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この100年間、思想のたたかいは、世界を単純な論理や図式で「正邪、理非、善悪」の二元論で割り切ることをめざす「敵をつくる思想」と、個人と集団の奉じる多様な価値の共生を受け入れる「敵をつくらない思想」が拮抗してきた過程として見ることができる。
2022年3月28日の内田樹さんの論考「危機の危機(後編)」をご紹介する。
どおぞ。
日本でも似たような事情があったように思います。1910年代というのは日露戦争(1905-6年)のすぐ後です。明治維新から走り続けた大日本帝国は日露戦争に望外の大勝利を収めました。『坂の上の雲』をめざして走り続け、頂上に達したそのときに、突然世界の風景が一変します。それまで、明治維新以来、官民一体となって植民地化の危機を乗り越えて、列強の一角に食い込むことについては、国民的コンセンサスが成り立っていました。そのようなある意味で可憐な国民的連帯感が日露戦争の勝利を境に崩れてゆく。一部の国民の間に、「日本は一等国になったんだ」というけちくさい思い上がりが瀰漫するようになる。外寇から同胞と祖国の山河と伝統的な文化を守るのだというパセティックで浪漫的な気風が消え失せて、戦勝国に許された領土や利権を喜ぶようになる。その国家的な規模の欲望が感染して、民衆たちもまた権力や金銭に対して節度のない欲望をもつことを恥じなくなる。
僕の勝手な想像ですが、このさまを見ていた当時の知的な人々の中には、「戦争に勝ったせいで、かえって日本は堕落した」という嘆きを覚えた人もいたはずです。
夏目漱石の『三四郎』の冒頭には、熊本から上京する三四郎が汽車旅行の途次、日露戦争後の浮き立つような気分に背中を押されて、同乗の男に向かって「しかし、これからは日本もだんだん発展するでしょう」と話しかける場面があります。この三四郎のナイーブな問いかけに、男は素っ気なく「滅びるね」と答えます。三四郎は「熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる」と驚愕します。でも、この「滅びるね」という言葉には日露戦争後の日本社会の道徳的な堕落に対する漱石自身の苦い思いが込められているように僕は読みました。
第一次世界大戦の開戦(1914年)から、第二次世界大戦の開戦(1939年)までの四半世紀に、19世紀までの世界構造が音を立てて崩れ去り、現在に至る20世紀世界の大枠が出来上がります。『日の名残り』的な、ある意味で優美でフェアでゆるい国際関係が終わり、シンプルで凡庸で好戦的なワーディングが大衆を煽り立て、その圧倒的エネルギーが市場を求める資本主義の本質的な暴力性と親和する。
近代科学技術がもたらした大量殺戮というトラウマ体験、国民国家間の全面戦争を抑止してきた貴族たちの超国家的連帯の喪失、知的なイノベーションを担っていた階層の没落と貪欲な「大衆」の出現・・・これらの与件全体を俯瞰すると、たしかにこれがいちどきに現実化したのは「危機」と称するにふさわしい事況だったと言えそうです。
爾来、このときに原型が作られた「危機」的状況は、様々に意匠を変えながらではありますが、ここ100年の間、同一の構造を維持してきたように僕には見えます。ごくおおざっぱな言い方を許してもらえれば、この100年間、思想のたたかいは、世界を単純な論理や図式で「正邪、理非、善悪」の二元論で割り切ることをめざす「敵をつくる思想」と、個人と集団の奉じる多様な価値の共生を受け入れる「敵をつくらない思想」が拮抗してきた過程として見ることができる。そう僕は思います。戦況は一貫して「二元論」的、対立的な思考とそれが分泌する他責的で攻撃的な語法が優勢で、「いろいろあっても、いいじゃないか」的な寛容の思考を壁に追い詰めつつあります。「敵をつくらない思想」は今や土俵際で「徳俵」に足の指をかけて、全身を弓なりにして必死に耐えているといった状態が続いてきています。
このような全体的趨勢の中で、メディアの語り口はほとんどつねに「正邪、理非、善悪」の二元論に寄り添ってきました。その定型的な語り口のせいで、たしかに一時的には、世界の見通しはよくなったように思えます。けれども、このクリアカットな思考は、「うまく説明できないもの」を嫌います。そのようなものは存在しないことにするか、存在するが観察や分析には値しないものとして、テーブルの上から掃き落としてしまう。それを繰り返しているうちに、世界の現象のうち「うまく説明できるもの」だけがテーブルの上に残り、「うまく説明できないもの」が足元にうずたかく堆積するようになった。たしかにテーブルの上を見る限り、話はたいへんすっきりしている。すっきりし過ぎるほどすっきりしている。でも、足元にはテーブルから叩き落とした不定形のものが、行き場を失って、粘ついた汚物のように堆積し、私たちの足に絡みついている。その不快が逆にますます「話をすっきりさせたい」という私たちの無謀な欲望を亢進させる。
私たちの時代の病は、あらゆる領域で、「フラット化」志向というかたちで発現しています。政治の領域での「フラット化」はたいていの場合、「問題は非常に簡単である」というワーディングを枕詞にして語り出されます。ある制度なり、慣習なり、法律なり、集団なり、さらには個人が本態的に邪悪であったり、無能であったりするために、私たちの社会はこれほど不幸になっている、だから、「諸悪の根源」を特定し、それを摘抉するならば、すべての問題は一気に解決し、私たちの社会は「原初の清浄」を回復するであろう、と。
この政治的説話は大衆に対してつよい魅力を発揮しています。わが身の不幸を説明することに困難を覚えている人々にとって、「悪いのはあいつらだ」という有責者の名指しほどフラストレーションを緩和してくれるサービスはありません。現に、私たちの社会における政治的ヒーローたちは「『悪』に対する過剰な攻撃性」によって高いポピュラリティを獲得しています。「語り口が穏やかである」とか「考えが深い」とか「反対者に対して忍耐づよく説得を試みている」といったことを政治家の美質に数える習慣をメディアはほぼ完全に放棄しました。そのような文言を僕は久しくメディアで見聞したことがありません。メディアを徴する限り、今政治家に求められているのは、何よりも「スピード感」であり、「わかりやすさ」であり、「思い切りのよさ」のようです。
たしかに、そういう人たちはテーブルからてきぱきと「ゴミ」を掃き落とすことは得意でしょう。でも、「掃き落とされた人々」は(強制収容所に幽閉するか、粛清するかしない限り)、結果的には、その政治家の掲げる政策を失敗させるためにしか行動しません。例えば、「働きの悪い部下」や「業務命令をきかない吏員」を減俸し、解雇すれば、短期的には人件費コストは削減できますが、統治システムに対して深い不平と怨恨を抱き、公共の福利に献身する意思をまったく持たない市民を組織的に生み出すことになります。このような人々が長期的にもたらす社会的コストはとてもゼロ査定できるものではありません。短期的なコスト削減策が、長期的には巨大な損害を生み出した実例を私たちは福島の原発事故で学習したばかりのはずなのに。
メディアでも、ネット上でも、僕の眼に入ってくるのは、烈しく、単純な攻撃の言葉の応酬です。人々は自分がいかに不快であるか、いかに怒っているかを競い合っている。あたかも、もっとも怒り狂い、もっとも烈しい言葉を口に出来る書き手こそが、いちばん問題の本質にもっとも肉迫しているというルールでゲームをしているかのように、人々は怒りの感情の烈しさを競い合っています(僕の書くものも、残念ながら、その弊を完全に免れているわけではありません)。知性の深みや、ひろびろとした展望や、人間的器量の宏大さを感じさせてくれるような言説に触れる機会はますます減っています。僕はそれこそがこの時代の危機のもっとも危機的な徴候ではないかと思います。
「危機だ、危機だ」と警鐘を乱打することは少しもむずかしいことではありません。「危機はここにある」と名指すこともそれほどむずかしいことではありません。でも、「危機を回避するために、人々が知恵を出し合い、手持ちの資源を分かち合うための対話と相互支援の場をどうやって立ち上げるか」という実践的な問いに答えることはむずかしい。たいへんにむずかしい。そのような場を立ち上げるためには、何よりも他者に対する寛容と想像力が必要なのですが、まさに「寛容と想像力」の必要を訴える言葉がどこでも聞かれなくなったという当の事実が、つまり危機を回避するためのただ一つの道を人々が寄ってたかって塞いでいるという悲しむべき事実こそが、この社会の危機の実相なのだと僕には思われるのです。