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ものごとを始める時に、まず周囲の共感や理解を求めてはならない。
2022年4月7日の内田樹さんの論考「勇気について」をご紹介する。
どおぞ。
先日若い人たちと話すことがあった。若いと言っても私より30歳くらい下だから中堅どころである。「今の日本人に一番足りないものは何でしょう」と訊かれた。少し考えて「勇気じゃないかな」と答えた。言ってから、たしかに私が子どもの頃にマンガや小説を通じて繰り返し「少年は勇気を持つべし」と刷り込まれてきたことを思い出した。『少年探偵団の歌』だって、「ぼくらは少年探偵団 勇気りんりん るりの色」から始まる。1950年代の少年に求められた資質はまず勇気だった。
勇気というのは孤立を恐れないということだと思う。自分が「正しい」と思ったことは、周りが「違う」と言っても譲らない。自分が「やるべき」だと思ったことは、周りが「やめろ」と言っても止めない。
戦中派の大人たちが私たち戦後生まれの子どもたちに向かって「まず勇気を持て」と教えたのは、彼ら自身の「自分には勇気が足りなかった」という深い慙愧の念があったからではないかとその時に思い至った。
戦前戦中において、自分が「正しい」と思ったことを口に出せず、行動に移さず、不本意なまま大勢に流されて、ついには亡国の危機を招いたということへの痛苦な反省があったからこそ戦中派の人々はわれわれ戦後世代に「まず勇気を持て」と教えたのかも知れない。そんな気がした。だとすれば、この世代の子どもたちが長じて学生運動に身を投じた時に「連帯を求めて孤立を恐れず」というスローガンに情緒的な反応を示したのも当然である。
どうして「勇気を持て」という教えが後退したんでしょうと重ねて訊かれたので、これもその場の思いつきで『少年ジャンプ』のせいかなと答えた。『少年ジャンプ』が作家たちに求めた物語の基本は「友情・努力・勝利」である。
最初に「友情」が来る。私見によれば、友情と勇気は相性が悪い。友情というのは理解と共感に基づくものである。周りの友人たちに理解され、共感され、支援されることである。一方、「勇気」というのは、周りからの理解も共感も支援もないところから始めるために必要な資質である。「すべてはまず友情から始まる」という世界には「孤立を恐れない少年」の居場所がない。
『孟子』に「千万人と雖も吾往かん』という有名な言葉がある。どうやら「吾」の周りには同盟者がまったくいないようであるから、彼がどれほど「努力」しても、「勝利」を期することは不可能であろう。「友情」と「勝利」が優先的に求められる世界では、この「吾」はただの「空気の読めないやつ」として遇される他あるまい。
勇気が最優先の徳目であった時代に、それ続く徳目は「正直と親切」であった。「勇気・正直・親切」と「友情・努力・勝利」はまるで違う。正直や親切というはパーソナルなものである。目の前にいる生身の人間に対してどう向き合うか、こちらの真率な気持ちが相手にどれだけ伝わるかという顔と顔を見合わせた倫理次元の問題である。それは何か達成するための手段ではない。
でも、努力は違う。努力にはとりあえず相手がいない。努力するかどうかはあくまで自分一人の問題である。そして、ほんとうに「努力」したかどうかは「勝利」したかどうかで事後的に、客観的かつ外形的に検証される。なるほど、時代はそうやって遷移したのかと私は深く得心した。
スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で式辞を読んだことがあった。その時に彼は「最も重要なのはあなたの心と直感に従う勇気です」という感動的な言葉を語った。「心と直感はあなたがほんとうは何になりたいかをなぜか知っているからです」と話は続く。
ジョブズはたいせつなのは「心と直感に従うことです」とは言わなかった。「心と直感に従う勇気です」と言ったのである。勇気が要るのは子どもが「心と直感に従う」ことを周囲の大人が許さないからである。
ものごとを始める時に、まず周囲の共感や理解を求めてはならない。ジョブズのこの見識に私は全幅の同意を送る。