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私が「未来」と呼ぶのは、「私たちが味わったような苦しみ悲しみを、誰にも、二度と経験させたくない」という強い思いを足場にして望見される「未来」のことである。
2022年5月2日の内田樹さんの論考「ロシアと日本 衰運のパターン」をご紹介する。
どおぞ。
大阪のとある市民集会で「ウクライナとカジノ」という不思議な演題での講演を頼まれた。はて、どうやってこの「二題噺」を仕上げようか悩んだ末に「ロシアと日本の衰退には共通パターンがあるのでは」という仮説について話すことにした。
ロシアはとうから経済大国ではない。GDPは世界11位、イタリア、カナダ、韓国より下で、米の7%、日本の3分の1である。一人当たりGDPは世界66位。ハンガリー、ポーランド、ルーマニアといったかつての衛星国より下である。旧ソ連は物理学では世界のトップを走っていたが、ソ連崩壊以後のノーベル賞受賞者は5人。平和賞のドミトリー・ムラトフは反権力メディアのジャーナリスト、4人の物理学賞受賞者のうち一人は米国に一人は英国に在住している。ロシアの体制にはもう知的なイノベーションを生み出す文化的生産力は期し難いように見える。
外形的な数値ではまだ日本の方がまさっているけれど、長期低落傾向に伴う社会的閉塞感は両国に共通している。
システムの刷新が行われず、権力が一握りのグループに排他的に蓄積し、イエスマンしか出世できず、上司に諫言する人は左遷され、「オリガルヒ」や「レント・シーカー」が公共財を私財に付け替えて巨富を積む一方、庶民は劣悪な雇用環境の下で苦しんでいる・・・列挙すれば共通点はいくらでもある。
安倍晋三元首相がプーチン大統領に「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている」と満面の笑みで語りかけたのは、今にして思えば、あながちリップサービスでもなかったのである。たしかにこの二人の権力者が見ていた未来はかなり似ていた。それは「未来がない」ということである。
ロシアと日本に共通しているのは「未来のあるべき姿」を提示できないという点である。どちらの国でも指導者が語るのはもっぱら遺恨と懐古と後悔である(「あいつのせいで、こんなことになった」「昔はよかった」「あのとき、ああしておけばよかった」といった文型が繰り返される。)
その怒りと悲しみは主観的には切実なものなのであろう。だが、それがどれほど本人にとって切実であっても、未来を胚胎しないメッセージは他者の胸には響かない。「ああ、そうですか。それはたいへんでしたね」という気のないリアクションしか返ってこない。
そんなことを言う人はあまりいないので申し上げるが、私が「未来」と呼ぶのは、「私たちが味わったような苦しみ悲しみを、誰にも、二度と経験させたくない」という強い思いを足場にして望見される「未来」のことである。
戦争であれ、貧困であれ、疫病であれ、痛みと苦しみの経験を持つ人たちは誰でも「もう二度とこんな苦しみを味わいたくない」と思う。思って当然である。でも、そこからさらに一歩を進めて、「私だけではなく、誰にも同じ苦しみを味わって欲しくない」という願いを持つ人はそれほど多くない。だが、そのような願いをつよく持つ人がめざす未来だけが他者の心に触れる。そのような「未来像」だけが人種や宗教や言語の差を越えた現実変成力を持つことができる。
ロシア人も日本人も戦争という外傷的経験で深く傷ついた。そのことを否定する人はどこにもいないだろう。しかし、そこから引き出した指針はせいぜい「二度とあんな思いはしたくない」という悔いにとどまった。どちらの国も自分たちの痛苦な経験を「世界の誰もが、私たちが味わったような痛みと苦しみを二度と味わうことがありませんように」という祈りにつなげることはできなかった。そのような祈りにつなげることができなければ、かつて傷つき苦しんだ人たちを「供養する」ことにはならないと私は思うけれども、ロシアでも日本でもそういう考え方をする人はこれまでつねに少数にとどまったし、これからも多数派を占めるとはとても思えない。
だから、私はこの両国には残念ながら「未来がない」と思うのである。ごく常識的なことだと思うのだが、メディアを徴する限り、同じことを言う人を見たことがないので、私が代わって申し上げることにした。