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子どもたちがより複雑な生き物になることを支援するのが教育の目的だ
2021年9月18日の内田樹さんの論考「『複雑化の教育論』まえがき」(前編)をご紹介する。
どおぞ。
みなさん、こんにちは。内田樹です。
『複雑化の教育論』は教育についての講演録です。2020年の夏から2021年の3月まで3回にわたって行った講演を書籍化しました。
日本各地に赴いて、現地の学校の先生たちを前にして、僕が講演してから、フロアの先生方と対話をするという企画でしたが、コロナ禍のために対面での講演が難しくなり、全国ツァー計画は放棄せざるを得なくなりました。代わりに3回とも神戸の凱風館(僕が主宰している道場・学塾)で行うことになりました。
10人から15人ほどの聴衆においで頂き、その方たちの前で僕が2時間ほど話をして、それから質疑応答をするというやり方です。少人数ではありましたが、とにかく「人前で話す」というかたちだけは整えることができました。聴講者の募集・会場の設営・録音・文字起こしなどは東洋館出版社の刑部愛香さんに仕切って頂きました。お骨折りに感謝いたします。
「複雑化の教育論」というタイトルも刑部さんの提案です。どこかで僕が「教育の目的は子どもたちの成熟を支援することであり、成熟とは複雑化することだ」と話したのを聴いて、その時の「複雑化」という語が印象に残ったようです。「まえがき」として、そのタイトルの意味についてちょっとだけ書いておきたいと思います。
「子どもたちがより複雑な生き物になることを支援するのが教育の目的だ」というようなことを主張する人はあまりいません。ふつうは知識が増えるとか、感情が豊かになるとか、コミュニケーションがうまくなるというようなことを「成熟」の指標にとります。それでももちろん構わないのですけれども、子どもにおけるほんとうに大きな変化は「昨日より複雑な生き物になった」というかたちで現れると僕は思っています。これまで見たことのない表情を浮かべ、聴いたことのない語彙を用いて語り始め、これまでしたことのないような身動きをするようになる。
教師や親にしてみると、ちょっとショックです。ですから「当惑する」ということはあっても、「喜ぶ」というリアクションはあまり期待できない。でも、僕はここで大人は喜ばないといけないと思うのです。
大人たちは当惑しますけれど、それ以上に当惑しているのは本人の方です。なにしろ、「別人」になってしまうんですから。なりたくてなったわけじゃないんです。「複雑化しよう」と自己決定して、自己努力の成果として変わったわけじゃないんです。
量的な変化なら自己決定・自己努力で達成できます。体重を増やそうとか、声を大きくしようとか、俊敏に動こうというようなことならある程度までは自分で統御できます。でも、「複雑になる」というプロセスは統御できません。単細胞生物が多細胞生物になるようなものだからです。単細胞生物がより複雑な生き物になる時に、あらかじめ「下絵」を書いたり、工程管理をしたりすることができません。だって、多細胞生物がどんなものか知らないんですから。
それと同じです。子どもがより複雑な生き物になるというプロセスがどういうものかは、なってみないと分からない。気がついたら、複雑になっていた。
それはさまざまな「行(ぎょう)」の構造とよく似ています。宗教的なものであれ、武道的なものであれ、あるいは芸事の修業であれ、「行」というのは「前に進む」ということだけがわかっていて、いつ・どこにたどりつくことになるのかは分かりません。「行」の場合には「先達」がいますので、ただその背中についてゆくだけです。どこに向かっていて、いま全行程のどの辺まで来たのか、その行程を走破するとどういうことが起きるのか、そういうことを先達は何も教えてくれません。言ってもしょうがないからです。仮に目的地はどこかを言葉で言ってみても、その語は修業者の手持ちの語彙にはないからです。だから、たとえ聴いても意味がわからない。
武道の修業もそうです。それまで自分の身体にそんな部位があるとは知らなかった部位を操作できるようになり、そんな動きができると思ってもいなかった動きができるようになった後に、これまで自分が稽古してきたことの意味がはじめてわかる。
行の意味は事後的にしか開示されません。だから事前に「この行の目的はね...」というふうに説明をすることができない。