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人口減(それと高齢化)が日本の国力の衰微の最大の原因です。これは小手先の政策ではどうしようもない。初期条件として受け入れるしかない。
2022年12月29日の内田樹さんの論考「『撤退論』まえがき」(後篇)をご紹介する。
どおぞ。
僕の書き方がいささか悲観的過ぎる、日本の衰え方をいささか誇大に表現しているのではないかという疑念を持つ方がおられると思います。でも、日本の未来について楽観できる余地はほんとうにないのです。
国力衰退にはさまざまな指標があります。でも、もっとも客観性が高く、誤差が少ない指標は人口動態です。
わが国の総人口は2004年をピークとして、今後減り続け、21世紀の終わりには、明治四十年代の日露戦争前後の水準にまで減少することが予測されています。人口推移の図表を見ると、1900年から2000年までに増えたのと同じだけが2100年までに減るので、人口推移グラフはきれいな左右対称の山形をなしています。具体的に言うと、2100年の人口予測は高位推計で6470万人、中位推計で4771万人、低位推計では3770万人です。現在が1億2600万人ですから、中位推計でも今から80年の間に7000万人以上減る勘定です。年間90万人。毎年県が一つずつなくなるというペースです。
その減少分は海外からの移民で補えばいいというご意見もあるかも知れません。でも、今日本在住の外国人はわずか290万人です。パンデミックのせいで外国からの移住者数は激減しています。それに外国人技能実習生への暴力事件や入管での人権無視事案で露呈されたように、日本社会は「異邦人」の受け入れ能力が悲しいほど低い。「多様性と包摂」という看板だけは掲げていますけれども、今の日本人は人種・国籍・言語・宗教・生活文化を異にする「他者」たちと共生できるほどの市民的成熟には達していませんし、そもそもそのような市民的成熟が緊急に必要であるということについての国民的合意さえない。そんな国が人口減を移民で補うことができるはずがありません。
人口減(それと高齢化)が日本の国力の衰微の最大の原因です。これは小手先の政策ではどうしようもない。初期条件として受け入れるしかない。
でも、同じことはこれから後、多くの先進国で起きます。日本に続いて2027年には中国の人口がピークアウトして、以後年間500万人ペースでの人口減になります。その規模と速度は日本の比ではありません。中国の中央年齢は今37.4歳でアメリカと同じですが、2040年には今の日本のレベル(48歳)に達します。韓国も2019年の5165万人をピークに減少に転じました。高齢者比率も2065年には46%に達し、日本を抜いてOECD加盟国の首位の老人国になります。世界中どこでも事情はそれほど変わらないのです。
でも、日本が世界で最も早くこのフェーズに入る。そうであれば、「子どもが生まれず、老人ばかりの国」において人々がそれでもそれなりに豊かで幸福に暮らせるためにどういう制度を設計すべきかについて日本は世界に対してモデルを提示する義務がある。僕はそう思います。他のことはともかく、この「撤退」戦略においてくらいは「日本はこうやって撤退局面でソフトランディングに成功して、被害を最小化した」ということを世界にお伝えしたい。でも、今のままでしたら、「日本はこうやって撤退に失敗した」という「やってはいけない見本」を提示するということでしか世界の役に立たないということになりそうです。
寄稿依頼にしては長くなり過ぎましたので、もう終わりにします。以上のような現状認識を踏まえて皆さんにご自由に「撤退」を論じて頂きたいと思います。
もちろん、現状認識が僕とは違うという方もおられると思います。「撤退など必要ない」という論ももちろん歓迎です。寄稿者全員ができるだけ多様な視点から、独自の「ものさし」で、この問題を縦横に論じてくださることが読者に裨益(ひえき)するところが最も多いはずだからです。
寄稿を依頼したのはお忙しい方々ばかりですから、「ちょっと時間的に無理」ということもあるでしょうし、そもそも編集の趣旨が意に添わないということもあるでしょうから「書けません」という場合はご遠慮なくお断りくださって結構です。
長い手紙を最後までお読みくださって、ありがとうございました。みなさまのご協力を拝してお願い申し上げます。
2021年10月
内田樹
これで本書の趣旨をご理解頂くには十分だと思いますけれど、一言だけ付け加えておきます。
「リトリート」という言葉を僕は大学在職中に時々耳にしました。それは「退修会」と訳されていました。たしかに英和辞典でretreatを引くと、「静養」や「静思」という訳語がみつかります。日常から離れ、落ち着いた環境の中で、霊的な養いの時を持つことだそうです(知らなかった)。僕のいたミッションスクールでは全教職員が集まり、チャプレンの祈りの後に分科会にわかれて、一日かけて「私たちの大学は何のために存在するのか?」という建学の理念を検証するのが「退修会」でした。
この本で僕たちはこれから「撤退」についてさまざまな論点を提出します。そして、僕からのささやかな願いは、その作業そのものを「静思」として営めたらいいということです。つまり、「僕たちの暮らすこの共同体は何のために存在するのか?」という根源的な問いに向き合いつつ、ということです。そういう根源的な問いをめぐる思索は、あまり論争的になったり、声を荒立てたりすることなしに、できれば「静思」という仕方で行う方がいいと思うのです。難しいとは思いますが。
以下に収録した論考はどれも寄稿者たちが力を入れて書いてくださったものですから、豊かな知見に溢れていますし、一読して胸を衝かれるような言葉に出会うこともあると思いますが、読者のみなさんはできれば「静思」的な構えで、一つ一つゆっくり読んで欲しいと思います。一人の論考を読み終えたら、すぐには次に進まずに、珈琲を一杯飲むなり、散歩をするなり、ちょっとしたインターバルを置いて、言葉がみなさんの胸のうちに「着床」する時間をとってくれたらうれしいです。どうぞよろしくお願い致します。
2022年1月
内田樹