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内田樹さんの「2022年の10大ニュース」(後篇) ☆ あさもりのりひこ No.1310

マルクスの受容の仕方は世界それぞれの社会でさまざまだが、「非政治的な読み方」(つまり、レヴィ=ストロースが言うように「マルクスを読むと、頭にキックが入る」ので、仕事を始める前にまずマルクスを読むというような読み方)が許容されているのは、アジアではたぶん日本だけなのだと思う。

 

 

2023年1月1日の内田樹さんの論考「2022年の10大ニュース」(後篇)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

(7)『若マル』が終わった

 

石川康宏先生との共著の往復書簡『若者よマルクスを読もう』が最終巻「資本論」を迎えた。14年にわたって書き続けてきたシリーズである。日本の中高生に向かって、その袖をひっぱって、「お願いだからマルクスを読んで」と懇請するという趣旨のもので、学術的厳密性とか理論的先端性とかを期されても困る、ただの「入門書」であるけれども、さいわい多くの読者を得ることができた。とくに中国語訳版が中国共産党中央紀律委員会から、共産党幹部党員への推薦図書に指定されたことには驚いた。

 

この本では石川さんが「きちんとしたマルクスの祖述と解説」を担当し、私が「マルクスのかっこいいフレーズについて、その論理の疾走力や修辞のみごとさを讃える」という分業体制で書かれている。たぶん中国共産党の党員の中にもマルクスをちゃんと読んでいない人が増えてきたのだろう(9000万人もいるんだから)。その人たちにいまさら共産党が「いきなり始めるマルクス主義」という本を頒布するわけにもゆかない。だから、僕たちの「日本の中高生向きマルクス入門」がそのニーズに偶然に合ったということではないかと思う。

 

この本は韓国語訳も出た。韓国ではいまも公式にはマルクス主義を賛美することは法律で禁じられている。だから、マルクス主義について知ろうとすると翻訳に頼るしかないという事情がそこから知れる。

 

マルクスの受容の仕方は世界それぞれの社会でさまざまだが、「非政治的な読み方」(つまり、レヴィ=ストロースが言うように「マルクスを読むと、頭にキックが入る」ので、仕事を始める前にまずマルクスを読むというような読み方)が許容されているのは、アジアではたぶん日本だけなのだと思う。

 

白井聡さんや斎藤幸平さんのような若くて卓越したマルクス主義者が登場してきたことで、僕たちの『若マル』仕事はその歴史的使命を終えたように思う。でも、これからも日本の中高生がこの本を手に取ってくれるとうれしい。 14年間お付き合いくださった石川先生の友情と、遅筆な二人を黙って見守っていてくれたかもがわ出版の松竹伸幸さんの雅量にも心から感謝したい。

 

(8)豊岡で授業をした

 

平田オリザさんが学長の豊岡市にある芸術文化観光専門職大学の客員教授を拝命したので、夏に集中講義に行って来た。僕の担当は言語表現論。隔年開講で、高橋源一郎さんと僕が交替で授業をすることになっている。去年担当した高橋さんに「何教えたの? どんな学生だった?」とメールで訊いたら授業のやり方と「すごく食いつきのよい学生たちで楽しかった」というご返事を頂いた。高橋さんが楽しく授業できたのなら問題ない。7月27日~29日にひさしぶりに若い学生たち(8割が女子)を相手におしゃべりをして、毎日ショートエッセイを書いてもらった。

 

女学院卒業生で、私が在職中に総合文化学科の博士課程ができたとき最初に博士号を取った井原麗奈さんがさいわい同僚で、フルアテンダンスをしてくれた。夜は同じ時期に集中講義に来ていた水野和夫先生や平田学長もご一緒して美味しいご飯を食べて、美味しいお酒を飲んで、お話を聴けて、まことに愉快で充実した集中講義だった。

 

(9)盛岡で講演をした

 

講演はあちこちで年間30回くらいやっているのだけれど、これは特別。盛岡在住の小笠原康人・純子ご夫妻からの招聘である。お二人とは何年か前に羽黒の星野文紘先達の宿坊大聖坊での宴会でお会いした。先達に鶴岡に呼ばれておしゃべりをするようになったのは、もう10年以上前である。もとはと言えば、中沢新一さんの明治大学野生の科学研究所のキックオフイベントに平川君と僕が呼ばれて、中沢さんと鼎談するという企画があり、そのあとの研究所オープニングパーティの席で、星野先達と山伏の加藤丈晴さんに声をかけられたのである。長い話になるけれど、面白いから書いておく。

 

先達に「内田さんは山形に来ることなんかありますかね」と訊かれて、「毎年行ってます。鶴岡に内田家の墓がありますから」とお答えして、そこから「じゃあ、次に鶴岡に来るときに羽黒に来てください」と先達に誘われて、それから毎年羽黒に行くことになったのである。 先達と対談したり、黒川能のお家元をまじえて鼎談したり、合気道を教えたり、先達の企画でいろいろやった。毎回、イベントが終わると大聖坊に山伏たちや、鶴岡の若い地方移住者たちが集まって宴会をした。その中に盛岡から来た小笠原夫妻がいたのである。彼らは山伏でも山形県民でもなく、私の読者だった。

 

最初は人が多すぎて、彼らとゆっくり話す時間もなかったのだけれど、毎年おいでになるので、「あ、またいらっしゃったんですね」と話し合うようになって、ある年に小笠原君が意を決して「盛岡で僕たち読書会をやっているんですけれど、その100回か150回の記念に盛岡に来てくれませんか」と頼んで来た。読者が主宰しているグループに招かれるというのはこれが二度目である(最初のときは福岡で、そのときの講演をもとにして『他者と死者』を書くことになった)。

 

何人かの市民だけで講演会を開催するというのはなかなかできないことである。その志を多として11月19日~20日に盛岡に行って、講演を一つして、翌日の読書会にゲスト参加してきた。美味しい冷麺を食べて、美味しいイタリアンを食べて、談論風発して、たいへん楽しい旅だった。小笠原さんご夫妻の誠意と情熱に敬意を表したい。お疲れさまでした。

 

(10)韓国を三年ぶりに訪れた

 

11年前から韓国で講演旅行を続けている。2020年、21年はコロナで渡航がむずかしくてリモートでの講演になったが、今年は渡航の条件がいくぶんか緩和されたので、韓国で講演旅行をすることになった。 最初は10月の末に行くはずだった。ところが検疫関係で準備する書類がいくつもあって、そのうちのK-ETAという電子ビザの申請が通っていないことが出発前日に判明した。もう荷造りも終わって、最後に必要書類の点検をしているところで、電子ビザのステータスが「Not found」になっていた。もっと早くチェックしていたら、再申請できたのだが、仕事に追われて、もう申請期限の24時間を切っていた。朴東燮先生に連絡して、事情を話して、とりあえず翌日の大学での講演はリモートにしてもらった。もともと半分対面、半分オンラインという形式だったので、ただパソコンの前に座ればつながる(便利になったものである)。

 

でも、対面オーディエンスの中には釜山からソウルまで来た人もいたそうで、そういう方にはほんとうに申し訳ないことをした。残り二つの講演は地方自治体の招聘なので、リモートではなく「仕切り直し」になった。

 

11月30日~12月2日の二泊三日の強行軍で、ソウルで新聞のインタビューと記者たちとの懇談会、清州市で講演を二つ。今回も朴先生がフルアテンダンス。仁川空港には、懐かしいもう一人の朴先生(最初に凱風館に来てくれたお二人のうちの一人)もお迎えに来てくださった。

 

まずは文化日報の朴記者のロングインタビュー。日本語の上手な記者だったので、面白い仕事だった。そのあと、ソウルの各新聞社の記者7人(うち1人だけが日本の新聞社の男性記者で、あとの6人は韓国の女性記者たち)と懇親会。とても面白かった。そのときのことはAERAに書いた。

http://blog.tatsuru.com/2022/12/12_1120.html

 

翌日は清州市に移動して教育委員会主催の講演。最終日はもっと田舎の小さな町の公民館のようなところで地方の人口減についてという演題を求められての講演をした。どちらも聴衆はたいへん熱心で、終わったあとに次々と個人的な質問をされた。教員の方たちからは『街場の教育論』や『先生はえらい』へのサインを求められるケースが多かった。大量の付箋が貼り付けられ、手垢で頁がめくれあがった本を見ると、熱心な読者を得た書物に対して、「こんなに読まれてよかったね」という気持ちになる。

 

朴東燮先生は1月には韓国の読者たちを引き連れて、凱風館に遊びに来るそうである。お会いするのが楽しみである。

 

日韓の市民レベルでの交流は深い。外交レベルでの日韓の対立はそれぞれの政府がマヌーヴァー的に操作している「政治的工作」であることが実際に韓国の人たちと話すとよくわかる。この隣国と日本はあらゆるレベルで連携しなければならない。「東アジアの安定のためには日韓連携が何よりも優先します」と今回の韓国ツァーでも機会があるたびに語ってきた。多くの聴衆が深く頷いてくれた。この真情を私は信じる。

 

 

これでちょうど10になった。2023年はどんなニュースを書くことになるのだろう。