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あれから60年、いろいろなものが失われた。その多くは失われたことさえ忘れられるという仕方で失われた。
2020年8月8日の内田樹さんの論考「小津安二郎断想(3)「食卓の儀礼」」をご紹介する。
どおぞ。
これは『麥秋』に添付されたもの。
古い映画を見ていると、テーマとも映像の芸術性ともぜんぜん関係ないことについ眼が行ってしまう。「ああ、そうか、この頃はこんなふうだったんだ」と妙なところで驚かされることがある。
『麥秋』を見ていて思い出したこと。
その一、ちゃぶ台でご飯を食べるとき、おかずは大皿に一緒盛りで、じか箸で食べること。間宮家はもともと大和の名家で(床の間に池大雅の真筆が掛けてあるくらい)、当主(笠智衆)も大学の医学部の先生で北鎌倉の一戸建てにお住まいであるのだから、これが当時のミドルクラスのご飯の食べ方と判じてよいであろう。
紀子(原節子)が先にご飯を食べ終わって「ごちそうさま」と言いながら自分の食器を台所の流し台に置く場面がある。そのとき手にしているのはご飯茶碗と汁椀だけ。ということは、お箸はちゃぶ台上に残しているのである。推察するに、彼女は食後に使用済みの箸を箸入れにそのまま戻したのである。洗わないで。そういえば、そんな決まりだった。つまり、お箸はなかば私物であり、なかば公共財として観念されていたのである。だから、「大皿にじか箸」という現代においては非礼に類別されるマナーが咎められなかったのである。お茶碗という「私」と大皿という「公」の間を「半ば私物、半ば公共財としての箸」が行き来する。なるほど、レヴィ=ストロースの言うように、食卓儀礼というのはみごとに体系化されたものなのである。
「ご返杯」という習慣も同じ機能を果たしている。佐竹(佐野周二)が座敷に顔を出した紀子に自分が飲み干した盃に酒を注いで「まあ、一杯」と手渡す場面がある。この「献酬」という習慣も廃れて久しい。これも盃という器の、「半ば私物、半ば公共財」というトリックスター的性格ゆえに可能だったのである。盃は二つの領域に同時に帰属することで、二人の人間を取り結び、そこに親密性を立ち上げる媒介者の役割を果たしたのである。
深い人類学的叡智を含んださまざまの食卓儀礼が「非衛生的である」とか「封建的である」とかいった底の浅い合理主義によって廃絶されたことはまことに惜しむべきことと言わねばならない。
もう一つ。テレビがない時代の「一家団欒」というのがどういうものだったかを思い出した。みんな、それぞれの世界に閉じこもって、じっと押し黙っていたのである。ちゃぶ台を囲んで、一家勢揃いしているのだが、あるものは新聞を読み、あるものは雑誌を読み、あるものは所在なげに紫煙をくゆらし、あるものはぼんやり中空に目を泳がせる。思えば、当時の「一家団欒」というのは当今のテレビCMにあるように、みんなが笑顔を振りまくにぎやかな祝祭的なものではなく、押し黙って、ただそこにいるだけというものであった。何も言わなくてもいい、しなくていい、「家族はただそこにいるだけでよい」という条件だったからこそ、家族たちは気楽にそこに集まり、「お茶飲む?」「ああ」というような気のない会話を交わしながら、それぞれの孤独を味わうことができたのである。
あれから60年、いろいろなものが失われた。その多くは失われたことさえ忘れられるという仕方で失われた。