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最終的に合衆国憲法は第8条第12項に「陸軍のための歳出は2年を超えてはならない」という規定が入りました。つまり、国難的状況に遭遇したら、武装した市民が集まって軍を編成して戦う。危機的事態が去ったら、軍を解散して再び市民生活に戻る。常備軍は持たないということにしたのです。
2021年1月19日の内田樹さんの論考「市民社会とコモン」(前編)をご紹介する。
どおぞ。
1月11日にコープ自然派事業連合・憲法連絡会主催の講演会が神戸国際会館であった。そこで標題のような話をした。
1月6日、アメリカでトランプ大統領支持者たちが連邦議会議事堂に乱入し、5人が死亡するという事件がありました。これを承けて13日、下院は大統領罷免の弾劾訴追を可決しました。二度も弾劾訴追されたのはアメリカ史上トランプが初めてです。
トランプ支持者たちは今回の大統領選を不正な「盗まれた」選挙だとして、バイデンの勝利を否定しています。トランプはその前に開かれた集会で「みんなで議事堂に行こう」と煽りました。トランプ自身も行進に加わるつもりでしたが、側近たちがセキュリティを理由に止めたそうです。日本では総理大臣が市民を煽って、国会議事堂を襲うというようなことは想像もできませんが、アメリカはそういうことがあり得る国だということを改めて思い知らされました。それはアメリカでは「市民的自由」の意味が日本とはまったく違うからです。
アメリカは理念の上に構築された人工国家です。そういう意味では、ソ連やイスラエルと似ています。ふつう、国民国家というのは、長い時間をかけてしだいにかたちづくられるものです。言語や宗教や生活文化を共有する同質性の高い国民たちが集って国民国家は形成される。少なくとも「そういう話」になっている。しかし、アメリカは違います。イギリス本国から逃れ出た過激なプロテスタントたちが新世界に「聖書にもとづく理想社会」を建てようとしてつくった植民地です。
独立戦争のとき、1776年に「独立宣言」が発せられ、その11年後の1787年に「合衆国憲法」が制定されました。宣言から憲法までの間にアメリカ合衆国をどのような国にするかをめぐってはげしい論争がありました。13州それぞれが強い独立性を持ち、連邦政府の権力を限定的なものにとどめるか、それとも連邦政府に権力を集中して、州政府の権限を抑え込むか。「強い州政府」を求める分離派と「強い連邦政府」を求める連邦派が争いました。でも、結論が出なかった。その結果、憲法は双方の主張を採り入れた「玉虫色」のものになった。大統領選における選挙人制度のような外から見ると意味のわからない制度がありますけれども、それはこのときの妥協の産物です。
常備軍を持つかどうかもこのときに論争になりました。分離派は連邦政府が軍を占有して、州の独立性が侵されることを嫌がりました。一方の連邦派は連邦政府の指揮下に強固な常備軍を整備しなければ他国からの侵略に迅速に対処できないと訴えました。それでも、建国の父たちは、英軍が国王の私兵として植民地市民に銃を向けたことの苦痛を独立戦争のときに身を以て味わっていたので、最終的に合衆国憲法は第8条第12項に「陸軍のための歳出は2年を超えてはならない」という規定が入りました。つまり、国難的状況に遭遇したら、武装した市民が集まって軍を編成して戦う。危機的事態が去ったら、軍を解散して再び市民生活に戻る。常備軍は持たないということにしたのです。現に、植民地人たちは独立戦争をそのようにして戦って、独立を勝ち取った。そのやり方を「間違っていた」と総括するわけにはゆかなかった。だから、「武装した市民」が建国した国という物語を温存することにしたのです。
独立宣言は「すべての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と謳っています。そして、その権利を守るために、「政府がこれらの目的に反するようになったときには、人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立する」権利があると明記されています。市民には武装権、抵抗権、革命権がある、と。しかし、11年後に起草された合衆国憲法にはもうそのような文言はなくなっていました。
憲法修正第一条には信教の自由、言論出版の自由と「国民が平穏に集会する権利および苦痛の除去を政府に請願する権利」が保証されています。でも、そこには「平穏に(peacefully)」という副詞が挿入されています。
抵抗権・革命権を明記することを嫌ったのは連邦政府に強大な権力を付与しないと国は守れないと考えた連邦派の人たちでした。たしかに独立戦争は偉大な実践であり、アメリカ市民の誇りだけれど、同じような武装市民による政府の廃止を「不必要に何度も繰り返すことはあまりに危険である」(『ザ・フェデラリスト』)と考えたのです。ずいぶん歯切れの悪い言い方ですけれども、要するに原理的に革命権は与えるけれども、それを濫用してあまり無茶なことはしないでくれということです。
アメリカは建国のときから、統治理念のうちに「政治権力は暫定的なものであり、市民が不都合と考えたら廃止、変更可能である」という原則を含んでいました。それゆえに、アメリカでは「市民である自分が納得できないような政府には従う必要はない」という考え方が深く根付いています。
アメリカには「リバタリアン」という人たちがいますけれど、これは政府の利害よりも市民個人の利害を優先させようとする立場です。日本でしたらたちまち「非国民」と言われるところですけれども、アメリカでは建国理念のうちにそのような考え方が正統的なものとして含まれている。
トランプは典型的なリバタリアンです。リバタリアンにとって最も大切なのは「自由」です。公権力が介入してきて自分たちの考えや行動を規制することに徹底的に抵抗する。ですから、リバタリアンは徴兵に応じず、税金を払いません。自分の命は自分で守る。政府に保護を求めない。だから軍隊には行かない。自分の金をどう使うかは自分で決める。政府に委ねない。だから、税金は払わない。その代わり、どんなに経済的に困窮しても公的支援を求めない。トランプは4回徴兵を忌避して、2016年の大統領選のときには連邦税を払っていないことが暴露されましたが、平然としていました。トランプ支持者はそのことを批判するどころか拍手喝采を送りました。つまり、トランプ支持者たちというのは彼のリバタリアン的な生き方のうちに「リアル・アメリカン」なものを見ているということです。
だから、トランプ支持者たちが議事堂に乱入したことについてとりわけ違法なことをしているという認識がなかったのは、彼らが主観的には「人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立する」市民の権利を行使していると思っていたからです。