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日本には家もないし、日本に帰属感もないし、日本文化に愛着もない、という人たちが日本はいかにあるべきかについての政策決定権を握っていた。
2021年10月15日の内田樹さんの論考「コロナ後の世界」(その4)をご紹介する。
どおぞ。
ノマドからセダンテールへ
もう一つパンデミックが終わらせたと思われるのが「遊牧的生活」です。
フランス語に「ノマド(nomade)」と「セダンテール(sédentaire)」という単語があります。「ノマド」は遊牧民、「セダンテール」は定住民のことです。グローバル資本主義におけるビジネスプレイヤーはノマドであることが基本でした。企業もそうですし、ビジネスマンも、株主も、みんなノマドです。ビジネスチャンスを求めて遊牧的に動く。定住しないし、いかなる「ホームランド」にも帰属しないし、いかなる国民国家に対しても忠誠心を抱かない。それがデフォルトでした。
日本でも、この30年、エリートであることの条件は「日本列島内に居着かない」ということでした。海外で学位を取り、海外に拠点を持ち、複数の外国語を操り、海外のビジネスパートナーたちとコラボレーションして、グローバルなネットワークを足場に活動する。日本には家もないし、日本に帰属感もないし、日本文化に愛着もない、という人たちが日本はいかにあるべきかについての政策決定権を握っていた。まことに奇妙な話です。日本に別段の愛着もない人たち、日本の未来に責任を感じない人たちが、日本はどうあるべきかを決定してきたのです。そういう人が「一番えらい」ということになっていたからです。
グローバル企業の採用条件は「辞令が出たら明日にでも海外に赴任して、そのまま一生日本に戻らなくても平気な人」ということでした。「日本以外のところで暮らせる人間しか採用しない」と豪語した経営者さえいました。「日本国内にいなくても平気な人、日本語で話せなくても平気な人、日本の食文化や伝統文化にアクセスできなくても平気な人」が日本国内のドメスティックな格付けにおいて一番高い評価を受けた。ですから、ある時点からエリートたちは自分たちが「いかに日本が嫌いか」、「日本はいかにダメか」を広言するようになりました。そうすると喝采を浴びた。これはいくらなんでも倒錯していると思います。
でも、パンデミックで、「ノマド的な生き方」をする人を最も高く評価するというこれまでの人事考課にはブレーキがかかるだろうと思います。
それよりも、政策の優先課題は、日本列島から出られない人たちをどうやって食わせるか、この人たちの雇用をどう確保するか、どうやってこの人たちに健康で文化的な生活を保障するか、ということになります。これは池田内閣の時に大蔵官僚だった下村治の言葉です。日本列島から出られない、日本語しか話せない、日本食しか食べられない、日本の宗教文化や生活文化の中にいないと「生きた心地がしない」という定住民が何千万といます。まずこの人たちの生活を保障する。完全雇用を実現する。それが国民経済という考え方です。
これまでは定住民たちは二級国民という扱いを受けてきました。日本にとどまって、遊牧的な生活を回避したのは自己決定された生き方である。そのせいで社会的な評価が下がっているのであるから、その低評価は自己責任である。だから定住民は公的支援の対象にならないというのが新自由主義イデオロギーにおける支配的な言説でした。でも、それはそろそろ賞味期限が切れて、説得力を失ってきた。パンデミックはある地域に住むすべての住民が等しく良質の医療を受けられる体制を整備しない限り、収束しませんし、国境線を越えて活発に移動する「ノマド」は、疫学的には「スプレッダー」というネガティヴな存在とみなされるようになったからです。