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内田樹さんの「アメリカにおける自由と統制」(その1) ☆ あさもりのりひこ No.1235

私たちはトクヴィルやハミルトンやミルが生きた18~19世紀の欧米市民社会よりもはるかに民主制の成熟度の低い社会にいまも暮らしているのである。

 

 

2022年8月19日の内田樹さんの論考「アメリカにおける自由と統制」(その1)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

「自由論」という論集に寄稿を依頼された。こんなことを書いた。 

 

 まずアメリカの話をしようと思う。自由を論じるときにどうしてアメリカの話をするのかと言うと、私たち日本人には「自由は取り扱いのむずかしいものだ」という実感に乏しいように思われるからである。私たちは独立戦争や市民革命を経由して市民的自由を獲得したという歴史的経験を持っていない。自由を求めて戦い、多くの犠牲を払って自由を手に入れ、そのあとに、自由がきわめて扱いにくいものであること、うっかりすると得た以上に多くのものを失うかも知れないことに気づいて慄然とするという経験を私たちは集団的にはしたことがない。「自由」はfreedom/Liberté/Freiheitの訳語として、パッケージ済みの概念として近代日本に輸入された。やまとことばのうちには「自由」に相当するものはない。ということは、自由は土着の観念ではないということである。

 ややもすると私たちは「自由というのはすばらしいものである」「全力を尽くして守らなければならないものである」ということを不可疑の前提にして、そこから議論を出発させる。けれども、そうすると、自由に制限を加えようとする政治的立場が理解できなくなる。自由を恐れるという発想が理解できなくなる。自由を制限しようとする者はただひたすらに「邪悪な権力者」にしか見えない。だから、市民が語る自由論は「どうやって権力者の干渉を排して、自由を奪還するか」という戦術論に居着いてしまう。私たちの社会で自由についての思索が深まらないのはこの固定的なスキームから出ることができないせいではないか。

 

 JS・ミルの『自由論』(1855年)はアメリカ合衆国建国の歴史的実験を間近に観察した上でなされた考察である。私たちがまず驚くのは、ミルの最初の主題が「社会が個人に対して当然行使してよい権力の性質と限界」 だということである。どこまで市民的自由を制限することが許されるのか。ミルはそう問題を立てているのである。

 私たちの国では、そういう問いから自由について語り始めるという習慣はない。私たちの社会では、市民は「個人が行使できる自由の拡大」について語り、統治者は「政府が行使できる権力の拡大」について語る。話はまったく交差しない。

 統治機構はどこまで市民的自由を制限できるのか、制限すべきなのか、それがミルの自由論の一つの論点である。こういう問いは市民革命を経験し、政府を倒し、統治機構を手作りした経験のある市民にしか立てることができない。

 市民革命以前の人民にとって、支配者は「民衆とつねに利害が相反」する存在であった。だから、人民は支配者の権力の制限についてだけ考えていればよかった。しかし、民主制を市民が打ち立てた後、理論上は人民の代表が社会を支配することになった。支配者の利害と意志は、国民の意志と利害と一致するという話になった。政府の権力は「集中化され行使しやすい形にされた国民自身の権力にほかならないのだ」 ということになった。民主制以前だったら、空想的にならそう語ることもできただろう。けれども、実際に市民革命を行って、民主制を実現してしまったら、話はそれほど簡単ではないことがわかった。「権力を行使する『民衆』は、権力を行使される民衆と必ずしも同一ではない」 からである。代議制民主制のふたを開いてみたら、そこで「民衆の意志」と呼ばれているものは「実際には、民衆の中でもっとも活動的な部分の意志、すなわち多数者あるいは自分たちを多数者として認めさせることに成功する人々の意志」 だったからである。「民衆がその成員の一部を圧迫しようとすることがありうるのである。」

 これは市民革命をした経験のある者にしか語れない知見だと思う。支配者対人民という二項対立で話が済むうちは簡単だった。だが、近代民主制のアポリアはその先にあった。市民革命を通じて民主制を実現してみたら、予想もしていなかったことが起きた。最も活動的な民衆の一部がそれほど活動的でない他の民衆の自由を制約しようとし始めたのである。「民衆による民衆の支配」という予想していなかったことが起きた。さて、どのようにして民主制の名においてそのような事態を制御することができるのか? 社会が個人に対して行使してよい権力の性質と限界はいかなるものか? これが170年ほど前にミルによって定式化され、いまに至るまで決定的な解を見出すことができずにいる自由をめぐる最大の論件である。

 

 繰り返すが、私たちの国では、そのような問いが優先的に気づかわれるまでに市民社会が成熟していない。現に、「多数者の専制」が「社会が警戒することが必要な害悪の一つ」 であるという認識は日本国民の間では常識としては登録されていない。だから、「選挙に勝ったということは、民意の負託を受けたということだ」「選挙に勝って、禊が済んだ」というような言葉を政治家たちが不用意に口にし、メディアがそのまま無批判に垂れ流すということが起きる。ミルはそういう考え方が民主制に致命傷を与えるということをつとに170年前に指摘していたのである。

 

 ミルの書物は明治初年に日本に翻訳されて、ずいぶん広く読まれたはずである。しかし、読まれたということと血肉化したということはまったく別の話だ。私たちはトクヴィルやハミルトンやミルが生きた18~19世紀の欧米市民社会よりもはるかに民主制の成熟度の低い社会にいまも暮らしているのである。そのことをまず認めよう。