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内田樹さんの「自分のヴォイスを見つけるためのエクササイズ」(その4) ☆ あさもりのりひこ No.1216

村上春樹の『羊をめぐる冒険』の本歌はレイモンド・チャンドラーの『ザ・ロング・グッドバイ』です。その本歌はスコット・フィッツジェラルドの『ザ・グレート・ギャツビー』。その本歌はアラン・フルニエの『ル・グラン・モーヌ』。

 

 

2022年8月6日の内田樹さんの論考「自分のヴォイスを見つけるためのエクササイズ」(その4)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

O川さま

 こんにちは。内田樹です。

 課題ありがとうございました。返信が遅くなってすみませんでした。

 今回の課題、面白かったです。ずいぶんのびのびと書いてますね。やっぱり「虚構」の方が書きやすいんだ。

「補助線」というのは、古典でいうところの「本歌取り」のことですね。それはものを書くときのわりと伝統的な手法なんです。

「本歌」はどこでもいいです。プロットを取ってもいいし、キャラクターを取ってもいいし、1シーンだけを取ってもいい。そういう「下敷き」にするものがあったほうが、むしろ自分のオリジナリティを発揮しやすい。

 大瀧詠一さんはそれを「下敷きソング」と呼んでいました。意図的に「この曲のここを使う」と思って使う場合もありますけれど、気づかないで使う場合もある。そりゃそうですよね。何十年も浴びるように音楽を聴いてきたわけですから、身体に入ってしまっている。

 前に大瀧さんの作った『うなずきマーチ』というコミックソングはデイヴ・クラーク・ファイブのWild Weekend が下敷きですよねと書いたら、大瀧さんから「それを発見したのは世界で内田さんが最初です」というメールが届きました。大瀧さん自身も、自分が数え切れないくらい聴いてきたWild Weekend を下敷きにして作曲していたことに気づかなかったのでした。

そういうものなんですよね。

 これもよく書いていることですけれど、村上春樹の『羊をめぐる冒険』の本歌はレイモンド・チャンドラーの『ザ・ロング・グッドバイ』です。その本歌はスコット・フィッツジェラルドの『ザ・グレート・ギャツビー』。その本歌はアラン・フルニエの『ル・グラン・モーヌ』。その本歌もきっとあるはずです。

 これはどれもプロットの構造が同一なのです。

 世界的な作家でもちゃんと「補助線」を使って仕事をしているのです。そういうものに頼るのは当たり前のことなんです。

 文体は誰でも最初はパスティーシュ(pastiche)=模倣から入ります。この人はずいぶん自由自在に書いているなあと思われる人の文体を真似するのです。

 僕は最初に文体を真似をしたのは北杜夫でした(「ドクトルまんぼう」シリーズの方の北杜夫です)。これは小学校高学年から高校生くらいまで続きました。そのあと、吉本隆明、廣松渉、椎名誠、橋本治、村上春樹、高橋源一郎たちの文体からはつよい影響を受けました。だから、当時の書き物を見ると、そのとき自分が誰の影響下にあったのか、すぐわかります。

 でも、そういう下敷きがだんだん重なって、そこに上書きされてゆくうちに、誰にも似ていない自分だけの文体が形成されてくるんです。

 ほんとに。

 だから、誰かの影響を受けるということはできるだけ頻繁に、できるだけ集中的に経験したほうがいいのです。

「本歌取り」の真骨頂は(今回の課題もそうでしたけれど)、虚構の人物をして語らせることです。自分が経験したこともないことをあたかも自分の経験であるかのように語ることで、僕たちの経験は深まるのです。

 というわけで、課題はこのあとも虚構が続きます。

 次なる課題は「不思議な職業の人」です。

 設定を決めておきます。最初の一行はこれです。

「とても感じのよい人だった。でも、何をしている人なのかさっぱり見当がつかない。」

 ここから始まります。そのあとは自由です。

 では、がんばってください。

 

O川さま

 こんにちは。内田樹です。

 今回も面白かったです。「とても感じのいい人」という条件と、「何をしているのかわからない人」という条件を両方クリアーするキャラクターというのは、かなり想像力を働かせないと思いつきませんからね。

 今回のホームレスの造形はなかなか深みがありました。

 こういう描写は日頃人間をていねいに観察していないとなかなかできないんですよ。

 ものを書くことのいちばん大きな利点は、「これをいつか誰かに話してみたい、何かのかたちで書き残しておきたい」と思えるような不思議な味わいのする出来事に出会うチャンスが増えるということです。不思議なことに。

 自分が経験したことを話す相手が誰もいないという人は、目の前で「とんでもないこと」が起きてもそれに気づかないということがあります。

 逆に、人間の観察や記憶の力は、それを「誰かに物語るときがある(それを聴いてくれる人がいる)」という期待があるときに強化される。

 そういうものなんです。

 

 さて、次回の課題はちょっと趣向を変えて「人生相談」です。

O川君は若いので「人生相談をする側」になることがほとんどで、される側になることってあまりないと思います。

 ですから、今回は「人生経験豊かな大人」になったつもりで(そうですね、50歳くらいになったつもりで)、迷える年少者に適切なアドバイスを差上げてみてください。

 

 質問はこんなのです。

 

「私はもうすぐ30歳ですが、今までの人生で何一つ何かを達成したという実感がありません。このまま人に語れるような実績がなにもないままに30歳を超えてしまうのかと思うと、心細くなります。これから何をしたらよいでしょう。アドバイスください(29歳・女)」

 

 

 なんて、いわれてもねえ。がんばって悩んで回答してください。