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一寸でも五分でも前に這い進んで、最後に前のめりに泥の中に顔をつっこんで息絶えました・・・ということでも僕はとくに悔いはありません。
2020年4月25日の内田樹さんの論考「「街場の日韓論」まえがき」(後編)をご紹介する。
どおぞ。
個人的なことを申し上げますけれど、年を取ってからだんだん「答えを出す」ということに興味がなくなってきました。正否はいずれにありやと切り立て合うよりは、双方ともが「これは軽々には解けそうもない問題だ」と覚悟を決めて、渋茶でも啜りながら、小さくため息をついて、ぼんやり庭を眺めるくらいの構えから始めた方が、話が前に進むような気がするのです。困った者同士が、ぼんやり同じ庭を眺めながら、「梅が咲いてきましたねえ」「そうですなあ」とか頷き合っているくらいの方が、結果的に相互理解は深まるのではないか、と。
困ったときには素直に困る。わからないときは「わからない」と正直に言う。うまくことが運ばないときにはしょんぼりする。その方が知力体力ともに働きがよくなるということは長く生きてきてわかったことの一つです。別に逆説でもなんでもなく、ほんとうの話です。
ですから、僕は困ったときには「適度にしょんぼりする」ことにしています。「適度に」というところにそれなりの知恵と工夫が要るわけですけれども、とりあえず、楽観と悲観の中間くらいのところで揺曳していると、思いがけない活路が見えてきたりする。
日韓問題は「軽々には解けそうもない問題」です。
そういうときには、無力感に苛まれてへたり込むのもよくないし、逆に「これで一気呵成に解決」というような万能の解を探し求めるのもよくない。それより「これ、たいへんな難問です」と問題の下にアンダーラインを引いて、しばらくじっと眺めている方がおのれ自身の知的成熟に資する。そういうものだと思います。
難問に答えが出せないのは「自分がそれほど賢くないからだ」ということを認めて、その上で、自分がその答えが出せるくらいに賢くなるまで待つ。一生かけてもそこまで賢くなることがなければ(たぶんないと思いますが)、それでいいじゃないですか。一寸でも五分でも前に這い進んで、最後に前のめりに泥の中に顔をつっこんで息絶えました・・・ということでも僕はとくに悔いはありません。なにしろ、日韓関係は2000年来の歴史があり、近代に限っても、江華島事件以来150年にわたって、もつれにもつれてきたんですから、「オレの代で決着をつける」というようなことができるはずがないし、望むべきでもない。
僕個人としては、何人かの韓国の友人たちとのかかわりを通じて韓国を理解し、僕を通じて日本を理解してもらうというささやかな足場を手作りすること以上のことはできません。でも、それでいいと思っています。国と国のかかわりを構築するのは集団の営為です。個人にできることはわずかです。でも、その「わずか」の累積としてしか国と国のかかわりは成り立たない。
僕は僕の煉瓦を積む。他の人たちはそれぞれその煉瓦を積む。何十年か、あるいは何百年か経つうちに、その煉瓦の重なりが壮麗な大廈高楼になっているかも知れないし、廃屋になって土に還っているかもしれない。先のことはわかりません。僕個人としては、日韓両国の間の原っぱにぽつんと建っていて、通りすがりの人が自由に出入りできる飾り気のない「あずまや」のようなものができていたら、それが一番いいような気がします。
今回の論集にはぜひ韓国の方にもご寄稿願いたかったのですが、残念ながら、編者からご寄稿をお願いしたお二人ともにそれぞれのご事情で執筆がかないませんでした。小説を除くと、現代の韓国の知識人で、その著作が次々と日本語訳されているという方はいません。ですから、論争的な事案について、「あの人はこれについてどう言っているだろう?」と訊ねることのできる定点観測的な方を僕は存じ上げないのです。(「韓国の養老孟司」とか「韓国の司馬遼太郎」とか「韓国の鶴見俊輔」のような方がいて、何かあるたびにその卓見を伺うことができたら、どれほど僕の心は安らぐことでしょう)。
その点については、自分の無力をほんとうに残念に思っています。もし、次にもう一度日韓論について編む企画があったら、そのときには韓国の言論事情にお詳しい方に編者をお願いして、人選を託してみたいと思っています。
最後になりましたけれど、本書の企画を立て、笑顔で叱咤してくださった晶文社の安藤聡さんの雅量と寛容に、そして、改めて寄稿して下さった皆さんのご尽力に感謝申し上げます。ありがとうございました。この本が日韓の相互理解のための一石になることを願っております。
(2020年3月)