〒634-0804

奈良県橿原市内膳町1-1-19

セレーノビル2階

なら法律事務所

 

近鉄 大和八木駅 から

徒歩

 

☎ 0744-20-2335

 

業務時間

【平日】8:50~19:00

土曜9:00~12:00

 

内田樹さんの「日本は帝国の属領から脱却できるか?」(その3) ☆ あさもりのりひこ No.1168

真のリアリストとは現実に適応することよりも、現実を作り変えることを重んじる人のことです。そのためには「どういう現実が望ましいか」という理想をはっきり掲げなければならない。だから、まず「我々はどういう世界を目指すのか」という理想を問い直すべきです。

 

 

2022年4月21日の内田樹さんの論考「日本は帝国の属領から脱却できるか?」(その3)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

―― 第二次大戦後、冷戦後の国際社会では自由や民主主義、基本的人権、法の支配が「普遍的価値」とされてきましたが、ウクライナ戦争でこれらの価値観は動揺しています。

 

内田 自由や民主主義は、欧米の啓蒙思想家たちが価値を見出したものですから、必ずしも「人類共通の普遍的な価値」とまで言えないと思います。しかし、それらの価値観は、暴力がすべてを支配する無秩序状態、「万人の万人に対する闘争」という自然状態から人類が脱却するために発明され生み出されたものです。その志の高さは掬すべきだと思います。

 今回ロシアは「力による現状変更」に踏み切りました。これがカミュのいう「越えてはならない一線」でした。これを認めてしまえば、人類は再び「力こそが正義だ」という、強者が弱者を支配し、収奪する無秩序状態に逆戻りしてしまう。「それだけは何としても避けなければならない」という危機感が、世界中の人々のうちにウクライナへの連帯感を醸成したのだと思います。

 

―― ウクライナ戦争は米中対立にも大きな影響を与えます。アメリカや中国の反応をどう見ていますか。

 

内田 アメリカの国内世論には、積極的にウクライナ戦争に軍事介入すべきだという声は少ないようです。オバマ政権以降、アメリカは内向きになって孤立主義の傾向を強めています。ウクライナ戦争でも、この流れは変わらないと思います。

 ただ、アメリカは自分の手は汚さずに、ウクライナに激しく抵抗してもらって、ロシアの兵員兵力が損耗し、経済制裁でデフォルトに陥り、国際社会で孤立した「二流国」に転落するシナリオを期待していると思います。ウクライナという「やすり」を使って、ロシアの国力を殺ぐことができるなら、アメリカが直接介入する必要はない。そういう計算をしていると思います。

 一方、中国はウクライナ戦争でかなり不利な状況に追い込まれました。経済的にこれからロシアを支えなければいけないからです。国際的孤立からロシアを擁護しなければならないのだが、「大義名分」がない。そこには、ここでロシアを支えないと欧米諸国が「増長する」から、というパワーゲームの論理しかありません。

 中国はプーチン政権を見切れない事情があります。プーチンが失権した場合には、ロシア国内に親欧米派が台頭する可能性があるからです。現に、プーチン自身が初期にはNATO加盟をめざしたくらいですから、ポスト・プーチンのロシアが「親欧米」路線にシフトする可能性は少なくありません。

 プーチンが失脚して隣国ロシアが政情不安定になることも、新欧米派が政権を取ることも、どちらも中国はまったく望んでいない。となると、中国にとってベストの選択は「プーチンの長期政権がいつまでも続くこと」だということになります。そのためには国際的に孤立し、貧国に転落するロシアを扶養し続けるという面倒な仕事を引き受けなければならない。たしかに短期的にはロシアの天然資源を安く買うことで多少の利益を上げられるかも知れませんが、中長期的には対ロ支援は中国にとってはきびしいコストになると思います。

 

―― 台湾情勢にはどういう影響があると思いますか。

 

内田 これまで欧米のメディアは「中国は今日にも台湾侵攻に踏み切るかも知れない」という論調でしたが、ウクライナ侵攻失敗で、台湾侵攻のハードルは上がったと思います。

 今回、ロシアは短期間のうちにキエフを攻略して、ゼレンスキー政権を倒し、親ロ派政権を樹立してしまえば、ロシアにエネルギーを依存している西欧は既成事実を追認せざるを得なくなる、そう目論んでいたはずです。

 ところが、実際には短期決着に失敗した。そこで生まれた時間的余裕で、欧米は「力による現状変更は絶対に認めない」と一致団結して、経済的利益を犠牲にしてでも強力な制裁に踏み切るという合意形成を成し遂げた。これはプーチンにとっては予想外の展開だったはずです。

 ですから、中国が台湾に侵攻した場合も、同じことになる可能性が高い。台湾に侵攻しても、短期間に「親中派政権」を成立させて、抵抗勢力を平定して、秩序を回復するというシナリオは実現が難しい。台湾としてはとにかく激しく抵抗して傀儡政権の樹立を阻めば、その間に国際社会から支援を期待できる。世界の各国が自国の経済的な利益を犠牲にしても、対中国の経済制裁に参加した場合、中国がこうむる経済リスクに習近平政権は耐えられるかどうか。

中国共産党の一党独裁は経済成長率が年率6%を割り込んだら「危機水域」に入ると言われてきました。台湾侵攻に対する経済制裁で中国経済が失速した場合には習近平には失権リスクが生じます。台湾侵攻を成し遂げて自分の「レジェンド」を作ることの利益と経済の失速で政権を失うリスクを天秤にかけた場合に、どちらが「重い」と習近平が判断するか、そこにかかっていると思います。

 

―― 日本はウクライナと同じように「帝国の属領」になるのか、「独立した国民国家」になるのかという問題に直面しています。

 

内田 日本は「アメリカ帝国の属領」です。戦後日本は一貫して従属的平和を選択してきましたから、仮に中国に攻め込まれたとしても、アメリカが米中戦争を回避するために日本を見捨てたら、今度は軽々と「中華帝国の属領」になるという選択をするでしょう。

 日本人は目の前の現実に適応するふるまいを「リアリズム」と呼んでいます。世界はどうあるべきかについては何のアイディアもないけれど、どんな信じがたいものでもそれが現実だと思えばあっさり適応する。ですから、中国の支配下に置かれたら、自民党はたちまち親中派に転じて、嬉々として戦後民主主義体制を放棄して、独裁体制を敷くと思います。中国の属領になれば、いくらでも強権的に国民を支配できるし、市民的自由も奪えるし、うまくすれば戦争だってさせてもらえる。まさにそれこそ彼らが望んでいることなんですから。

 ただ、日本は米中対立の最前線にありますから、アメリカ帝国の属領にとどまるにせよ、中華帝国の属領になるにせよ、この先安定的に平和を維持するのは容易ではないと思います。

 

―― 帝国の属領になっても平和を維持できないなら、独立した国民国家を目指すべきです。

 

内田 それは不可能だと思います。今の日本人にはもはや「総力戦」を戦う力がない。個人的努力と国運の間のリンケージが切れているからです。

 安倍政権以来のネポティズム(縁故政治)が教えてくれたのは、国民が個人的努力の成果を税金として納めても、私権の制限を受け入れても、私財の一部を公共に供託しても、権力者とその取り巻きたちがそれを私物化するだけだということです。公共のための努力がことごとく権力者とその縁故者を肥えさせるだけと知ったら、誰が「国のために」汗をかく気になるでしょう。

 

―― それでも我々は日本の独立を目指すべきです。たとえ無駄な努力になるとしても、そのためにできることはありますか。

 

内田 それならば、真のリアリストになることです。ウクライナ戦争をうけて、自民党周辺では憲法改正や核共有の議論が勢いづいています。彼らは自分のことをリアリストと思っているんでしょうけど、それは違います。そのつどの現実に最適化しようとするのはリアリズムではなく、ただの現実追随主義です。ですから、ロシアが最初「力は正義だ」という強気な態度を示した時に彼らは一斉に「ロシアに倣って強大な武力を持つべきだ」と言い立て、ウクライナがはげしく抵抗すると「武力より愛国心がたいせつだ」と言い立てた。現実が変わるごとにころころと態度を変える。それが彼らのリアリズムです。

 しかし、真のリアリストとは現実に適応することよりも、現実を作り変えることを重んじる人のことです。そのためには「どういう現実が望ましいか」という理想をはっきり掲げなければならない。だから、まず「我々はどういう世界を目指すのか」という理想を問い直すべきです。

 その理想はすでに日本国憲法に書かれていると僕は思います。「日本国憲法はGHQの作文だ」と批判されます。その通りです。しかし、戦後日本人はそれを承知の上で、憲法が掲げた理想をめざして国民的な努力をするという方向を選んだ。憲法には日本の国益という以上の「上位価値」が書き込まれていると信じたからです。

 

 中国やロシアや北朝鮮のどこが「平和を愛する諸国民」なのかという人がいますけれど、もともと憲法なんて、どこの国のものでも「空語」なんです。その空隙を国民的努力によって満たすべき空語なんです。人権宣言もアメリカの独立宣言もその点ではどれも同じです。そこに書かれているのはその時点での現実ではありません。目指すべき「理想」です。そこに書かれていることが非現実的であるというのは、目指す方向が間違っているということを意味するわけではありません。「宣言」について論じるべきはそれが現実的か非現実的かではなく、万人がその恩沢に浴すことのできる「上位価値」を目指しているかどうか、それだけです。(3月30日 聞き手・構成 杉原悠人)