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詩人の茨木のり子さん (1926年~2006年)が1977年に詩集「自分の感受性ぐらい」を刊行した。
ちなみに「茨木」は「いばらぎ」と読む。
この詩集に、表題となった「自分の感受性ぐらい」という詩が収録されている。
その全文はつぎのとおり。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
「ぱさぱさに乾いてゆく心」「気難しくなってきた」「苛立つ」「初心消えかかる」ということについて、我が身を振り返ると、ドキッとする。
「みずから水やりを怠って」「しなやかさを失った」「なにもかも下手だった」「ひよわな志」という言葉が胸に突き刺さる。
「ひとのせいにはするな」「友人のせいにはするな」「近親のせいにするな」「暮らしのせいにはするな」と手厳しい。
茨木さんは、「駄目なことの一切」を「時代のせいにはするな」という。
「駄目なことの一切」を「時代のせい」にすることは「わずかに光る尊厳の放棄」だというのだ。
「駄目なことの一切」を「時代のせい」にすることは「自分の感受性」を棄てることだと。
「駄目なことの一切」を「時代のせい」にして、責任転嫁することは易しい。
しかし、「駄目なことの一切」を「時代のせい」にしないで、「自分の感受性」を信じて、ギリギリのところで踏ん張れ、というのだ。
「自分の感受性ぐらい」「自分で守れ」「ばかものよ」
後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を受ける言葉である。