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死にざまを語ることによって死者たちの魂は鎮められると古人は信じていた。
2020年10月1日の内田樹さんの論考「終わらない南北対立」をご紹介する。
どおぞ。
こちらはその地方紙に8月に書いたもの。南軍旗について。
少し前に、米国防長官が軍関連施設での「南軍旗」の使用禁止を通達した。BLM運動の広がりを受けて、奴隷制度存続を掲げた南部連合軍旗の軍施設内での掲揚は人種差別を肯定するものと受け止められかねないと判断したのである。
政治的には正しい判断だと思うけれど、私が記事を読んで驚いたのは、いまだに軍施設内で南軍旗が掲揚されていたことを知ったからである。
ハリウッド映画では、南軍旗が壁に掲げてあるバーでは必ずカントリー音楽が流れ、テンガロンハットをかぶってブーツを履いた男たちが、マルボロを吸い、瓶から直接ビールを飲んでいる。都会から来た車を煽ったり、若い女性を拉致したり、撃ち殺したりするピックアップトラックにはたいてい南軍旗のステッカーが貼ってある。
そういう映画的定型になじんできたせいで、南軍旗というのは米国内どこでも後進性や暴力性の記号とみなされているのだと思っていた。まさか今も米軍施設内で使用されていたとは。わが不明を恥じなければならない。
そういう「誤解」が生じるのは、私が南軍旗の記号的含意をもっぱらハリウッド映画を通じて学習してきたからだと思う。
アメリカには南北戦争が終わって150年経っても、厳然として南北対立が残っている。根深い白人至上主義は一掃されてはおらず、人種差別・性差別・LGBT差別などの文化的遺制も消えていない。でも、この根深い南北対立を「未解決の難問」として正面から受け止めることをアメリカ社会はネグレクトしてきたのではないかと思う。1863年の奴隷解放令や1965年の公民権法などによって法理上はもう人種差別は存在しないはずである。けれども、BLM運動はそれが端的に「嘘」であることを暴露した。
西部開拓地や騎兵隊が舞台の場合は、南北軍それぞれ出自を異にする登場人物たちの対立や葛藤が物語にスパイスを加えることがあったし、南軍の将兵の勇戦ぶりを称える台詞を脇役が口にすることもあった。だが、正面切って「南軍に大義はあった」と朗々と語る人物を私はハリウッド映画では見たことがない。
「南軍の大義」は言挙げされることがないままに150年以上にわたって抑圧されてきた。そして、ついに国防長官が南軍旗を「国民分断の象徴」として禁止した。だが、使用を禁止したからと言って国民統合が果たせるわけではない。誰かが南部連合の「供養」をするまで対立は終らず、南軍の「祟り」は鎮まらないと私は思う。
別に南軍を顕彰擁護しろと言っているのではない。ただ、南部連合が合衆国と戦い、敗れたその歴史的事実を敗者の側から淡々と「物語る」だけでいい。その功徳はわが能楽が教えているではないか。
前回の当欄で「南軍旗を供養した方がいい」と書いたら、きびしいご批判が米国にいる読者から届いた。「この旗をかかげた人間に、南北戦争終了後150年間も、差別され、侮辱され、殺されてきた人たちにとっては、南軍旗はナチのハーケンクロイツのようなもので、惜別の念をもって敬意をこめて供養する対象とは考えられません。南部の過去の犯罪、暗黒史をしっかりと認識し、それを繰り返すことがないようにするのが供養ではないかと感じます。」
ご指摘は正しい。私も別に南軍の大義を擁護顕彰すべきだと言っているわけではない。ただ敗者にも過去の出来事を語る機会を提供しないと「祟り」が鎮まらないのではないかと申し上げているのである。
滅亡した平家の祟りを鎮めるために『平家物語』が書かれ、多くの能の曲が作られた。源平いずれに理があるのかという話ではなく、ただ死者たちに「私はこういうふうに死んだ」と語らせたのである。死にざまを語ることによって死者たちの魂は鎮められると古人は信じていた。
それは歴史を敗者の眼から見るということでもあるし、正史から落ちこぼれた外史的逸話を蒐集するということでもあるし、巨大な流れに呑み込まれて消えた個人のつぶやきに耳を傾けるということでもある。そういう作業は政府や歴史学会がやるのではない。鎮魂は尽きるところ個人の営みだ。
マーク・トウェインは『ハックルベリー・フィンの冒険』で、奴隷制という揺るぎない現実と、逃亡奴隷への惻隠の情に引き裂かれた南部人の少年を描いた。それは南北戦争後に全米の読者が隔てない共感をもって読むことのできるはじめての「物語」だった。マーク・トウェインが「アメリカ文学の父」と呼ばれるのはおそらくはその功績による。