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内田樹さんの「倉吉の汽水空港でこんな話をした。」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.975

書物というのは私有財産ではなくて、公共財です。

 

 

2021年2月8日の内田樹さんの論考「倉吉の汽水空港でこんな話をした。」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

2021年1月17日に倉吉の汽水空港という不思議な名前の書店に招かれて、お話と質疑応答をした。私の講演部分だけ採録。

 

 ここ汽水空港がこの地域の文化的な発信拠点となっているようですが、同じようなことが今日本各地で起こっています。共通項は、壁に本棚、コーヒーが飲める木造のスペースということでしょうか。新しい時代のモデルというのはイデオロギーとか理念とかではなく、実はイメージなんじゃないかと思います。手触りとか、匂いとか、そういうものにリアリティがあれば、イメージは浸透力を持ち現実変成力がある。

 何かトレンドが起きるときは、イメージが先行するんです。大学にポストを得て初めて授業をした日、僕はツイードのジャケットにダンガリーのシャツ、黒いニットタイにボストンの眼鏡といういでたちで教壇に立ちました。授業の後に学生から「そんなに着込んで暑くないですか?」と訊かれて、四月中ごろにどうしてオレはこんな格好しているのか考えました。そして、それが『失われた聖櫃(アーク)』でインディ・ジョーンズ博士が冒険の旅の後、大学でつまらなそうな顔をした女子学生の前で考古学の授業をしているときのスタイルだったことに気がつきました。映画を観て「ああいう恰好をして授業をしたい」とつよく念じたせいで、僕は大学の教師になった。イメージに引きずられて職業を選んでしまったのです。イメージにはそういう現実変成力がある。

 汽水空港の森くんは2011年の震災のときに千葉からひたすら西へ向かって逃れてきて、鳥取で足が止まって、そこでとにかく書店を始めたいと思ったそうです。僕の年若い友人である青木真兵・海青子ご夫婦が奈良県の東吉野村に移住して運営している私設図書館「ルチャ・リブロ」も、僕の友人の平川克美くんが東京でやっている「隣町珈琲」も汽水空港とイメージが似ています。壁一面の本棚、木の床、珈琲の香り。凱風館の2階も同じ構造です。壁一面の本棚と木の床。そこが公共の場になっている。書物というのは私有財産ではなくて、公共財です。書物は読んでも減らないし、モノとして独占しても意味がない。だから、書物を中核とする空間というのは、本質的に開かれたものになる。

 公共性をもつ施設として、図書館の他に、神社仏閣、教会、道場などがあります。そういう施設は基本的につねに訪れる人に対して扉が開いている。中に足を踏み入れるには条件は一つしかありません。それは場に対する敬意です。その開かれた場に対する敬意を持っている人であれば、誰でも受け入れる。

 例えば、うちの道場には神棚があります。神棚は外部に通じる「回路」です。異界への扉です。公共性というのは、単にいまこの現実を共有している人たちに対して開かれているというだけではなく、いまとは違う時間、こことは違う場所と繋がる回路があるということでもあります。

 汽水空港やルチャ・リブロや隣町珈琲に共通するのは「開かれた公共的な空間」に対する渇望ではないかと思います。空間がすべて私有化され、他者の立ち入りを許さない「パーソナル・スペース」に分断された社会に暮らすことの息苦しさに対して、もっと風通しのいい空間で暮らしたいという思いが強まってきた。そのことの表れではないかと思います。

 共有地のことを英語では「コモン(common)」と言います。中世から19世紀まで英国の田舎にはどこにでもあった村落共同体の共有地のことです。人々はそこで家畜を放牧し、釣りをし、狩りをし、果実やきのこを採取することができた。フランスには「コミューン(commune)」、イタリアには「コムーネ(comune)」と呼ばれる基礎共同体がありますけれど、発生的には同じものです。共通の土地、宗教、言語、生活文化を共有する共同体です。公共を共同的に管理することのできる共同体の再構築のための作業がいま世界的な規模で始まっています。それは言い換えると、「私たち」という一人称複数形がしっかりとしたリアリティと手応えを持つような共同体を創り上げるということです。

 白井聡、斎藤幸平といった若い人たちが相次いで「コモン」をテーマにした本を世に出しました。僕も同じ頃に『コモンの再生』という題名の本を出しました。期せずして、公共財をどうやって共同的に管理するのか、公共財を共同的に管理することのできる共同体とはどのようなものか、それはどのようにして立ち上げられるのか、ということが緊急性の高い問いとして前景化してきた。

 持続可能な共同体というのは、私的利害を基準にしては成り立ちません。自分はこれだけの財やサービスを共同体に供出したのだから、それに見合うだけの「リターン」が欲しいというような考え方をしている人たちだけではコモンは成立しない。コモンを存立させるためには、まず豊かな公共財を、「みんなが使える公共財」をしっかり確保しなければならない。だから、コモンの立ち上げにおいては「持ち出し」になります。メンバー全員が私財の一部を供出し、私権の一部を断念することによってはじめて公共は立ち上がる。だから、自分が供出した分より多くを公共財から取り出そうとする人たちがいたら当然ですけれども、自分が出した分だけきっちり回収しようとする人たちが過半を占めるようではコモンは成り立ちません。

 70年生きてきて、世の中の移り変わりを見てきた立場から言うと、1950年代の東京の市井の暮らしにはまだ共同性がありました。家庭間での行き来があったし、小津映画によく出てくるようにおかずや調味料の貸し借りも日常のことでした。防犯、防災、公衆衛生も地域社会の仕事でした。行政がまだ十分には機能していなかったから、地域の安全のためにパトロールするのも、どぶさらいするのも、自分たちの生活を守るためには当然のことでした。それが僕が中学生だったころ、東京五輪の頃から大きく変化しました。そういうゆるい共同体がなくなった。最初にブロック塀が出来て、家と家の境界線が明確化されました。よその家に遊びに行くのも間遠になった。急激な経済成長のせいで貧富の差が生じたせいです。電化製品や自家用車のある家とない家の差が出て来ると、他人の目から自分たちの「パーソナル・スペース」を隠そうとするようになった。嫉妬のまなざしを避けようとした。そうやって日本が豊かになるにつれて地域社会はあっけなく解体してゆきました。こんなに簡単に地域の共同性というのは壊れるものかと僕は驚きました。

 そのあと、80年代には地域社会に続いて家族も解体することになりました。村上龍と糸井重里という時代を代表する人たちがそれぞれ『最後の家族』『家族解散』というタイトルの小説を出して、家族という制度はもう賞味期限が切れたのだと宣告した。もう誰かと空間や生活習慣を共有する必要はないのだ、と。自分の好きな部屋に、自分の好きな家具を並べて、好きな音楽を聴いて、好きな時間に寝て好きな時間に起きて、好きなものを食べて暮らすのが幸福なのだということがあらゆるメディアから喧伝された。