〒634-0804

奈良県橿原市内膳町1-1-19

セレーノビル2階

なら法律事務所

 

近鉄 大和八木駅 から

徒歩

 

☎ 0744-20-2335

 

業務時間

【平日】8:50~19:00

土曜9:00~12:00

 

内田樹さんの「『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』まえがき」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1046

僕たちから想定読者である中高生に向かって言うべき言葉はまず「ごめんなさい」です。もう少し「まとも」な社会を手渡したかったんだけれど、うまくゆかなかった。その点について日本の大人たちは中高生に「ごめんなさい」を言わなければならないと僕は思います。

 

 

2021年8月29日の内田樹さんの論考「『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』まえがき」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 とりあえず、僕たちの世代は、戦争の余燼のうちで育ち、すべてが瓦解した敗戦国が復興してゆくプロセスをまぢかに観察し、バブル期の栄耀栄華を享受し、「失われた30年」で国運が衰微してゆくさまを砂かぶりで見てきました。「祇園精舎の鐘の声」に多少とも聞き覚えがある。そして、歴史的激動の中で、大廈高楼が崩れ落ち、位人臣を極めた勢力家が見る影もなく没落してゆくさまを見ると同時に、どれほど世の中が変遷しようとも揺るがないたしかなもの、移ろわぬものがあることも知りました。

 僕たちがそれぞれの立場においてこれまで味わってきた高揚感や多幸感や幻滅や苦渋は、僕たちの知見に多少の奥行きと深みをもたらしてくれたのではないかと思います。その一部を、これから先の見えない世界を長く生きてゆかなければならない少年少女たちのためにささやかな「贈り物」として差し出したらどうかというのが僕からの提案です。

 今回の寄稿者ではたぶん僕が最年長です。寄稿をお願いする若い書き手の中には、「戦争の余燼」も「バブル期」もぜんぜん知らないんですけど・・・・という方もおられると思います。でも、ご懸念には及びません。書き方が悪くてすみません。あれは「僕の世代」の話で、それ以外の世代にはもちろんそれぞれの時代経験があります。そして、どんな時代に生きていても、みなさんはその時代固有の「祇園精舎の鐘」は聴き取ってこられたと思います。そして、いつの時代でも、「変わるもの」と「変わらぬもの」があることは熟知されていると思います。

 ですから、寄稿依頼をお引き受けくださった方たちが書いてくださることは、ひとりひとりずいぶん切り取り方が違ったものになると思います。もちろん、それこそ僕が願っていることです。みなさんはこれまで積み上げて来た経験が違うし、「これからの世界はどうなるのか」の予測が違う。そして「どの程度の知的水準の読者を想定するか」の設定が違う。

 とりわけ「未来予測」と「想定読者」についてはできるだけ寄稿者ごとにばらけてくれることを僕は願っています。ちょっと遠目で見たときに「穴だらけのチーズ」のようなものであるのが望ましい。サイズも違うし、形も違う「穴」があちこちに空いていて、たくさんの「取り付く島」があるような論集が僕の理想です。

 おそらく同趣旨の本の企画がたぶんいまいくつも並行して走っていると思いますから、「もう似たようなものを書いたから」という理由で寄稿をお断りになる方もいると思います。その点はぜんぜん気にしないで結構です。中高生たちが「取り付く島」はこの本だけじゃなくて、できるだけたくさんあった方がいいに決まってますから。

 僕からは以上です。できるだけ多様な知見を中高生たちに触れてもらいたいと僕は願っています。ご協力くださいますよう拝してお願い申し上げます。

字数とか締め切りとかについては晶文社の安藤さんの方から詳しいご連絡があると思います。どうぞよろしくお願い致します。

 

2020年5月

内田樹

 

 以上が「寄稿のお願い」です。これだけ読んで頂くだけで、この本が何をめざすものであるかは、ほぼお分かり頂けたと思います。

 実際に集まった原稿を読んでみたら、寄稿者のみなさんもこの趣旨をご理解くださって、それぞれが「いまの中高生にとって一番たいせつなこと」と思えるトピックを選んで、それについて情理を尽くして語ってくれました。

 寄稿してくださったみなさんのご厚意に心から感謝申し上げます。

 全部を通読した僕の感想は、寄稿者のみなさんが「ずいぶん親身」だったということです。ふつう年長者が中高生に向けてものを書くときには、どうしたってもうすこし「説教口調」というか微妙に「上から目線」になるものです。でも、そういう印象を残す書き物は今回のアンソロジーにはありませんでした。

 どうしてなんだろうと考えました。僕の仮説はこうです。今回のパンデミックであらわになった日本社会の欠陥について、寄稿者のみなさんはそれぞれに個人的な「責任」を感じている。私たちが「ちゃんとして」いなかったから「こんなこと」になってしまった、「こんな不出来な社会」を後続する世代に遺すことになってしまった。自分たちは後続世代のために、日本社会をもっと「まともなもの」にしておくべきだった。その責務を果たし切れなかった。パンデミックで露呈した日本社会のもろもろの欠陥に対して、自分たちはわかっていながら、それを補正し切れなかった。そのことについての悔しさが行間にはにじんでいたように思います。

 だから、僕たちから想定読者である中高生に向かって言うべき言葉はまず「ごめんなさい」です。もう少し「まとも」な社会を手渡したかったんだけれど、うまくゆかなかった。その点について日本の大人たちは中高生に「ごめんなさい」を言わなければならないと僕は思います。

 読者に対する謝罪から始まる本というのはあまり見たことがありませんけれど、これはそういう例外的な一冊です。みなさんが、これから先、この社会をどうやって少しでも住みやすいものにしてゆくか、それについてのヒントがこの本の中にあることを心から願っています。

 

2020年10月

 

内田樹