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死文に命を与えるのはわれわれの涙と血と汗である。
2021年11月3日の内田樹さんの論考「憲法の話(長いです)」(その7)をご紹介する。
どおぞ。
改憲派が強くて、護憲派が弱いという現実を生み出した歴史的背景はこのためだと思う。この事実がなかなか前景化しなかったのは、それが「起きなかったこと」だからだ。戦争における無数の加害事実・非人間的事実について明らかにする、憲法制定過程についてその全容を明らかにするということを怠ったという「不作為」が歴史修正主義者や改憲派が今こうして政治的勢いを有している理由なのである。「何かをしなかったこと」「何かが起きなかったこと」が原因で現実が変わった。歴史家は「起きたこと」「現実化したこと」を組み立てて、その因果関係について仮説を立てて歴史的事象を説明するのが仕事であるが、「起きなかったこと」を歴史的事象の「原因」として論じるということはふつうしない。
でも、もし戦中派が戦争責任をきびしく追及し、彼らの加害事実を告白し、さらに憲法が勝者から「下賜」されたものであることを認めた上で「日本国民などというものは今ここには存在しない。これから創り出すのだ」と宣言した場合、戦後の日本社会はどのようなものになっていただろうか。戦中派の人たちはそのタスクの重さに、ずいぶん苦しんだだろう。そして、私たちの世代は、そのような親たちの世代に対して、嫌悪や軽蔑を感じたかも知れない。戦中派は人間はそれほどきびしい苦役に長くは耐えられないという常識的な人間理解に基づいて、「子どもたちには何も言わない」道を選んだ。
護憲派はこの常識と抑制の産物である。だから、非常識と激情に弱い。
護憲運動を1950年代や60年代と同じように進めることはもうできないと思う。当時の護憲運動の主体は戦中派だったからだ。彼らはリアルな生身を持っていた。「空語としての憲法」に自分たちの願望と子どもたちの未来を託すというはっきりした自覚を持っていた。でも、私たちは違う。私たちは「自然物としての憲法」をぼんやりと豊かに享受し、それに敬意を示すこともなくさんざん利用し尽くしたのちに、ある日「お前たちが信じているものは人工物だ」と言われて仰天している「年取った子ども」に過ぎない。
これから私たちが進めるべき護憲運動とはどういうものになるのか。これはとにかく「護憲運動の劣勢」という痛苦な現実を受け入れるところから始めるしかない。われわれの憲法は脆弱であることを認めるしかない。そして、その上で、どのような宣言であっても、憲法であっても、法律であっても、そのリアリティーは最終的に生身の人間がその実存を賭けて担保する以外にないのだと腹をくくる。憲法条文がどんなに整合的であっても、どんなに綱領的に正しいものであっても、そのことだけでは憲法というのは自立できない。正しいだけでは自存できない。絶えずその文言に自分の生身で「信用供与」をする主体の関与がなければ、どんな憲法も宣言も死文に過ぎない。
死文に命を与えるのはわれわれの涙と血と汗である。そういう「ヴァイタルなもの」によって不断にエネルギーを備給していかなければ、憲法は生き続けられない。でも、護憲派はそういう言葉づかいでは語らない。護憲派は、憲法はそれ自体では空語だということを認めようとしない。でも、憲法に実質をあらしめようと望むなら、身銭を切って憲法に生命を吹き込まなければならない。そうしないと、憲法はいずれ枯死する。私はその危機を感じる。だから、護憲の運動にリアリティーをもたらすためには、この憲法は本質的には空語なのだということを認めなければならないと思う。戦中派はこの憲法が空語であることを知っていた。けれども、口にはしなかった。でも、知っていた。私たちは、この憲法が空語だということを知らずにきた。そして、身銭を切って、この憲法のリアリティーを債務保証してくれていた人たちがいなくなってはじめて、そのことを知らされた。
それを認めることはつらいと思う。でも、私は認める。歴史修正主義者や改憲派がこれほど力を持つようになるまで、私はぼんやり拱手傍観していた。憲法はもっと堅牢なものだとナイーブにも信じていた。でも、改憲して、日本をもう一度戦争ができる国にしたいと思っている人がこれだけ多く存在するということは、私たちの失敗である。それを認めなければいけない。だから、もう一度戦中派の常識と抑制が始まったところまで時計の針を戻して、護憲の運動をはじめから作り直さなければならないと思う。戦中派がしたように、今度は私たちが身銭を切って憲法の「債務保証」をしなければならない。これが護憲についての私の基本的なスタンスである。