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日本の国力がいまどんどん衰えているのは、人々が他人の取り分をどうやって減らすかということだけに熱中して、新しい価値を生み出すための努力を怠っているからです。
2021年1月4日の内田樹さんの論考「年始のインタビュー」(前編)をご紹介する。
どおぞ。
毎日新聞に年頭のロングインタビューが掲載された。インタビュアーは吉井理記記者でした。
-「選択と集中」は、限られた人やカネの使い方を吟味し、より有用だと思われる事業や部門に多く振り向けたほうが効果的だ、という考えです。毎日新聞には1993年5月の大手繊維メーカー社長のインタビューで初めて登場します。以来約30年間、1400本超の記事で語られてきました。これを「捨てる」とはどういうことでしょうか。
「パイ」が大きくなっている時には、「選択と集中」というようなことは誰も言いませんでした。90年代初めまでは、大学でも研究費は潤沢でした。僕のような文学研究者の研究費なんか自然科学系に比べるとごくわずかですから、使い切れないほど予算がつきました。分配比率のことなんて、誰もうるさく言わなかった。
でも、右肩上がりの時代が終わり、「パイ」が縮み始めると、とたんに人々が「パイの分配方法」をやかましく論じ出した。「選択と集中」という言葉が出てきたのはその時です。
分配にはルールが必要だ、無駄遣いをなくせ、制度のフリーライダーを叩き出せ、資源は社会的生産性や有用性に応じて傾斜配分すべきだ、という「せこい」話になった。
―それは合理的に見えますけれど......。
僕も最初のうちは生産性・有用性に基づく資源の傾斜配分には合理性があると思っていました。でも、よく考えたら、どの研究に将来的な可能性があるかなんて実は予測できないんです。
加えて、「なぜこの研究が有望か」を説明するために、書類書きやプレゼンで膨大な時間とエネルギーを費やさなければならなくなった。「パイの取り分」を確保するためには研究教育のための時間を削るしかない。
予算規模が大きい自然科学分野では、「金策」に忙殺されて肝心の研究が進まないという悲劇が起きました。
―確かに文系の研究者からも同じ声を耳にしたことがあります。いかに結果を出したか、それっぽく見える書類作成に研究よりも時間が割かれる、と嘆いていました。
でも、無駄をゼロにして、成功するプロジェクトだけに資源を集中するということはできないんです。それは「当たる馬券だけ買え」というのと同じ無茶な要求なんです。
どんな分野でも、どの研究が空振りし、どれが「大化け」するかなんて事前にはわからない。だから無駄をゼロにすることは原理的に不可能なんです。
でも、今の研究者たちは、自分の研究は無駄ではないことを証明するために、研究時間を犠牲にして、膨大な量の作業を強いられている。この作業は何の価値も生み出していない。
―なるほど。しかし現実にパイは縮小している。分配できるお金も少なくなっていますが......。
少ないお金でも、とりあえず満遍なくばらまいておく方が、「役に立つ研究」だけに資源を集中しようとしてたいへんな手間暇をかけるより結果的には費用対効果がよいと僕は思います。
「選択と集中」というのは、要するにパイが縮んでいる時には、誰が無駄をしているのかを暴き出し、誰の取り分を減らすかを決めるということです。
査定や評価というのはそれ自体では何の価値も生み出さない典型的な「ブルシット・ジョブ」なんです。
日本の国力がいまどんどん衰えているのは、人々が他人の取り分をどうやって減らすかということだけに熱中して、新しい価値を生み出すための努力を怠っているからです。
学術の世界だけではありません。政治でも経済でも同じことです。「競争勝者に資源を優先配分する」というゲームを30年していたら、どの領域でも「誰でもできることを他人よりうまくできる人」ばかりが出世し、「誰もしていない全く新しいことを試みる人」は見捨てられた。
「誰もしていないことを企てる」人の中からしかパラダイムを転換できるようなイノベーターは出てこないんですから、そういう人たちをこそ支援しなければならないのに、それを制度的に怠ってきた。
ですから、科学技術上のイノベーションも新しいグローバルビジョンも日本から生まれなかったのは当然です。
―その危機感が社会で共有できていませんね。
それは「選択と集中」のせいで、どれくらいのものを失ったのか、メディアが現状を正確に伝えていないからです。
―確かに......。