するという知的努力は費用対効果が悪いということがいつの間にか身に浸み込んでしまった。
日本社会の劣化は「サル化」の一兆候なのでしょうか。
安倍政権の大臣や官僚たちは「嘘をついても平気」「前後に矛盾のある言明をしても平気」「謝罪しても次の瞬間には忘れている」といった症状を呈しています。どれも時間意識の縮減の徴候です。
Honesty pays in the long run「長い目で見れば正直は引き合う」ということわざがありますけれど、これは裏返して言えば「短期的に見れば嘘の方が引き合う」ということです(実際にそうだし)。ですから、「長い目で見る」習慣を失った人たちがシステマティックに「嘘つき」になるのは論理的には当然なのです。
前後の矛盾を指摘されても平気というのは「矛盾」の武器商人と同じです。彼は「どんな矛も通さない盾」を売っているときの自分と、「どんな盾も貫く矛」を売っているときの自分が同一人物だと思っていないのです。だから「この矛でこの盾を突いたらどうなる?」という問いに当惑したのではなく、その問いの意味そのものが理解できなかったのです。国会答弁で少し前に言ったこととまったく逆のことを平気で言って、「整合していない」と言われても少しも悪びれる様子がないのもそれとほぼ同じだと思います。
日本人の労働生産性は、「1人当り」「時間当たり」ともに先進7カ国中の最下位という状態が続いていますが、日本の組織を活性化し、イノベーションを起こすには何が必要だと思われますか。
組織を再活性化するなら、管理部門に過大な資源を配分しないことです。今の日本の組織は「価値あるものを創り出すセクター」よりも「人がちゃんと働いているかどうか監視するセクター」の方に権限も情報も資源も集積しています。労働者よりも監督の方が多い現場とか、兵士よりも督戦隊(前線から逃げて来た兵士を射殺する後方部隊)が多い戦場のようなものです。それでは生産性が上がるはずがない。
「管理を最低限にする」「現場に自己裁量権を与える」「成果の短期的な査定を止める」くらいで日本の組織はかなり再活性化するはずです。でも、管理部門の人たちはそう言われても「管理部門の肥大化を適正規模に抑制するための管理部門の増設」くらいしか思いつかないでしょうけど。
イノベーションというのは未来にぼんやりとした手応えを感じる直感力なしには成立しません。「何だか知らないけれど、この先に『いいこと』がありそうな気がする」という直感に導かれてはじめてあらゆる創造は可能になります。でも、そのためには「この先」に、まだ現実になっていない時間に指先が届かなければなりません。「この先」という言葉に何のリアリティーも感じられない人間に何かを新しく創り出す能力が育つわけがない。
社会が脱サル化するために必要なこととは?
サル化した人間の特徴は「過去を反省しない」「未来に対して見通しを持たない」ことです。だから、悔恨もないし不安もない。どれほど失敗しても同じ失敗を繰り返すし、「こんなことを続けていたらそのうちたいへんなこと」になるとわかっていても、「こんなこと」を続ける。「前にこれで失敗して手痛い思いをしたこと」も「そのうち起こるかもしれないたいへんなこと」にもリアリティーを感じることができない。
こんな生きづらい時代ですから、「過去のことは忘れたい 未来のことは考えたくない」と思ってしまうことは止められません。でも、「後悔に苛まれたくない、不安に怯えたくない」という人は、それと同時に、遠い記憶の中を逍遥したり、未来に夢を描いたりすることもあきらめなければならない。それがどれほど多くのものを失うことなのか、それについては少し立ち止まって考えた方がいいと思います。