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適切な感染症対策をてきぱきと講じて、感染拡大を未然に防ぎ、権力者に阿諛追従する官僚ではなく、諫言することをいとわない有能な官僚を重用していれば、「こんなこと」は起きていなかった。
2021年4月3日の内田樹さんの論考「後手に回る政治」をご紹介する。
どおぞ。
菅義偉首相の長男が勤める放送事業会社東北新社から接待を受けていた総務省官僚たちが処分されたのに続いて、山田真貴子内閣広報官が辞職した。山田氏の場合、当初「会食の記憶はない」と答弁していたが、総務省が会食の事実を明らかにすると一転して謝罪。しかし、その後も会合の詳細を明らかにせず、給与の一部返納での幕引きを図り、菅首相も続投の考えを示したが、それがまた一転して辞職に追い込まれた。
「一転して」ということが菅政権では頻発している。最初は強気で乗り切るつもりでいたものが、世論の批判が収まらずに、ずるずると押し切られて前言撤回というのは、Go To キャンペーン、懲役・刑事罰を盛り込んだ特措法案、今回の山田氏の人事と連続している。
政権基盤が脆弱であるせいだという説明記事を見るが、それは因果関係が逆のような気がする。むしろ菅政権が本質的に「後手に回る」体質なので、政権基盤が削り取られているのではないか。
人間は運がいいときには「先手を取り」、運が悪くなると「後手に回る」というものではない。「後手に回る」人間は必ず後手に回る。それは一つの器質なのである。というのは、まず「問い」があり、次にそれに対して適切な「答え」をするという先後の枠組みでものごとをとらえる習慣そのものが「後手に回る」ことだからである。
私たちは子どもの頃から「後手に回る」訓練をずっとされ続けている。「教師の出した問いに正解する」という学校教育の基本スキームそのものが実は「後手に回る」ことを制度的に子どもたちに強いているものだからである。教師の出す問いに正解すれば報酬があり、誤答すると処罰されるという形式で状況に処することに慣れ切った子どもたちは、そのようにして「構造的に後手に回る人間」へ自己形成する。それは会社に入った後も変わらない。仕事というのは、すべて上司から「課題」や「タスク」を出された後に、それに適切な「回答」をなすという形式でなされ、上司によってその成否を査定されるものだと信じているサラリーマンたちは全員が「後手に回る」人である。
なぜ日本社会ではこれほど念入りに「後手に回る」訓練を国民に強いるのか? 難しい話ではない。権力者に頤使されることに心理的抵抗を感じない人材を育成するためである。「問いと答え」というスキームにすっぽり収まって生きていると、「問いを出す上位者」と「答えを求められる下位者」の間で非対称的な権力関係が日々再生産されているということに気づかない。でも、そうなのである。
記者会見で、記者からの質問に答えず、自分の方から(記者が絶対に答えを知らないようなトリヴィアルな)質問を向けて、記者を追い詰めることを得意としている政治家がいた(いまもいる)。彼らは直感的に「質問をする者が先手を取り、正解を考える立場に追いやられた者が後手に回る」ということ、そして、いったん後手に回ったものには勝ち目がないことを知っているのである。
たしかに相手をやり込めるにはうまいやり方だが、そんな姑息な技術に熟達しても一国のリーダーにはなれない。リーダーに求められているのは記者や野党議員を相手にマウントをとってみせることではない。状況の「先手を取る」ことである。
適切な感染症対策をてきぱきと講じて、感染拡大を未然に防ぎ、権力者に阿諛追従する官僚ではなく、諫言することをいとわない有能な官僚を重用していれば、「こんなこと」は起きていなかった。「起きなくてもいい問題」は起こさない。それが統治者において「先手を取る」ということである。そのことに気づかない限り、首相は最後まで「後手に回り」続ける他ないだろう。