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村上春樹さんは自分の作品にいっさい「あとがき」とか「解説」とか付けませんけれど、それは「あれ書いたのオレじゃないし・・・」となんとなく思っているからだと思います。
2022年8月6日の内田樹さんの論考「自分のヴォイスを見つけるためのエクササイズ」(その3)をご紹介する。
どおぞ。
O川さま
こんにちは。内田樹です。
課題拝受しました。
ちょっと時間が空きましたね。こういうものは時間をあまりかけない方がいいです。
課題が来たら即答する。時間があくほど「それなりのものを書かないといけない」というプレッシャーが無意識にかかってくるんです。
これはほんとうの話です。学者が陥るピットフォールのひとつなんです。
ある論文を書いたあと、次の論文までに間を空けると「世間の人はそれだけ時間をかけたクオリティのものを期待しているに違いない。その期待に応えねば・・・」と力んでしまうのです(別に誰も期待してなんかいないんですけどね)。
そして、力めば力むほど書けなくなって、ますます時間が空いて、ますます「期待が高まっているのでは・・・」(高まってないってば)と力んでしまうのです。
そうやってついに「続き」を書くことができずに終わった研究者は君が想像するより何倍もたくさんいます。
ですから、あまり工夫しないでいいです。
課題が出ても、なかなか時間が取れないこともあるでしょうから、1週間くらいをめどにして「即答」をめざしてください。
「即答なんだから、多少できが悪くても文句言わないよね」と思って書いた方が気楽ですし(実際に文句言わないし)。
そして、こういうものは、だいたいあまり考えないで「即答」した方が出来がいいんです。
「即答」して書き上げたものにあとから添削をするのは構いません。その作業が楽しければした方がいい。でも、とりあえず最後まで一気に書いてしまう。
文の長さについては何の規定もないわけですから。
だから今回の課題なんかだって、O川君が「どんどん課題くるけど、そんなに時間ねえんだよお」と思っていたら
「誰待ってるの?」
「関係ないでしょ」
で終わってもぜんぜん良かったんです。
「誰待ってるの?」
「あんたじゃないわよ」
「誰待ってるの?」
「ニホンゴワカリマセン」
でも、なんでもよかったんです。
課題の「虚を衝く」遊びも回答者には許されているんですよ(これ試験じゃないから)。
ヴォイスをみつけるためのエクササイズだから。
では、課題(7)です。
今回は「フィクション」を書いてもらいます。
最初の一行は
「それは僕がこれまで見たことのないタイプの男だった」
です。そして、その男がどんな様子の男であったのかを描写してもらいます。
ただし条件があります。
それはその男の描写において記述している「僕」は「視覚」「聴覚」「嗅覚」「触覚」「味覚」のすべての感覚を動員すること。
短くてもいいし、長くてもいいです。
たいせつなのは視覚情報だけに依存しないで、人物像が描けるかどうかです。
ではがんばってね。
O川さま
おはようございます。内田樹です。
課題提出さっそくありがとうございます。
でも、O川くんからの「説明」もあった方が僕は面白いです。
どういう意図で書いたのかということと、実際に書かれたものの間には大きな「齟齬」が生じるのです(当たり前ですけれど、「ヴォイス」は「意図」によっては制御できませんから)。その「齟齬」が大きければ大きいほど「ヴォイス」が育って来ているということです。
だから、「説明」は「自分の書いたものをうまく説明できている」ことによってではなく「自分が書いたものをうまく説明できていない」度に基づいて評価されることになります(別に評点をつけているわけじゃないですけど)。
次回からは「自作への注釈」もぜひ書き添えておいて下さい(短くてもいいですよ)。
だから、今回は「説明をつけないことにした」というO川君の選択が僕には興味深かったです。
「今回のはなんとなくうまく説明できないなあ」と思ったんじゃないかな。
それは「意図」によって書き物が制御できなくなってきている徴候です。
村上春樹さんは自分の作品にいっさい「あとがき」とか「解説」とか付けませんけれど、それは「あれ書いたのオレじゃないし・・・」となんとなく思っているからだと思います。
書いたものを自分の「所有物」のように扱うことができない。隅から隅まで、全部自分がコントロールしているものだと思えない。自分の書いたものが、自立した、独自の生命をもつもののように思えると、説明できなくなる。
そして、それを説明するためには「お話をもうひとつ」新しく書く以外になくなる・・・ということじゃないかと思います。
今回の書き物はそういう点でも過去最高にいい感じに仕上がっています。
視覚情報に依拠しないで、触覚や嗅覚を動員して描写すると、不思議な「リアリティ」が出てくるでしょう。虚構なのにリアリティがある。どうしてそういうことが起きるかというと、 O川君の身体はO川君が産まれてから経験したことを全部記憶しているからです。どんな作り話を考えても、その「記憶」のアーカイブから取り出すしかない。それは「ほんとうに経験したこと」なんです。ただ、一度も言葉にしたことがないだけで。だから、それを経験したことを頭は忘れている。でも、身体は覚えている。
「ヴォイス」というのは、頭が忘れているけれど、身体が覚えていることを語る装置です。たぶん頭が覚えていることの一億倍くらい(もっとかな)身体は記憶しています。それはぜんぶ「使える」ものなんです。使っていいんです。というか、使うべきものなんです。
では、次の課題ですけれど、ここでちょっと一休みします。
課題はここで出しますけれど、しばらく「寝かして」おいてください。
締め切りは一月後にします。
それまでこの課題のことは「忘れて」おいてください。締め切り三日くらい前になったら「あ、課題があった」と思い出して、それから書いてください。そういうルールです。
今回も「創作」です。どんな途方もない話でも結構です。長さも文体も自由。
最初の一行は「僕は生まれてから一度も経験したことがないような痛みで目が覚めた」です。